じじぃの「科学・芸術_15_フレネルレンズとパリ万博」

Exposition universelle de 1855 a Paris - Palais de l'Industrie 動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=Mes3uWm3-RM
パリ万博の「産業宮」に展示されたフレネルレンズ

The Fresnel Lens Makers
Alan Stevenson went to Chance Brothers to see the lens and stated: “they have fine work and work beautiful frames, but the glass is green - very green.” After the close of the exhibition the lens was sent to Singapore. True production of Fresnel lenses of various sizes did not occur until late in 1855 at the completion of the Paris Exhibition of that year.
http://uslhs.org/fresnel-lens-makers
灯台の光はなぜ遠くまで届くのか 時代を変えたフレネルレンズの軌跡』 テレサ・レヴィット/著、岡田好惠/訳 ブルーバックス 2015年発行
世界初のフレネルレンズ より
フレネルは病弱で、1822年から1823年にかけてはとくに衰弱が激しくなっていった。だが死の影におびえながらも、二重回析、円偏向、クリスタルガラスを通る光の偏向などの論文を次々に発表する。
フレネルの光に対する見解と、光の物理的伝播に関する理論は実際に、19世紀物理学の多くの分野の基礎をなすものとなった。彼の二重回析説については、イギリスで波動説を推進していたトマス・ヤングが、デヴィット・ブルースターの光の粒子屈折に関する記事に対抗するものとして、『ブリタニカ百科事典』に寄稿してほしいと求めてきた。だがフレネルは健康上の理由で辞退し、寄稿はアラゴに譲ると返答した。
春になると、フレネルの健康は回復し、コルドゥアン灯台に出向いて、レンズの設置をすることになった。コルドゥアン灯台は、地元の人びとを雇って組み立て作業を開始したが、作業員たちは当然のことながら、精密光学の知識が十分にない。フレネルは、「作業員のほとんどが、役に立ちません」とヤングに書き送っている。「私はごく細かいところまで立ち入って教えなければならず、自分で作業をしてしまう場合もしばしばあるのです」と。
タブレがパリからやってきて、光学に関する部分を手伝った。一方で回転部を納入したベルナール=アンリ・ワグネルが、当時時計に使われていた、エスケープメント(脱進装置)という機構の取り付けを補佐させるため、ハンスという助手を差し向けてきた。
フレネル一行は、その年の7月いっぱい、灯台のある小さな岩の上で過ごしたが、フレネルの手紙には、いいことはほとんど書かれていない。だがともかく、7月の末には灯光を発信した。
1823年7月25日、世界初のフレネルレンズがコルドゥアン灯台で試運転の運びとなる。フレネルは近隣の港を回って、光の届き具合を確かめた。フランス本土でコルドゥアン灯台の真北に位置するロワイヤンの港には、船員たちがつめかけていた。南のヴェルドンは士官たちでいっぱいだった。どちらの港でも、誰もがフレネルレンズから発せられる光の輝かしさと白さに驚愕していた。
ロンドン万博とパリ万博 より
1855年、フランスは国家の威信を世界に示すべく、一等級の回転型完全反射屈折フレネルレンズを、万博の主要会場「産業宮」の中央に展示した。後に、入場客の混雑緩和のため(最初の198日間で、連日2万2000人以上)西側に移されたが、それでも高い台座の上にオーギュスタン・フレネルの胸像とともに陳列されたその姿は、大いに入場客の注目を集めた。
レンズの背後には、ジャン=レオン・ジュロームの、フレネルを讃える巨大なフレネル画が置かれ、その横にノルウェーからブラジルに至る16ヵ国の名前と文章が、フレネルレンズを最初に採用した日付とともに記された。
それまでに、フランスのメーカー各社は200個以上のフレネルレンズを、世界各国に納入していた。万博の案内文には、フレネルレンズはフランスから人類への贈り物であり、レンズ製造はフランスが世界に誇る国家的産業だとしている。
「一介のフランス人技師が発明したレンズが、国民の賞賛を糧に進化を続け、ついに技術的完成に到達しました。特筆すべきは、この発明が純粋に科学的興味から考案され、私利私欲ぬきで、ひたすら万人の利益のために開発され続けた点にあります。 人間の一般的な生態と精神構造を考慮するなら、これは非常に特異な発明の例だと言うべきでありましょう。そして文明人の誰もが感謝せずにはいられない発明の1つなのです」
と案内文は結んでいる。