じじぃの「科学・芸術_01_4色問題でのまちがい」

The Four Colour Theorem 動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=ANY7X-_wpNs
4色問題

四色定理 ウィキペディアWikipedia) より
四色定理とは、いかなる地図も、隣接する領域が異なる色になるように塗るには4色あれば十分だという定理である。
【歴史】
地図を製作する際には国境線を接する国を別の色で塗らなくてはならないので、地図制作業者の間では数百年前から経験的に知られていた。1852年に法科学生のフランシス・ガスリーが数学専攻である弟のフレデリック・ガスリーに質問したのを発端に問題として定式化され、19世紀後半になって数学者がその話を聞いて証明を試みたが、多くの数学者の挑戦をはねのけ続けていた。
【一般化】
一般に種数 g ≧ 0 の閉曲面(わかりやすく言えば、穴が g 個あるドーナッツ)を塗り分けるのに最低限必要な色の数は、1890年にヒーウッドによって
 【7 + √(1 + 48g) / 2】 (【】はガウス記号)
と予想された。g ≧ 1 に対してこの予測が正しいことは、リンゲルとヤングスにより1968年に証明された。

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『数学まちがい大全集 誰もがみんなしくじっている!』 堀江太郎/訳 化学同人 2015年発行
有名な数学者が犯した注目すべきまちがい (一部抜粋しています)
長い歴史のなかで、有名、あるいはあまり有名ではない数学者たちが、数多くの予想を提出してきた。それらの予想のいくつかは、後に証明にとって正しいと裏づけられ、逆にいくつかの予想は誤っているとして却下されてきた。また、予想のいくつかは現在も未解決問題として人々の挑戦を待っている。
4色問題
4色問題の歴史は1852年までさかのぼる。フランシス・ガスリー(1831〜1899)は、イングランドの地図を塗り分けようとしていて、色は4色あれば十分なのではないか、ということに気がついた。彼は、数学専攻だった弟のフレデリックに、どんな地図であっても、4色だけあれば塗り分けられるというのは正しいかどうか尋ねた。ここで言う振り分け方法とは、隣接する領域(点ではない共通の境界線をもつ隣り合った町など)が必ず異なる色で塗り分けられるように約束するものだ。そこでフレデリック・ガスリーは、イギリスの数学者オーガスト・ド・モルガンにそれを予想として報告した。
1879年、イギリスの法廷弁護士アルフレッド・B・ケンプがその予想の証明を発表するが、1890年になってパーシー・ヒーウッドによって、それが誤りであることが指摘される。ヒーウッドは自分の人生の60年をこの問題の解決に注ぎ込み、いろいろな地図の塗り分けを試し、5色あればどんな地図でも十分であることを知っていたが、4色でも十分であることまでは決定できないでいた。多くの数学者が続々とこの問題に挑んだが、すべての試みは失敗に終わっていった。
1975年の4月、ニューヨーク市のワッピンガーズ・フォールズのウイリアム・マクガレーがアメリカの科学誌に、塗り分けには5色が必要だと主張するある地図を発表した。しかし同じ年の10月に、ディーター・ヘルマンが彼の主張は誤っていることを伝え、その地図を実際に4色で塗り分けて見せた。
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さて、有名な4色問題は、1976年になってようやく2人の数学者ケネス・アベルとヴォルフガング・ハーケンによって肯定的に解決される。その「証明」は、存在し得るすべての地図を考え、それらを塗り分けるためには4色を超える色は必要ないことを示す方法だった。彼らはプログラムを何度も書き直し、IBM360を用いて、考え得る1936種類(後に1476種類に整理された)の場合をすべて調べ上げたのだが、計算にはのべ1200時間を要している。この「コンピュータによる証明」は、純粋数学の研究者には広く認められなかった。しかし2004年になって、2人の数学者ベンジャミン・ワーナーとジョージ・ゴンティエは、4色問題の新しい(純粋に)数学的な解法を考え出す。これはアベルとハーケンの主張を正式に確かめることとなった。
4色問題のおもしろいところは、問題自体は誰でも容易に理解できるのに、その解法はきわめてとらえどころがなく(実際に解決に向けての数多くの誤った試みがなされてきた)、非常に複雑なものになってしまう点である。