じじぃの「人の死にざま_1594_シャー・ジャハーン(ムガル帝国の王)」

インド 世界遺産 タージマハル 2012 動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=2GHtaFG87os
タージ・マハル

シャー・ジャハーン ウィキペディアWikipedia) より
シャー・ジャハーン(1592年1月5日 - 1666年1月22日)は、ムガル帝国の第5代君主(在位:1628年 - 1658年)。第4代君主ジャハーンギールの三男。母はビルキース・マカーニー。
1612年、ペルシア系の大貴族アーサフ・ハーンの娘ムムターズ・マハルと結婚した。晩年の父とは対立し、デカンに退いていた。
シャー・ジャハーンの時代はインド・イスラーム文化の最盛期であり、美術や建築などの華が咲いた。シャー・ジャハーンはまた、妃ムムターズ・マハルの墓廟であるタージ・マハルの建造者としても有名な人物である。当時、ヨーロッパから訪れた旅行者はシャー・ジャハーンを「壮麗王」(the Magnificent)として称えた。

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『「歴史」の意外な結末―事件・人物の隠された「その後」』 日本博学倶楽部/編 PHP文庫 1998年発行
妻のためにタージ・マハルをつくった愛妻家の国王のその後 より
インドのムガル帝国のシャー・ジャハーン王(在位1628 - 58)と聞いて、どういう人かわからくても、タージ・マハルをつくった人物といえば、その伝説的な愛妻家の王かと、うなずく人も多いのではないだろうか。
最愛の王妃ムムターズ・マハルが、死ぬときに、「世界でいちばん美しいお墓を」と臨んだ遺言を守り、純白の大理石で美しい廟墓をつくったという話は有名だ。
シャー・ジャハーンは、1628年に即位したムガル帝国第5代皇帝で、即位にあたって兄弟や甥たちを皆殺しにした血なまぐさい皇帝だが、19年間連れ添った妻のムムターズ・マハルのことはこよなく愛しており、彼女の死後2年間、華美な服装や美食や歌舞音曲を避けて喪に服した。
そして、21年の歳月と4000万ルピーの巨費をかけて、タージ・マハルを建造したのである。
だが、この工事は、その後、彼の破滅につながる。タージ・マハルだけでも、国家予算に響くほどの大工事だったのに、この墓の裏を流れるシャムナ川の対岸に、今度は黒い大理石で自分の墓をつくろうと計画。皇子のアウランゼブに皇位を奪われ、アグラ城の一室に監禁される。
それで、タージ・マハルの脇に小さな墓がつくられるにとどまったが、皮肉なことに、彼の墓のせいで、タージ・マハルの完全な調和が崩されてしまったのである。