じじぃの「人の死にざま_1545_アメリア・イアハート(女性飛行士)」

Amelia Earhart - Mini Biography 動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=ivbh9vEkp1g
アメリア・イアハート

世界まる見え!テレビ特捜部 「春なのに事件です! ミステリークイズ スペシャル!」 (追加) 2017年4月17日 日本テレビ
【レギュラー出演】杉野真実所ジョージビートたけし 【ゲスト】荒俣宏唐沢寿明窪田正孝滝沢カレン田中卓志松井玲奈
「消えた英雄 アメリア・イアハート」「メキシコ学生43人失踪事件」や、動物たちの摩訶不思議な行動を捉えた映像や常識を超越しちゃったミステリーな人々が大集合。目が離せない世界各国の 映像をお届けします!
●消えた英雄 アメリア・イアハート
イアハートがミリ環礁に不時着したという目撃談がマーシャル諸島で今も広く伝えられている。
政府は彼女をスパイとして送り込み日本軍の動向を調べようとしていたという。アメリカ政府はマーシャル諸島の捜索許可を申請していた。さらにその1年後、当時の大統領フランクリン・ルーズベルト工作員マーシャル諸島周辺をヨットで航海させ日本軍について報告させるという任務を行わせていた。だが日本は捜索の申請を拒否していた。
ワシントン州の高校で理科を教える53歳のディック・スピンク氏はまったく違う説を唱える。当時ロッキードエレクトラ号に燃料装置を提供したパーカー社から資金援助を受け、ミリ環礁から証拠品になると思われるものを採取した。当時機体にアルミ材を提供したアルコア社とパーカー社は現在、マーシャル諸島から持ち帰った破片を分析し、アルミニウムと塗料がエレクトラのものと一致するかどうかを確認している。
http://www.ntv.co.jp/marumie/backnumber.html
伝説の女性飛行士アメリア・イアハートは何処へ消えたのか?〜女性初大西洋横断を成し遂げた米国の国民的ヒロインのミステリー 2014年4月
イアハートが行方不明となった1937年、イアハートの捜索とは別に入植候補地として無人島を調査していた英国の遠征隊が撮影したニクマロロ島の写真には「点」のようなものが写っていたが、詳細に分析した結果、この「点」は遭難したエレクトラの前輪部だったのではないか、という。
2012年7月23日、同団体は搭乗機の残骸を示す証拠は何も見つからなかったと発表した。
しかし、のちの調査で同団体による調査で撮影された高精細映像を分析したところ、キリバスニクマロロ島の西の海底に「人工物」が散乱しているのが発見されたという。
http://enigma-calender.blogspot.jp/2014/04/Amelia-Earhart.html
アメリア・イアハート ウィキペディアWikipedia)より
アメリア・メアリー・イアハート(Amelia Mary Earhart、1897年7月24日 - 1937年7月2日)は、アメリカの飛行士。マーケティング分析分野では「アメリア・イアハート効果」という語も生まれている。

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『誰も書かなかった 世界史「その後」の謎』 雑学総研 中経の文庫 2014年発行
「伝説の女性飛行士」 アメリア・イアハートはどこへ消えた? (一部抜粋しています)
1932年、女性初の大西洋単独横断飛行に成功し、「レディー・リンデン」と讃えられたアメリカ人飛行士アメリア・イアハート。レディー・リンデンとは「女性版リンドバーグ」の意味で、彼女に冠された呼び名としてはこれ以上ないものであったろう。
しかし、その経歴に満足しなかった彼女は、1937年5月、各地での調査を兼ねて世界一周飛行に挑戦したが、ニューギニア島東部のラエから南太平洋のハウランド島へ向かう途中、7月2日午前8時45分に行った交信を第五に、遭難した。
以後、アメリカ海軍による必死の捜索が行われたが、期待の破片、2人の遺体、持ち物など、何も発見されることはなかった。そして、7月19日、捜索は打ち切られ、行方不明から1年半後の1939年1月5日、アメリアの死は法的に認められたのである。
その後、彼女が到着することのなかったハウランド島にはアメリアを記念する灯台が建てられたものの、同地域は太平洋戦争の舞台となったため、その灯台も破壊され、加えて石碑も失われた。
そして戦後、行方が杳(よう)として知れない彼女に対して、「日本軍にスパイとして捕えられて処刑された」「太平洋のどこかの小さな島に住んで生き延びている」といった噂が流れたが、それは遺族の心を苦しめるだえで、彼女が生き帰ってくることはなかったのである。
だが、アメリカにおいてアメリア・イアハートの名は戦後も忘れられることはなく、1963年には記念切手の肖像となり、ハウランド島の記念灯台も復活した。また、テレビドキュメンタリーや映画、演劇の題材にもたびたび取り上げられてもいる。
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その鮮烈な登場以来、アメリカ女性に多大なる勇気を与えてきたアメリア・イアハートは、いまだにアメリカで「生き続けている」のである。