じじぃの「修正されたダーウィン進化論・生物は偶然の積み重ねからできた?死なないやつら」

Intelligent Design 動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=6v83X9-oJ-w
仲良しロバ

ハロルド・サクストン・バー

「進化の機能」を持った人工細胞の作成に成功 平成25年10月3日 大阪大学
JST課題達成型基礎研究の一環として、大阪大学 大学院情報科学研究科 四方 哲也 教授の研究チームは、生物の特徴である「進化する能力」を持つ人工細胞を作り出すことに世界で初めて成功しました。
http://www.jst.go.jp/pr/announce/20131003-2/
インテリジェント・デザイン ウィキペディアWikipedia)より
インテリジェント・デザイン(Intelligent design)とは、「知性ある何か」によって生命や宇宙の精妙なシステムが設計されたとする説。しばしば、ID、ID説と略される。またIDを信じる人をIDer(インテリジェント・デザイナー)と呼ぶ。
『宇宙・自然界に起こっていることは機械的・非人称的な自然的要因だけではすべての説明はできず、そこには「デザイン」すなわち構想、意図、意志、目的といったものが働いていることを科学として認めよう』という理論・運動である。近年のアメリカ合衆国で始まったものであり、1990年代にアメリカの反進化論団体、一部の科学者などが提唱し始めたものである。
旧約聖書から大きく影響を受け、聖書主義を基盤に、宗教的な論説の創造科学から宗教的な表現を除き、一般社会や学校教育などにも広く受け入れられるように意図したもので、宗教色を抑えるために、宇宙や生命を設計し創造した存在を「神」ではなく「偉大なる知性」と記述することが特徴である。これにより、非キリスト教徒に対するアピールを可能とし、ユダヤ教徒ヒンドゥー教徒イスラム教徒の支持者を得ている。また宗教色を薄めることで、政教分離原則を回避しやすくなる(公教育への浸透など)。

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『死なないやつら』 長沼毅/著 ブルーバックス 2013年発行
遺伝子からみた生命 (一部抜粋しています)
「生物は遺伝子の乗り物にすぎない」と主張して一世を風靡したドーキンス出世作となった著作は『利己的な遺伝子』というタイトルでした。しかし、このネーミングは誤解を招きやすく、あまり適切ではなかったのではないかと私は考えています。
この言葉には、まるで遺伝子が「意思」というものをもっているかのような印象があります。生物が自分にとって都合のいい「乗り物」になるように、遺伝子自身が「目的意識」をもって突然変異を起こしている――そんなイメージを想起させます。
しかし、ドーキンスは決してそのようなことを述べているわけではないのです。むしろ、生物の設計にはどんな「デザイナー」も存在せず、進化とは「偶然の積み重ね」であることを、ドーキンスはさまざまな著作を通じて力説しています。
しかも、このタイトルには別の意味でも疑問があります。たしかに「乗り物」にされている私たちからみれば、遺伝子が「自分」の都合を最優先して、私たち「乗り物」を二の次にしているのは勝手だと思いたくなります。しかし、うまく生き延びることができる遺伝子は、実は決して「利己的」ではないのです。むしろ「協調性」のある遺伝子のほうが、より生き延びやすいようなのです。
ドーキンスもそのことをわかっていたので、本当は「協調的な遺伝子」といったタイトルにしたかった、という話も聞いたことがあります。
とはいえ「遺伝子に協調性がある」というのは、私たちにはにわかに想像しがたい話です。いったい遺伝子の協調性とは、どのようなものなのでしょうか。
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そして実際に、動物には「利他的」な行動パターンが存在することがわかりました。これにより、進化論は修正されることになったのです。ダーウィン進化論は個体間競争を基本とするものでしたが、現代進化論では、遺伝子を最大限残すためには「利他」と「協調」が重要であると考えるわけです。
図は、その違いをわかりやすく表現したイラストです。互いに後ろ向きにロープでつながれた2頭のロバは、それぞれ自分の目の前の干し草を食べようとすると、激しい引っ張りあいになります。これがダーウィンの想定した個体間競争にほかなりません。しかしこの場合、2頭の力が拮抗しているとどちらもエサにありつけず、最後は共倒れになってしまうでしょう。ところが、もしロバが「協調性の遺伝子」を持っていれば、どちらかが相手に順番を譲ることで結果的には両方の干し草を一緒に食べることができ、共存共栄が可能になります。つまり「集団」として生き延びることができるのです。
現実には、このイラストほどうるわしい協調性は発揮されないかもしれません。一緒にどちらかの干し草に向かえば、そこで分かちあいよりも奪いあいが始まる可能性はあります。しかしそれでも、お互いにロープを引っ張りあって共倒れになるよりは、はるかにましな選択です。
実際に、たとえばペンギンには、自分の子もよその子も”保育所”のようにまとめて世話をする習性があります。
動物にこのような利他的な行動をさせる協調性の遺伝子は、やはり進化の過程で獲得されたものであると考えられます。ひたすら利己的にふるまう個体よりも、協調性のある個体のほうが、より子孫を多く残すことができたために、「進化」として定着したのでしょう。
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ところで種を超えた協調性の例としては、別種の生物どうしがもっと根本的なところで深く結びつく、不思議な関係もあります。それは「共生進化」と呼ばれるものです。実例はきわめて少ないのですが、生物の進化を考えるうえでは、きわめて重要な関係の1つです。
共生進化という言葉から、さきに紹介した花と昆虫の「共進化」を思い出した人もいるでしょう。花は昆虫をおびき寄せるネクターガイドを進化させ、昆虫のほうは紫外線が見えるように進化した。たしかにこれも種を超えた協力関係といえるでしょう。

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どうでもいい、じじぃの日記。
生命(生物)は偶然の産物なのだろうか、それとも、何らかの設計図を基につくられたのだろうか。
我々は地球で生まれたのか、それとも、どこかの宇宙から迷い込んだのだろうか。
生物は、太古の昔、アメーバから進化したのではないかと言われている。
ところが、元アメリカ・イェール大学医学部教授ハロルド・サクストン・バー(Harold Saxton Burr, 1889〜1973)は「みえざる生命の鋳型(デザイナー)」の存在を提唱した。
我々人間を含めてすべての生物、太陽系の中の地球、うまくできているように見える。
フラスコの中で生命(DNAの自己複製・増殖ができる)を誕生させれれば、生命は偶然の産物にすぎないと言えるのかもしれない。