じじぃの「神話伝説_103_アメージング・グレイス(賛美歌)」

Elvis Presley - Amazing Grace 動画 YouTube
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聖歌 229 驚くばかりの 動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=QNgejBzaprw
『賛美歌・聖歌ものがたり―疲れしこころをなぐさむる愛よ』 大塚野百合/著 創元社 1995年発行
アメージング・グレイス (一部抜粋しています)
1993年にNHKが放映した「アメージング・グレイス(Amazing Grace)」というアメリカのテレビ番組を見て感動しました。この歌は世界中でたいへん愛好されていますが、作者がイギリスの牧師であることはほとんど忘れられており、まるでポピュラーソングのように思われています。アンディ・ウィリアムやエルビス・プレスリーがこの歌を何度も歌って、世界中の人々の心に訴えかけました。数年前、テレビの宝石のコマーシャルにまでこの曲が流れていて、驚いたことがあります。
またこの歌は、賛美歌第2編167番「われをもすくいし」(聖歌29番「おどろくばかりの」として日本でも愛されています。NHKの番組では、この歌がアメリカのある刑務所のコーラス・グループによって歌われている場面を紹介していました。そのグループの中の1人の白人受刑者は、この歌がどれだけ自分を励ましてくれるかを目にうかべて話ました。彼の心を打つのは、第2節の「神の恵みが私を恐怖から救う」という箇所だというのです。わたしはそれを聞いて、初めてこの歌の威力にうたれました。
この詩を書いたジョン・ニュートン(1725〜1807)は、もと奴隷船の船長で、数奇な運命をたぢり、最後にはイギリスで牧師になりました。
彼が書いた「アメージング・グレイス」の原歌は6節からなっています。現在では、その第1節から第3節、あるいは第4節までを採用し、その後にジョン・P・リース(1828〜1900)が書いた節が追加されています。ニュートンの歌を直訳してみます。
 1.驚くべき恵みー何と胸をときめかせる言葉かー私のような無頼漢をさえ救いたもうたとは!私はかつて失われていたのですが、今や神に見いだされ、かつて目が見えなかったのですが、今やみることができます。
 2.み恵みが私に恐怖を教え、そのみ恵みが私をー恐怖から救ってくれました。そのみ恵みは、何と貴く見えたことでしょうか、私が初めて信じたときに!
 3.多くの危険、困難や誘惑をー私はくぐり抜けてきました。み恵みが私をー安全に導いてくれたのです。そしてみ恵みが私をー天のふるさとに導いてくれます。
 4.主は私に恵みを約束されました。主の御言葉にー私は望みをおきます。主こそ私の楯、分け前です、わたしが生きる限り。私の心と体が弱り、地上の生が終わるとき、天国において喜びと平安がー与えられるのです。
 5.大地はやがて雪のように溶け、太陽も光を失うときが来ます。しかし、私を地上においてー招きたもうた神は、とこしえにー私のものです。
現在この歌の最後の説として採用されているリースの歌は、次のように述べています。
 私たちは天国で1万年もの年月、太陽のように輝くでしょう。それからの1万年の長い間も、神を賛美し続けるでしょう。
リースのことは調べてもよく分からないのですが、わたしは、黒人の牧師ではないかと想像しています。この歌がアメリカ南部の黒人たちに愛唱されていたあるとき、リースは天国で長い年月、太陽のように輝き、神を賛美するビジョンを見て、それをこのニュートンの歌の1節として歌ってみた、するとこの方が、黒人たちの思いをより的確に現していたので、ニュートンの節に替わり、最後の節として定着したのではないでしょうか。
第1節で大事なのは、「驚くべき Amazing」という語です。これは、常識では想像できないほどに驚くべき、という強い言葉です。その驚くべき恵みということばが「スィート sweet」に響くのです。このスィートという語は、彼にとって最高の賛辞で、「胸をときめかせる」とか、「心を魅する」という意味です。なぜイエスの恵みがそれほど素晴らしいかといえば、わたしのような「無頼漢 wretch」を救ってくださったから、というのです。この”wretch”という語は、卑劣漢と訳してもよいでしょう。どうにもならないならず者という意味で、罪人というような恰好のよいものではありません。賛美歌は「まよいし身」としており、聖歌は、「このみのけがれをしるわれ」と訳していますが、それでもまだ弱いのです。上品なクリスチャンは、決して自分のことをこのような言葉では呼びません。彼の経歴を考えると、この”wretch”という言葉を理解することができます。わたしが一番関心を持つのは4節です。主はわたしに恵みを約束されたので、そのみ言葉に望みをおく、という箇所です。これについては個人的な思い出があります。1990年9月7日にニュートンの自伝を読んでいました。彼が妻の死の2、3ヵ月前に、彼女のために必死で祈っているとき、「神の約束は真実であり、主に助けを求めるならきっと答えてくださる」と信じて平安を得たと書いているのです。この「神の約束は真実」という言葉が私の魂に突きささりました。その2日後、この言葉が突然に蘇り、落ち込んでいたわたしは、大きな安堵と喜びに満たされ、肩の重荷が取り去られました。この経験を通して、彼の歌の言葉は、1つ1つが、彼の体験に裏付けされており、血の滲む祈りを通して学んだものであることを実感しました。賛美歌のこの歌の第4節の「わが主のみちかい いとかたし」にはそのような深い意味が背後に隠されています。