じじぃの「神話伝説_100_アーサー王伝説(イングランド)」

Mother Goose-King Arthur-アーサー王 動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=hTJk9XQr7VE
アーサー王

忘れられた巨人 カズオ イシグロ (著) 2015年 Amazon
これまで、「日の名残り」や「私を離さないで」など読んできて本作を読みました。読み始めてすぐに感じたのは、「これは本当にイシグロの作品なのか?!」ということでした。それほど、一見しただけでは、本作はイシグロらしくないのです。
第一にイシグロ特有の一人称の語りではなく、全知の語りで物語が展開されていくからです。加えて、アーサー王をはじめとする5世紀(6世紀)を舞台に、当時のブリテン人とサクソン人という人種間の争い。記憶を取り戻すのか、それとも忘れたままでいたほうがいいのか。などなどファンタジーの要素が満載の作品になっています。

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アーサー王伝説ってどうゆう伝説ですか? 2011/11/11 Yahoo!知恵袋
回答
アーサー王伝説ケルトの英雄譚などを元に作り出されたブリテン王の伝説です。
複数の英雄の話を組み合わせたともモデルとなった人物がいるとも言われています。
書物にしかと書かれた物語というわけではないので伝承も色々です。
話が膨らむごとに仲間の伝承も増え円卓の騎士がやたらと多くなったり。
ランスロットは後に中世のキリスト教的騎士物語と結びつき、「聖杯探索冒険物語」の主人公として描かれたり。
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1375250518
『世界神話伝説大系 38 イングランドの神話伝説』  中島孤島/編 名著普及会 1929年発行
アーサー王伝説の源泉 (一部抜粋しています)
ブリテン(Britain)の原住民は、ケルト民族(Celts)と総称される一大民族の分派であったとされている。ウェールズWales)は古来カムブリヤ(Camblia)の国と呼ばれているが、この名はキムリ(Cymri)の国の意で、キムリとは、ウェールズ語で近隣の大陸からこの島へ渡って来た移住民を指したものだと言われている。この名はまた古代のギリシャおよびローマ人の史家が、黒海の北からヨーロッパ大陸の西北部にかけて拡がった野蛮民族を総称したキムメリア(Commerians)キムブリ(Ci-mbri)の語と同一視されている。
ウェールズWales)およびウェルシュWelsh)という名の起源についても、種々の説が立てられた。ある人は、ギール(Geal)またはゴール(Gaul)から出たもので、「森の樹民」の意だと言い、他の人は、北欧語で「異民族」を指すウォルシュ(Wlosh)から出たもので、後にこの島に侵入して、その大部を占領したサクソン人(Saxons)およびアングル人(Angles)が、この島の原住民、すなわちブリテン人を指して、かく呼んだものだと言っている。
ローマ人はユリウス・ケーザル(Lulius Caeaar)の侵入後、紀元420年まで、約500年の間、この島を領有していた。この間にローマの文物制度は、全島の住民の間に拡まったにちがいない。今に残存する道路や都邑や城砦のあとを見ても、ローマ人がいかにこの国の改良と進歩に多くの多くの公権をしたかがうかがえる。同時にその邸宅や城郭の遺跡によって、ローマの移住者が、多くの富をもち、美しい装飾を愛していたかがうかがわれる。
しかし一方から言うと、ローマ人の統治は、主として軍隊の力で支持され、またその勢力はこの島の全部に及んではいなかった。北部、すなわち今のスコットランド(Scotland)は全く独立し、また西部すなわちウェールズおよびコーンウォール(Cornwall)はただ名義上でローマに属していたにすぎなかった。
これはひとりローマ人ばかりでなく、その後の侵入者においても同様であった。すなわち起源449年ヘンギスト(Hengist)ホルサ(Horsa)の率いたサクソン人が、この島を占領した後も、ブリテン島の西海岸は、全部原住民の手にのこり、絶えず侵入者との間に抗争を続けていたのである。
さればウェールズおよびコーンウォールの住民の誇りは、固有のブリテン人の血統が、純粋に伝わっているのは、自分らの国ばかりだということにあった。我々はしばしばイギリスの詩歌のうちに、こういう思想の閃きをみることができる。たとえばグレー(Gray)がその”The Bard”のうちに、エリザベス女王Queen Elizabeth)を賛美して、
「彼女の眼はブリテン人の血統を語る」
と歌い、またチュードル(Tudor)王朝の諸王をノルマン(Norman)王朝の諸王に対照して、
「さきくあれ、ブリタニアの流れを汲んだ醇(じゅん)なる諸王よ、さきくあれ!」
と歌っている類いである。エリザベス女王をはじめ、チュードル王朝の諸王はいずれもウェールズ出の人々であった。