じじぃの「人の死にざま_1498_ドワイト・アイゼンハワー」

Dramatic Original Footage of D-Day Invasion 動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=QzgKMDydr5Y
ドワイト・アイゼンハワー

ドワイト・D・アイゼンハワー ウィキペディアWikipedia)より
ドワイト・デヴィッド・アイゼンハワー(Dwight David Eisenhower、1890年10月14日 - 1969年3月28日)は、アメリカの軍人、政治家。 連合国遠征軍最高司令部 (Supreme Headquarters Allied Expeditionary Force) 最高司令官、陸軍参謀総長NATO軍最高司令官、第34代大統領を歴任。「アイク(Ike)」の愛称で知られる。 モットーは「物腰は優雅に、行動は力強く」
クローン病という難病を抱えながら、大統領の激務を勤めた。
【大統領選でのアイゼンハワー
アイゼンハワーは1948年7月にコロンビア大学の学長に選ばれ、ニューヨークに居を構えた。1945年以来、大統領候補となる可能性を指摘されてきたが、1936年以来積極的に共和党大統領候補としての指名を求めていたマッカーサーと異なり、政治にほとんど関心がなく、選挙で投票したことも無かったので共和党支持か民主党支持かも知られていなかった。
1953年1月20日に大統領に就任したアイゼンハワーは、大統領職にある間を通じて人気を保持した。1956年には、1952年に続いてテキサスとテネシーのような伝統的に民主党勢力が強い州の票を維持し、再びスティーブンソンを前回選挙以上の大差をもって破り、1期目の副大統領のニクソンとともに再選された。

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『誰も書かなかった 世界史「その後」の謎』 雑学総研 中経の文庫 2014年発行
ゴルフのルールにも名を残したアメリカ大統領・アイゼンハワー (一部抜粋しています)
「アイク」というニックネームで親しまれたアメリカの第34代大統領ドワイト・アイゼンハワー
だが、彼の業績として有名なのは大統領在職時におけるよりも、やはり第二次世界大戦時のノルマンディー上陸作戦(1944年6月。コードネームは「オーヴァーロード作戦」)を指揮したことに求められるだろう。
なぜなら、アメリカとイギリスによるこの大規模な作戦(兵力17万6000人、艦艇5300隻、航空機1万4000機)が成功したことによってナチス・ドイツを壊滅させる糸口になったからだ。その後、アイゼンハワーが一躍英雄になるのも納得の出来事であった。
戦後の1948年に軍を退役し、ニューヨークのコロンビア大学学長、北大西洋条約機構軍最高司令官、そしてついにはアメリカ大統領に当選(1952年。のち再選)した彼は、アメリカを経済面で大きく飛躍させることに成功。ここへきてようやく彼には平穏な日々が訪れようとしていた。
では、その後アイクはどうなったのだろうか。
実は彼は大統領在職中から心臓発作や脳梗塞といった病を発症していたのだが、大のゴルフ好きで、退院後もゴルフを止めることはなかった。
だが、ゴルフはパッティングなどで意外に精神的、肉体的に負担がかかるスポーツで、ゴルフ中に突然死することを心配した主治医によって彼は1つの「約束」をさせられていた。それが、「グリーンに乗れば自動的に2パットとして計算する」という独自のルールを設けるというもので、このルールを取り入れることによって、彼は持病があるにもかかわらず大好きなゴルフを楽しみ続けることができたのである。
なお、このアイゼンハワーのエピソードがもとになって、先述のルールは「アイク・ルール」という名称が付けられることになったのである。
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アイゼンハワーは78歳で没したが、心臓発作や脳梗塞を発症しながらも長寿でいられたのは、節度を守ってゴルフをするなどの健康的な生活を送っていたためかもしれない。