じじぃの「人の死にざま_1491_三浦・綾子」

三浦綾子・光世 カセット−1 動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=zM355dbWAFI
Miura Ayako testimony 動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=TF0d4jWSUIU
こころの時代 〜宗教・人生〜 「神は弱さの中にあり」 2015年10月31日 NHK Eテレ
【出演】木原活信(同志社大学教授)
「世の中は、通常、強いこと、物事を行う能力の高いことが評価される。しかし、人間は、もともと弱い存在であり、弱さを認め合うことで、生きやすい世の中に、多少なりともできるのではないか」と語る。
同志社大学教授・木原活信(きはら・かつのぶ)さん。長年、社会福祉に携わってきた。根底にあるのは、キリスト教の信仰。「自らの弱さを認める」とはどういうことか。
イエス・キリストの根本思想には、コンパッション(compassion、共感・共苦)がある」と語る。

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三浦綾子 『塩狩峠 新潮社
●他人の犠牲になんてなりたかない、誰だってそうさ――そうだろうか、本当に?
結納のため、札幌に向った鉄道職員永野信夫の乗った列車は、塩狩峠の頂上にさしかかった時、突然客車が離れて暴走し始めた。声もなく恐怖に怯える乗客。信夫は飛びつくようにハンドブレーキに手をかけた……。明治末年、北海道旭川塩狩峠で、自らを犠牲にして大勢の乗客の命を救った一青年の、愛と信仰に貫かれた生涯を描き、生きることの意味を問う長編小説。
http://www.shinchosha.co.jp/book/116201/
三浦綾子 ウィキペディアWikipedia)より
三浦 綾子(みうら あやこ、1922年4月25日 - 1999年10月12日)は、日本の女性作家、小説家、エッセイスト。
北海道旭川市出身。旧姓堀田。結核の闘病中に洗礼を受けた後、創作に専念する。
故郷である北海道旭川市三浦綾子記念文学館がある。
【経歴】
1963年、朝日新聞社による大阪本社創刊85年・東京本社75周年記念の1000万円(当時の1000万円は莫大な金額であった)懸賞小説公募に、小説『氷点』を投稿。これに入選し、1964年12月9日より朝日新聞朝刊に『氷点』の連載を開始する。
結核脊椎カリエス、心臓発作、帯状疱疹、直腸癌、パーキンソン病など度重なる病魔に苦しみながら、1999年10月12日に多臓器不全により77歳で亡くなるまでクリスチャン(プロテスタント)としての信仰に根ざした著作を次々と発表。クリスチャン作家、音楽家の多くが彼女の影響を受けている(例えば、横山未来子、椎名林檎など)。
塩狩峠 ウィキペディアWikipedia)より
塩狩峠とは、北海道上川郡比布町(旧石狩国)と上川郡和寒町(旧天塩国)の境にある峠。
天塩川水系石狩川水系の分水界である。
鉄道事故と小説『塩狩峠』】
1909年(明治42年)2月28日、塩狩峠に差し掛かった旅客列車の客車最後尾の連結器が外れて客車が暴走しかける事故がおこった。その車両に乗り合わせていた鉄道院(国鉄の前身)職員の長野政雄(ながの まさお)が、暴走する客車の前に身を挺して暴走を食い止めた。下敷きとなった長野は殉職したが、これにより乗客の命が救われた。
三浦綾子の小説『塩狩峠』はこの事故の顛末を主題としたものである。

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塩狩峠』 三浦綾子/著 新潮社 1973年発行 より
「吉川君、ふじ子さんをぼくにくれないか」
信夫は両手をついた。
「何だって永野。ふじ子をくれって、それはどんな意味だ」
さすがの吉川も驚いて、あぐらの片ひざを立てた。
「ふじ子さんを、ぼくにくれないかとおねがいしているんだ」
「何を言っているんだ、永野。ふじ子は病人だよ。いつなおるかわからない病人なんだ。冗談を言っちゃいけないよ」
「無論、冗談ではない。唐突にこんなことを言い出しては、ふざけていると君は思うだろう。ぼくはだいたい慎重な方で、何でもよく考えてから話をするが、実のことをいうと、いまのいままで、ふじ子さんを一生の妻にという考えはなかった。だが、一所懸命考えたことが必ずしもその人間の本音とは限らないし、突然思い立ったからと言って、それが軽薄とも嘘とも言えないのじゃないだろうか」
「うむ」
吉川は少し晴れ間の見えて来た空を見ながら、うなずいた。
「洗いざらいをいうとね。ぼくは3年間、成長したふじ子さんに会った時、ひと目ぼれをしたようなんだ。それでふじ子さんの婚約の話を聞いた時は、とても淋しかった。しかしふじ子さんが病気になり、その間いく度か手紙をやりとりしながら、ぼくはずいぶんふじ子さんのことを思っていたつもりだ。考えてみれば、ぼくが北海道に来たのは、ふじ子さんがかなり大きな原因であったような気がするんだ」
「永野、君の気持ちはありがたいよ。ふじ子の兄として何と礼を言ったらいいかわからないくらいだ。しかしねえ、現実として、ふじ子は病人だよ。医者もなおるとは言っていない。おれもなおるとは思っていない。そのふじ子を君にもらってくれとは、言えるはずがなかろうじゃないか」
「無論いますぐとはいわないよ。だがぼくは、あの人を何とか元の体にしてやりたいのだ。何だか元気になってもらえそうな気がするんだ。ぼくがこんな気持ちを持っていることを知った上で、ふじ子さんとつきあうことを許して欲しいのだ」
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「永野、ふじ子はキリスト信者なんだ」
「えっ!?」
信夫は驚いて言葉がつづかなかった。
「知らなかったろう、永野。ふじ子はキリスト信者なんだよ。君の嫌いなね」
信夫は、いつ見舞っても明るいふじ子の顔を思った。さわやかなあの明るさの原因がやっとわかったような気がした。
「しかし吉川、ぼくは何もキリスト教をやみくもに嫌っているわけではないよ。母だって、妹だって、妹の連れあいだってみんな信者なんだ」
「だが君は、かなり以前から、キリスト教には問題を感じているように、僕には思われたがねえ。勘ちがいかもしれないけどなあ。少なくとも、キリスト信者を妻にしたいとは思うまいがねえ」
吉川はおだやかに言った。雲足の速い空だ。見る間に形を変えながら雲が流れている。トーキビの葉が、またいっせいにざわめいた。
「吉川、いったいどうしてふじ子さんはキリスト信者になったんだ。臥(ね)ていて教会へ通うこともできないだろうに」
「うん、それがね、臥つく以前に、うちのお袋がたくさんの娘たちを集めて、裁縫を教えていたんだよ。その中に独立教会に通っている信者がいてね。嫁にいくまでふじ子を見舞ってくれたんだ」
「ほう」
「肺病なんていうと、だれもよりつかなくなるのが当たり前だ。お袋もふじ子の病気で、裁縫所をやめてしまったわけだが、その娘さんだけは平気で出入りしてくれたよ。そして、ふじ子にはずいぶん親切にしてくれてねえ。小樽に嫁にいく時は、ふじ子の手をとって、泣いて別れてくれたそうだ。そんなことから、ふじ子はその人のくれた聖書を読んだりして、じきに信者になってしまったんだよ」
「じきに?」
「ああ、ふじ子は足が不自由だったから、いろいろ考えてもいたんだろうね。その上婚約したとたんに、肺病にとりつかれてしまったんだから、どうしてこんなに自分ばかり苦しい目に会うのだろうと、思ったんじゃないのかな。もっとも、そんなことは一度もおれたちに言ったことはないがね。神様をあいつは心から信じて喜んでいるよ。よく、神は愛だって言ってるからねえ」
信夫はハッとした。自分が北海道に来る時、待子の夫の岸本から聖書をもらった。その聖書の扉に書いてあったのが、「神は愛なり」という言葉であった。いま吉川の口から、「神は愛なり」と喜んでいるふじ子を伝えられたことは単なる偶然でないものを感じた。
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信夫は飛びつくようにデッキのハンドブレーキに手をかけた。信夫は氷のように冷たいハンドブレーキのハンドルを、力いっぱい回し始めた。
ハンドブレーキは、当時の客車のデッキごとについていた。デッキの床に垂直に立った自動車のハンドルのようなものだった。
信夫は一刻も早く客車を止めようと必死だった。両側に迫る樹々が飛ぶように過ぎ去るのも、信夫の目にははいらなかった。
次第に速度がゆるんだ。信夫はさらに全身の力をこめてハンドルを回した。わずか1分とたたぬその作業が、信夫にはひどく長い時間に思われた。額から汗がしたたった。かなり速度がゆるんだ。
信夫はホッと大きく息をついた。もう一息だと思った。だが、どうしたことか、ブレーキはそれ以上はなかなかきかなかった。信夫は焦燥を感じた。信夫は事務系であった。ハンドブレーキの操作を詳しくは知らない。操作の誤りか、ブレーキの故障か、信夫には判断がつかなかった。とにかく車は完全に停止させなければならない。いま見た女子供たちのおびえた表情が、信夫の胸をよぎった。このままでは再び暴走するにちがいない。と思った時、信夫は前方約50メートルに急勾配のカーブを見た。
信夫はこん身の力をふるってハンドルを回した。だが、なんとしてもそれ以上客車の速度は落ちなかった。みるみるカーブが信夫に迫ってくる。再び暴走すれば、転覆は必至だ。次々に急勾配カーブがいくつも待っている。たった今この速度なら、自分の体でこの車両をとめることができると、信夫はとっさに判断した。一瞬、ふじ子、菊、待子の顔が大きく目に浮かんだ。それをふり払うように、信夫は目をつむった。と、次の瞬間、信夫の手はハンドルブレーキから離れ、その体は線路を目がけて飛びおりていた。
客車は無気味にきしんで、信夫の上に乗り上げ、遂に完全に停止した。