じじぃの「未解決ファイル_243_チョウ(変態)」

ちょうちょ 動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=BhCot-3TgD8
チョウの変態橿原市昆虫館HPより)

昆虫の変態 ウィキペディアWikipedia)より
昆虫では、卵から孵化すると、幼虫と呼ばれる形態となる。
幼虫が、生殖能力を有する成虫になる過程で変態を行う。ただし、原始的な種類には変態をしないものもある。昆虫類が変態を行うようになった理由は明らかではないが、一説によれば、古生代 石炭紀から二畳紀にかけての気候の悪化へ対応するため、蛹(さなぎ)の段階を経ることによって寒冷期を乗り切るように進化したためであったという。
完全変態
幼虫が成虫になる際、いったん運動能力を著しく欠いた蛹と呼ばれる形態をとり、蛹から脱皮して成虫が現れる。すなわち、 卵→(孵化)→幼虫→(蛹化)→蛹→(羽化)→成虫 という段階を経るものを完全変態という。チョウ、ハチ、ハエ、カブトムシなどが該当する。これらは、昆虫類の中でも、二畳紀以降に出現した進化の進んだ種族と考えられる。なお、完全変態をする昆虫の中でシリアゲムシが現生では最も古い群と考えられている。蛹は昆虫類独自の形態で、他の動物には同様の形態は見られない。
完全変態を行う種の幼虫は、成体と全く異なった形態である場合が多い。いわゆるイモムシ型やジムシ型などの幼虫である。これらの形は、複雑な形態である昆虫本来の姿とはかけ離れ、節足動物の原初的な形態に近い、単純な外見を示す。生殖のため配偶者を求めて広範囲を移動するのは成虫に任され、幼虫期はあまり動かず摂食と成長に専念するという特化した生活様式に適応しているとされる。

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『「自分」の壁』 養老孟司/著 新潮社 2014年発行
私の体は私だけのものではない (一部抜粋しています)
クビの短いキリンと長いキリンがいて、長いほうが高いところの葉っぱを食べるのに有利だから生き残った。生き残るのに有利な特徴、遺伝子を持つ個体が生き残っていくのだ、という説です。
よくできた、わかりやすいストーリーですし、ある程度はこれで説明がつくように見えます。ところが、実際の生物を見ていくと、どうも自然選択説だけでは説明がつかないことが、とても多い。
私が30年近く前に出した『形を読む――生物の形態をめぐって』(培風館)という本でも、そのことについて書いています。「自然選択説だけでは、生き物の形の進化は説明がつかない」と書きました。「形の進化は」という条件をつけたのは、そうせずに「自然選択説はおかしい」とストレートに書いたなら、たいへんな反発を喰らうことになるからです。ダーウィンを神聖化して絶対視する人が怒り出す。実際に、友人の池田清彦さんは、そういうことをストレートに言って、あちこちで攻撃されてたいへんでした。かなり感情的に批判されたようです。しかし、誰かが感情的な批判をするときは、そのどこかに嘘がある。そんなふうに私は考えるようにしています。
ともあれ、ヨーロッパの学者たちは、かなり長い間、ダーウィンを疑おうとしなかった。ところが最近、ちょっと雲行きが変ってきました。こちらの抱いている違和感を、彼らも持つようになったのです。
たとえば、細胞の研究からわかってきたことがあります。人体は約60兆個の細胞から成っている、とされています。この細胞の中を見ると、変なことに気づきます。細胞の中には核があって、その中に遺伝子もあるということは学校で習ったことがあるでしょう。
問題は、細胞の中には別の変なものが入っている点です。
ミトコンドリアです。ミトコンドリアは私たちの体内で重要な役割を果たしています。酸素を吸い、糖を分解してエネルギーを生む、という仕事はミトコンドリアが一手に引き受けてくれている。
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進化論を説明する時に、よく系統樹というものが用いられます。根元は1つで、どんどん枝分かれしていって、1番上に現在の地球上にいるいろんな生物が並んでいるやつです。下のほうをたどっていくと、別々の生きものがくっついている。
素直な人は、「昔は同じ生き物だったものが、進化の過程で別々の生きものになったのだな。そういう流れで生物は進化して、今の人間はその最先端のところにいるのだ」と納得するかもしれません。
しかし、同じ生きものが別の生きものに分かれることがあるのならば、その逆が起きる、ということは考えられないでしょうか。
虫で考えてみましょう。
虫は成長する際に、変態をします。ごく簡単に言えば、幼虫と成虫で姿が変ってしまうということです。人間のような哺乳類は、変態をしません。赤ちゃんと大人とで姿は変わりますが、基本的なパーツは同じです。
虫の他には甲殻類(エビなど)も変態します。この変態は、不完全変態完全変態とに分けられます。
たとえば、トンボは前者にあたります。ヤゴがトンボに変る際、基本的にヤゴのパーツはトンボにそのまま生きている。ヤゴが餌を噛むときに使っていたアゴは、少しだけ修正が加えられたうえで、トンボのアゴになるわけです。
一方でチョウは後者の完全変態です。モンシロチョウの幼虫が、キャベツなどの葉っぱをかじっているのを見たことがあるでしょう。幼虫の時には、かじるためのアゴを持っているわけです。ところが、チョウになったら葉っぱをかじったりはしません。ストローのような口で蜜を吸います。
どうやったら、かじる口を吸う口に変えられるのか。
その秘密は、さなぎの時期にあります。チョウはさなぎになった時点で、幼虫の時に活動していた細胞を全部1回、スクラップにしてしまうのです。一方で、持っていたkれども、分化させていなかった――簡単にいえば、しまったままの状態だった――細胞を徹底的に増やしていって、新しくチョウの体をつくるわけです。幼虫の時につかっていた内臓も何もかもつくりかえてしまう。
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もともと、チョウの幼虫と成虫は別々の生きものだった。幼虫のほうはキャベツの上をウロウロしていて、成虫のほうは花の上をヒラヒラ飛んでいた。それがあるとき、幼虫の中にチョウが住み着いて「仲良くやろうや」と話をつけた。片方は地面で、一生懸命に食べて太り、もう片方はヒラヒラ飛んで生殖行為に励む、ということで役割分担を決めた。だから幼虫と成虫の形はまったく違うのだ、と。
そんなバカな、と思われるでしょうか。でも、そう考えたほうがわかりやすいという例が生物の世界にはいくらでもあります。

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どうでもいい、じじぃの日記。
本屋に寄ってみたら、養老孟司著『「自分」の壁』があった。
バカの壁』は読んだが、この本も25万部突破のベストセラー本らしい。
バカの壁といい、自分の壁といい、タイトルが気になる。
「もともと、チョウの幼虫と成虫は別々の生きものだった。幼虫のほうはキャベツの上をウロウロしていて、成虫のほうは花の上をヒラヒラ飛んでいた」
一種の「共生」のようなものらしい。
目からウロコでした。