じじぃの「人の生きざま_481_レオナルド・ディカプリオ」

Best Moments of Arnie Grape 動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=tHEw7vxjLbE
Titanic Theme Song ・ My Heart Will Go On ・ Celine Dion 動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=DNyKDI9pn0Q
ギルバート・グレイプ ウィキペディアWikipedia)より
ギルバート・グレイプ』(原題:What's Eating Gilbert Grape)は、1993年のアメリカ映画。ピーター・ヘッジスの同名小説の映画化。レオナルド・ディカプリオアカデミー賞にノミネートされた。
【ストーリー】
自分が生まれ育ったアイオワ州の小さな町から生まれてから一度も出たことがないギルバートには、重い知的障害を持つ弟アーニー、夫の自殺から7年間も家から出たことがない肥満で過食症の母、そして2人の姉妹がおり、食料品店で働きながら家族の面倒を見ていた。そんな時、旅の途中でトレーラーが故障し、ギルバートの町にしばらくとどまることになった少女ベッキーと出会う。
レオナルド・ディカプリオ ウィキペディアWikipedia)より
レオナルド・ウィルヘルム・ディカプリオ(英: Leonardo Wilhelm DiCaprio, 1974年11月11日 - )は、アメリカ合衆国の俳優、映画プロデューサー、脚本家。
【キャリア】
ディカプリオを一躍スターに押し上げたのは、1997年公開の『タイタニック』である。数多くの興行収入記録を塗り替えたこの作品での、悲劇的にして純粋な役柄が生来の端整な顔立ちと相俟ってその名声と知名度が世界規模に飛び火した。日本では各種メディアがディカプリオをレオ様と表現し、文化系と呼ばれる層を中心に厚い人気を持った。
世界でも「レオマニア」と呼ばれる熱狂的ファンが生まれ、1990年代後半を象徴するセックス・シンボルとなった。さらにこの頃サービスが開始されたインターネットにおいても、世界で最もその名が検索された人物となった。

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『人は道草を食って生きる』 赤瀬川隼/著 主婦の友社 2001年発行
「負」の価値を知れば、人は心休まる (一部抜粋しています)
不器用な人間、要領の悪い人間の生き方を描いた映画、というのが与えられたテーマだが、難題である。世のほとんどの映画がそれに当てはまってしまうだろうからである。いや、映画に限らずもともと小説がそうだ。昔から、器用で要領のいい人間、あるいは苦労のないエリートや屈折を知らない成功者を主人公にした作品で面白いもののあったためしがない。というより、そうした作品はそもそも成立しないのである。
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というわけで、与えられたテーマで特定の映画に絞るのは難題なのだが、強引に、ある土地の風土と結びついた2作をとりあげることにする。ある土地とは、アメリカのアイオア州である。とはいうものの僕はまだ行ったことがない。映画や小説で想像するだけだが、そこには何か「負」のイメージを感じる。
アメリカ合衆国と、それについで戦後驚異的にGNPを伸ばした日本は、今や数値がものをいう社会である。いわばGNP社会だ。生産流通量、その効率、給与水準、あるいは学校における偏差値、そうした数値にすべてを還元する価値観を見るにつけ、僕はかつて伝え聞いた三宅島の老女の感想、「お金がないから貧乏だなんて一体だれが決めたんでしょうね」を思い出す。それが、まだ行ったことのないアイオア州のイメージと重なるのである。
スウェーデン人のラッセル・ハルストレム監督がアメリカで作った最新作『ギルバート・グレイプ』はアイオア州が舞台だ。表題は主人公の青年の名前。
人口千人のエンドーラという田舎町から外に出たことがなく、小さなストアで働く24歳のギルバートをジュニー・デップが演ずる。もうすぐ18歳になる弟のアーニー(レオナルド・ディカプリオ)は知能障害を持ち、兄が眼を離しているとすぐ町の給水塔に登ったり奇矯な行動に出る。母は、7年前に夫に先立たれてから一歩も外出しなくなり、過食症で「浜辺に打ち上げられた鯨」のように肥ってしまい家の中を歩くのも容易でない。
映画は、アイオアのひなびた風光のもと(ロケはテキサス州の地勢が似通った地方で行われたそうだが)、ギルバートの負うこの2つの負担を軸にして、一見静かな町の住民の小事件を日常的な手触りで描いてゆく。
そんな町にも、ヴァケーションの季節になると都会からキャンピング・カーの隊列がやってくる。その中に母と2人で来た若い女ベッキージュリエット・ルイス)がいた。ストアの商品を母娘に配達したギルバートは、ベッキーと心の通い合うものを感じた。しかし彼女はまもなく町を去ってゆく存在、ギルバートは母と弟というお荷物を負って町に残る存在である。
弟に優しく面倒を見るギルバートも、弟のあまりにやんちゃと聞き分けのなさについ感情が爆発し暴力をふるってしまう。母がそれを厳しく叱る。ギルバートは気持ちの救いを求めてベッキーのキャンピング・カーに走る。しかしそこには同じ気持ちのアーニーが先に来ていた。
アーニーの18歳の誕生日に、母は静かに息を引き取る。ギルバートは、母親の巨体の亡骸を物見高い人目にさらすまいと、妹たちと家具を持ち出したあと、住み慣れた家もろとも火葬に付すのだった。
アーニー役のディカプリオの動的でやんちゃな演技もすばらしいが、それと対照的に抑制された「静」の演技で、映画全体を、いわば「負」の総体を寡黙のうちに受けとめるギルバート役のデップが実に爽かである。