じじぃの「人の死にざま_1454_劉邦」

項羽と劉邦 予告編 動画 YouTube
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漢王朝

劉邦 ウィキペディアWikipedia
劉 邦(りゅう ほう、前256年(前247年とも)- 前195年6月1日)は、前漢の初代皇帝。
沛県の亭長(亭とは当時一定距離ごとに置かれていた宿舎のこと)であったが、反秦連合に参加した後に秦の都咸陽を陥落させ、一時は関中を支配下に入れた。
その後項羽によって西方の漢中へ左遷され漢王となる。その後に東進して垓下に項羽を討ち、前漢を興した。正式には廟号が太祖、諡号が高皇帝であるが、通常は高祖と呼ばれることが多い。

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史記の風景』 宮城谷昌光/著 新潮社 1997年発行
竜のイメージ (一部抜粋しています)
中国では、竜をみた、と記述されている書物がすくなくない。したがって竜はあながち架空の動物ではないのかもしれない。
その真偽はさておき、「逆鱗(げきりん)」といえば天子の怒りをいうように、王者と竜とがイメージでかさなるようになったのはどうしてであろう。ちなみに逆輪は竜のあごの下のうろこのことで、それにさわった者を竜が殺すといわれている。
中国でもっとも古い王朝であるといわれる夏(か)を、商の湯王(とうおう)が倒したとき、群臣たちが、
――その社を遷(うつ)さんと欲す。(『史記』「殷本記」)
ということがあった。社は夏王朝の神であり、神体は句竜(こうりゅう)とよばれる2匹の竜であった。すなわち社というのは、陸にあがった竜ということができる。その後、商王朝から周王朝まで、竜に至上のシンボルとしての栄誉があたえられることはなかった。
ところが、周王朝は倒れた。倒したのは秦である。秦の始皇帝は戦国時代に大流行した五行相剋(ごぎょうそうこく)の説を採用した。
五行は、宇宙を構成する元素を「木火土金水」の5つとしてあらわしたもので、五行相剋というのは、木は金に負け、金は火に負け、火は水に負け、水は土に負け、土は木に負けるというものである。
王朝をそれにあてはめると、周王朝は火であるとされていたので、始皇帝は当然、秦王朝を水にあてはめた。ここにおいて水の神である竜のイメージは上昇し、最上位に達した。しかしながら秦王朝が短命であったのは周知の通りである。
秦王朝打倒の先陣をきった人物は陳渉(ちんしょう)である。
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――燕雀(えんじゃく)いずくんぞ鴻鵠(こうこく)も志を知らんや。(『史記』「陳渉世家」)
と、いったことは有名である。ツバメやスズメに大鳥の志がわかろうか、といったわけで、陳渉が自分を大鳥になぞらえたことは、周王朝のイメージをひきずっており、かれの革命思想が周王朝の復興にあることを予想させる。が、陳渉の革命は完成せず、つづいてあらわれた項羽と劉邦によって、中国全土は戦乱の海と化し、ついに劉邦が勝った。
劉邦は秦の本拠であった西方を味方につけたこともあり、みずからを秦の後継者であると宣伝し、つねに竜と自分がむすびつくようにイメージづくりをおこなった。劉邦がつくった王朝は漢である。この漢王朝がやがて巨大な版図をえたことにより、シンボルとしての竜も巨大になったといえよう。