じじぃの「神話伝説_39_キニク派(古代ギリシャ哲学)」

Diogenes of Sinope (404-323 BC) Cynicism 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=hhjU4EA_Or0
キリスト教初期の石棺

イエス・キリスト

マタイによる福音書10・5〜15 日本基督教団公式サイト
10:10 旅には袋も二枚の下着も、履物も杖も持って行ってはならない。働く者が食べ物を受けるのは当然である。
http://uccj.org/%E6%9C%AA%E5%88%86%E9%A1%9E/14391.html
正統派キリスト教のイエス 神話と秘儀
キリスト教の神話にも、「堕落・救済神話」や秘儀宗教の影響を受けた部分があります。
エスその人の思想は、ギリシャ哲学の一派のキュニコス派の思想に近いものです。
その思想は、一切の社会的な因習などを否定して、必要最小限の生活をするというもので、宗教的な側面はほとんどありませんでした。
http://morfo.seesaa.net/article/198919922.html
キュニコス派 ウィキペディアWikipedia)より
キュニコス派は、ソクラテスの弟子であるアンティステネスを祖とするヘレニズム期の古代ギリシアの哲学の一派である。シニシズム(シニスム)、キニク学派(キニク派)、犬儒学派犬儒派、犬のような乞食生活をしたから)ともいう。
ヘレニズム期の他の学派同様、倫理哲学にその特色をもつ。禁欲を重視するところではストア派とも通じるが、より実践を重んじ認識論的展開を見せなかった。 無為自然を理想として、現実社会に対しては諦めた態度を取っており、古典期の社会(ポリス)参加を重視する倫理思想と大きく異なる。 シノペのディオゲネスが有名である。

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『イエスの隠された生涯』 マーク・タリー/著、二宮磬/訳 集英社 2000年発行
キニク派――ギリシャ哲学とイエスの相違点 (一部抜粋しています)
隠されたイエスを探求するについては、まったくちがった方向へつながるもう1つの環がある。北イングランドボルトン在住のジュラルド・ダウニング師は、教会運営に忙しいにもかかわらず、暇を見つけてイエスの言葉を研究しつづけている。彼によると、イエスの教えの多くは、一見まったく見当ちがいと思えそうな、古代ギリシャ哲学の一派、キニク派を拠り所にしているという。キニク派の哲学は前4世紀にデイオゲネスによって確立された。彼は黒海沿岸のシノーベーの出身だが、生涯の大半をコリントで過ごした。彼とその弟子たちは放浪の師となったが、その質素な生活ぶりでよく知られ、またそのみすばらしい身なりで容易に見わけがついた。彼らはいつも簡素な黒い外套を身につけ、1本の杖を携えた。通常は食物を入れる袋を持っていたが、着替えの衣類は持たなかった。キニク派が旅へ持っていった荷物――あるいは荷物の少なさ――には、イエスが弟子たちを旅へ送り出す際に与えた指示と共通するものがある。マルコには、イエスが、”旅には杖1本のほかなにも持たず、パンも、袋も、また帯の中に金も持たず……と命じられた”とある。キニク派は、人の真に求めるものとして、自由を強く説いた。自由とは、大半の人間が精力を傾ける富だの名声だのの追及に無縁でいられることを意味した。その追及に成功したとき、獲得したものは満足を与えず、重荷となる。
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キニク派は競走ではなく友情を説いた。彼らはまた、キニクの人間では主人ではないし、他者を主人とも認めない、と説いて権威を否定した。ダウニングはキニク派の哲学者、エピクテトスのことを語った。あるとき、彼は1人の男に、”わたしがおまえの主人であることを示してやろう”と脅された。”ほう”と彼は応じた。”どうしてそんなことが? ゼウスがわたしを自由の身にしたのだ。彼はわが子が奴隷にされるのを黙って見ていると思うのか?”。ダウニングはイエスの生き方がキニク派の哲人といかによく似ているかを説明した。「彼は自分を例にして平易に説いたのです。記録を信じられるものとすれば、彼は質素に暮らし、人々と交わりを持ち、一定の本拠を持たず、軽装で旅をし、従う者たちにもそうせよと勧めています」
エスの教えとキニク派の教えにも明らかな相似点がある。イエスは、”だから、明日のことまで思い悩むな。明日のことは自らが思い悩む”と言っている。また、種も蒔かず、刈り入れもせず、そして――キニク派の見方からすると、さらに大きな意味を持つが――倉に納めもしない空の鳥のことを考えなさい、と弟子たちに行っている。ジェラルド・ダウニングはこう語った。「イエスがキニク派と似てくるのは、おなじように動物の世界を例に引くからです。倉に納めない鳥を例に引いています」
ユダヤの文字には、ギリシャとは対照的に、動物を真似ろと人に説く例があるのだろうか、とわたしは思った。ダウニングはこう答えた。「ありますが、根本的な違いが1つあります。箴言では蟻が徳行の例として取りあげられています。蟻は蓄えをするために一生懸命働きます――鳥とは正反対です」言い換えれば、ユダヤ人の知恵は鳥の自由より勤勉と規律を重んじているということだ。この例からすると、イエスユダヤ人の伝統的考え方よりキニク派の思想に近かったように見える。