じじぃの「人の生きざま_453_赤崎・勇」

赤崎氏ら3人にノーベル物理学賞 青色LED開発 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=1eq6Z9su-oU
赤崎、天野、中村氏にノーベル物理学賞

東京スカイツリー

赤崎勇氏 若い研究者へ「自分のやりたいことをやりなさい それが一番」  2014年10月7日 スポニチ
ノーベル物理学賞の受賞が決まった赤崎勇・名城大終身教授(85)が7日、名古屋市の同大で記者会見し「長い伝統のある、重い賞だ。(自分が)受賞者になると思っていなかった」と述べた。
共同受賞が決まった天野浩・名古屋大教授(54)について聞かれると、「一緒にやってきたので、本当におめでとう」と述べた。中村修二・米カリフォルニア大サンタバーバラ校教授(60)については「非常によい仕事をした」と評価。「この3人で他の賞を受賞したことがある。本当に良かった」と話した。
若い研究者へのメッセージを求められると「はやりの研究にとらわれず、自分のやりたいことをやりなさい。それが一番だ」と励ました。
http://www.sponichi.co.jp/society/news/2014/10/07/kiji/K20141007009063430.html
赤崎勇 ウィキペディアWikipedia)より
赤粼 勇(あかさき いさむ、1929年1月30日 - )は、日本の化学工学者。工学博士(名古屋大学)。文化勲章受章者、文化功労者
天野浩、中村修二と共に2014年度ノーベル物理学賞受賞者。
【人物】
鹿児島県川辺郡知覧村(のちの知覧町、現・南九州市)出身。
神戸工業(現富士通テン)に勤務した後、名古屋大学での学究生活に入って助手、講師、助教授を務め、松下電器産業にて東京研究所基礎研究室長を務めた。1981年より1992年まで名古屋大学教授を務めて定年退官。その後は名城大学教授に就任し、現在は名城大学終身教授、名古屋大学特別教授を務める。
窒化ガリウム (GaN) の結晶化に関する技術を開発し、世界初の高輝度青色発光ダイオード青色LED)を実現させたことで有名である。青色LED関連の特許料を建設費の一部に用いて、名古屋大学東山キャンパス内に赤粼記念研究館が建設され、2006年10月20日に開館した。

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『誰が本当の発明者か』 志村幸雄/著 ブルーバックス 2006年発行
青色発光ダイオード 元祖・赤崎勇と開発者・中村修二 (一部抜粋しています)
発光ダイオード(LED:Light Emitting Diode)は、2つの(ダイ)電極(オード)側に電流を流すと、電気エネルギーが光に変換されて発光する半導体素子である。1962年に米国ゼネラル・エレクトリック(GE)社のニック・ホロニアックが発光に成功し、60年代後半に赤色が実用化されている。その後、黄色、橙色、緑色なども実用化されたが、青色LEDの開発・工業化は遅れていた。研究室レベルで実現していたが、かすかな明るさ(10ミリカンデラ程度)で、しかも紫がかった青色をしていた。そのため、20世紀中の工業化は不可能だとさえいわれていた。
ところが、1990年前後になると、日本の企業や大学の研究者から青色LEDの実用化に向けた成果が相次いで生まれた。それも、もっとも実用化が困難視されていた窒化ガリウム系の化合物半導体で実現し、その光度は従来のものより100倍も明るい。94年には、徳島県阿南市日亜化学工業(以下日亜化学)が世界に先駆けて製品化し、今や世界市場で圧倒的なシェアを誇っている。
青色ができたことで、赤、緑と併せて光の3原色が出揃い、鮮明な大型フルカラーディスプレーが見られるようになった。また、LEDの視認性のよさと長寿命という特徴を生かして交通信号機への採用が進んでいる。日本には2003年時点で約200万台の信号機があるが、LED化しているのはまだ2パーセントに過ぎず、本格的な需要は、むしろこれからなのだ。
LEDは早くから、白熱電球、蛍光灯に次ぐ第3の照明源として期待されてきたが、白色光が得られないことから実用化が遅れていた。それが赤、緑、青の3原色のLEDの組み合わせや青色LED蛍光体との一体化で白色光が得られるようになり、その可能性が一気に高まった。
白色LEDは、すでに携帯電話やデジタルカメラ用小型カラー液晶のバックライトとして利用されているが、今度は中・大型液晶パネルのバックライトや車載用(特にヘッドライト)などにも市場を広げることになろう。2010年頃には家庭用の照明器具としても本格的な採用が見込まれている。
青色LEDが市場に登場した意義は大きく、そのインパクトにも少なからぬものがあった。だが、それにもまして産業界に話題をよんだのが、青色LED開発の立役者の中村修二が、法廷で争った発明対価訴訟問題である。
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わが国でも、松下電器産業東京研究所(現・松下技研)の赤崎勇(現・名城大学教授)が、1960年代半ばに窒化アルミニウムの研究を始め、73年には窒化ガリウムの研究をスタートさせている。赤崎は、この時点で早くも「青色発光は窒化ガリウム」との確信を持ち、これをライフワークにしようと決意している。
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ツーフロー製膜装置は、その名のとおりガスの流れを2つ持ち、横方向から原料ガスの有機金属ガリウムアンモニア、水素を流し、上方向から押圧ガスとして窒素などの不活性ガスを吹き込む。原料ガスを不活性ガスで上から押さえ付けて、安定した高品質の膜を得るのだ。この装置の完成によって、1990年9月には高品質の窒化ガリウム結晶膜、91年3月頃には緩衝層として最適の低温窒化ガリウム緩衝層の作成に成功している。
中村のもう1つの成果は、窒化ガリウム半導体のP型化のアニール(焼きなまし)という熱処理技術を適用したことだ。すでに赤崎らが電子線照射による方法を考案しているが、中村らは600度C前後でアニールすれば、電子線を用いなくてもP型化できることを見出した。
日亜化学が94年に製品化した青色LEDは、このような技術の積み重ねに加え、発光層に窒化インジウムガリウムのダブルヘテロ(二重異種)構造を採用して初めて実現したものである。
こうした経緯を見れば、前人未到青色LEDが、2人の日本人研究者によって生み出されたことは間違いない。事実、赤崎と中村は共にその功績が認められ、IEEEジャック・A・モートン賞、英国ランク賞、朝日賞、武田賞などを共同受賞している。さらに中村は単独でベンジャミン・フランクリンメダル、仁科記念賞、大河内記念賞などを受けている。