じじぃの「人の死にざま_1380_阮恵(ベトナム英雄)」

Quang Trung Hoang de 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=LErjHkZDYvM
ベトナムの英雄 阮恵(グエンフエ)

第5回:グエンフエ通り 〜3兄弟で起こした西山党の乱の英雄、後の光中皇帝〜
グエン・フエの出身地、中部クイニョン(Quy Nhon)のタイソン県にある「クアンチュン博物館/Bao Tang Quang Trung」。敷地内には3兄弟を祭る「西山殿」がある。
http://www.vietnam-sketch.com/archive/column/historicstreet/2009/009.html
阮恵 ウィキペディアWikipedia)より
阮恵(グエン・フエ、阮惠、1753年 - 1792年9月16日)または光中皇帝(越:Quang Trung Hoang de)は、ベトナム西山朝 (Nha Tay Son)の第2代皇帝。子は阮光纉(グエン・クァン・トアン)。
1753年、ベトナム中部のビンディン省のクイニョンに生まれ、1792年9月16日にフエにて脳卒中で亡くなる。40歳であった。1788年から1792年まで、西山朝の第2代皇帝として国を統治した。ベトナム史上最も成功した軍司令官の一人でもある。

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世界史の叡智 - 勇気、寛容、先見性の51人に学ぶ 本村凌二/著 中公新書 2014年発行
阮恵 「逆賊」から「救国の英雄」に (一部抜粋しています)
「戦後」の意味するところは地域によって異なる。第二次世界大戦にあうことの少なかった京都では「前の戦争」といえば応仁の乱をさすという冗談もある。現代のベトナム人なら「戦後」はまちがいなくベトナム戦争以後だろう。
その戦後の時代に教育を受けたベトナムの若者世代にことさら人気の高い歴史上の人物がいる。ベトナム最後の阮(グエン)王朝(1802〜1945年)には「地方の土豪にすいない逆賊」としてさげすまれていた男だったのだが。
16世紀前半、十数代にわたる黎(レ)朝(前期)が実質的に滅亡すると、ベトナムは200余年におよぶ南北構想の混乱期におちいる。南部の阮氏と北部の鄭(チン)氏との闘争がくりかえられた。もともと耕作できる土地が不足していたから農民は貧窮生活を余儀なくされていた。諸侯、官僚たちは贅沢三昧、外国の交易でも賄賂が横行し、農村危機はかえりみられなかった。
ベトナムでは阮という名字はありふれているから、話はやっかいになる。支配一族の阮氏とは異なる阮氏もあり、ベトナム中部の西山(タイソン)を拠点として支配一族阮氏を倒そうと蜂起した3兄弟がいた。
西山阮氏の3兄弟とは、阮岳(グエンニャック)、阮呂(グエンリュ)、阮恵(グエンフエ)のこと。彼らは豪傑らしく、いろんな伝説が残されている。阮岳は敵城を攻撃するときに、みずから檻(おり)に入って敵城に運ばせ、その檻を破って反乱軍を鼓舞したという。阮呂は闘鶏を観察しながら、いかにして弱い鶏が強い鶏を打ち倒せるかについて考えていたという。
末弟・阮恵にいたっては、まず怪力ぶりを示す話がある。100キロの米俵を楽々とかつぐことができたし、大樹を素手でやすやすと引き抜くこともできたらしい。戦場では誰も持ち上げられない銀の槍(やり)を巧みに使って戦うこともできたという。野性の象や馬を数多く捕まえて、武器・食料の補給にあたらせたともされる。声は鐘のように大きく、眼は雷光のごとく鋭かった。知能も高く戦略にすぐれ、軍律も厳しかったが、みずから第一線に立って戦っていた。その姿を見て、全軍の兵士たちは感激して付き従うのだった。
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ところで、南部の支配者だった阮氏一族の諸侯は反乱軍に必死で抵抗したが、敗戦が重なり、係累もふくめてほとんどが死んだ。ただ一人生き残った阮福暎(グエンフックアイン)はシャム(タイ)に亡命して反撃の時をうかがっていた。やがてシャム軍の援助でベトナムに侵攻したが、阮恵の率いる軍団によってあっけなく撃退された。
ほどなく阮恵は北に転じて、旧勢力の要請で反乱軍鎮圧のために侵入した清朝乾隆帝軍をも撃破する。だが3兄弟の間に亀裂がおこり、清朝との対立をつづけるわけにはいかなくなった。使節を送って関係を修復し、阮恵は清朝から安南国王に封じられる。西山王朝を創始して農村再建にのりだし、手工業や交易を奨励しようという矢先だった。不運にも、39歳の阮恵は急死してしまう。白血病だったという。
こののち、機をうかがっていた阮福暎はフランス神父の助言を受けて、最新の武器や技術でまき返しをはかり、1802年、西山王朝を打倒して阮王朝を創建した。だが、この王朝は外国勢力に依存していたせいで、その後の植民地化路線の布石が敷かれた、と今では非難される。
その半面、西山3兄弟、とりわけ末弟の阮恵は、祖国を辱(はずかし)め干渉しようとする外国勢力を撃破した救国の英雄としてたたえられている。歴史観の変遷とともに、あらゆる歴史は現代史になるのだ。