じじぃの「人の生きざま_425_山藤・章二」

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デイ・キャッチOPブック紹介「山藤章二、自分史ときどき昭和史」2014.03.20 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=g36Cm9JukUo
山藤章二のブラック・アングル

山藤章二 ウィキペディアWikipedia)より
山藤 章二(やまふじ しょうじ、1937年(昭和12年)2月20日 - )は、東京都目黒区出身の似顔絵作家、風刺漫画家、イラストレーター、笑芸プロデューサー。タレントや話題の人物を現代の世相に合致させた作風が特徴とされる。
【略歴】
1937年東京府東京市(※ 現在は東京都特別区区域)目黒区生まれ。四人兄弟の二男。父は目黒駅の助役をしていたが、生後4ヵ月で父を亡くし、貧しい母子家庭で苦労して育つ。母は目黒駅の売店(現キヨスク)で23年間働いた。戦争中の1943年、親類のいた三重県疎開したが地元の子供たちからいじめを受ける。戦後に東京目黒へ戻る。
幼少時から寄席通いをして落語に親しんでいたこともあり、笑芸人に対する造詣が深く、笑いについての対談集の刊行や、笑芸のプロデュースを行っている。近年は、1995年より年1回、紀伊国屋ホールにて「寄席山藤亭」という名称で、年に1回、山藤のプロデュースによる笑芸人の公演を行っており、立川談志イッセー尾形の独演会などを企画している。
阪神タイガースファンとしても有名。「ブラックアングル」にも阪神絡みのイラストは多い。
朝日新聞の似顔絵イラストも担当しており(1974年から現在まで)、1996年にはこれらを集めた『山藤章二の顔辞典』(朝日文庫)が発売された。

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『自分史ときどき昭和史』 山藤章二/著 岩波書店 2014年発行
売れてきた (一部抜粋しています)
”俺の絵”が世の中に浸透し出したのを機に、良い意味でも悪い意味でも、身近の風景が変わった。
初期の目標だった、「絵が知られる」「名前が知られる」「発言が注目される」「人間関係が広がる」といった希望は着実に実現していった。が、そこまではまあ、自分の領域(テリトリー)である。力士でいえば勝ち越しの場所を重ねているうちに、平幕上位を経て、三役入りを果たしたといったほどの実感である。
想定外だったのは土俵外の仕事がふえていったことだ。よくは知らないけど力士も人気が出てくると、ご贔屓(ひいき)すじの座敷に招ばれたり、手形色紙を書かされたり、歌を唄わせられたりと、断れないつき合いが大変だと聞く。で、力士は別名”男芸者”と呼ばれるらしい。われわれの仕事ではまさかそこまではしないが、ほんの少々、それに近い雰囲気を感じはじめた。
入院しているときにそれを感じた。
一絵かきがそっと入院したところで広く知れわたったり、見舞客が賑わいを見せることなんてことはまず無いだろう。ところが私が入院していると、見知らぬ媒体のひと、畑違いの業界のひとが、次から次と現れるのである。
「ご療養中のところ申しわけあありませんが」と一応無礼を詫びながらも、名刺を出して用件に入る。
「新しい週刊誌が出るので、その表紙を……」
「対談のホストをお願いしたく……」
     ・
私ぁ、まだ克服していない。笑うのに傷口が裂けないように押えているさ中だ。
全部が全部、悪意やひやかしではないだろうから、元気になったら考えさせていただきますと答えておいた。それにしてもマスコミ人の嗅覚というやつは凄い。ちょっとでも、”目立った存在”や”珍なる人材”が現れると忽(たちま)ち寄ってくる。
われわれのような地味な”文化ジャンル”に於いてさえそうなのだから、これが”芸能ジャンル”となると、はるかに人材発掘業務は熾烈だろう。テレビを見ていると、よくもこれだけの珍材を見つけ出してきたと感心することがある。最近では、マツコ・デラックス有吉弘行。彼らの放送コードぎりぎりの毒舌はテレビの中の「芸」だと感心している。
40年前、私は病室にいて、ほんの少々だがそれを体験した。いろいろなアタックがあり、玉石混淆ではあったが、中にはその気にさせるものもあった。
そもそも、私の胸中に芽生えた野心はといえば”俺の絵”で世の中にアピールしたい、である。”俺の絵”とは”自己顕示欲”であり、”目立ちたい”であり、”出たがり”であり、”好奇心”である。それらの差は僅少である。繕って言うか言わないかの違いだけである。聖人君子は”俺の絵”などという言葉を口にしない。俗人の言である。
退院をして体調が戻ったところで、俗人はいくつかの”好奇心”を満足させてみた。
「対談のホスト」をやってみた。
「クイズ番組」に出てみた。
「ラジオのコメント」をやってみた。
「新聞の分化時評」をやってみた。
いくつかはやってタメになった。いくつかはやってコリた。
収穫の一番は対談。「小説現代」誌で九鬼周造「『いき』の構造」をもじって「『笑い』の構造」をやった。
すべて私が話したかった人ばかりに出てもらった。
 横澤彪色川武大谷岡ヤスジ小沢昭一村松友視南伸坊澤田隆治糸井重里倉本聰田辺聖子高田文夫長部日出雄 (『対談 「笑い」の構造』)
 タモリ高橋章子古舘伊知郎春風亭小朝、高橋春男、所ジョージ景山民夫イッセー尾形、川崎徹、加藤芳郎森田芳光吉行淳之介 (『対談 「笑い」の解体』)
 立川談志なぎら健壱上岡龍太郎黒鉄ヒロシ吉川潮伊東四朗せんだみつお清水義範亀渕昭信清水ミチコ高田純次井上ひさし (『対談 「笑い」の混沌』)
以上36名。すべて笑いについて一家言あるひとばかりで、私にとって大きな財産になった (講談社の単行本および文庫に収録)。
対して「クイズ」や「コメント屋」はタメにならなかった。電波は「個人的異見」や「少数派異見」はダメというのが基本的姿勢なので面白くなかった。収穫なし。
それでも地味な挿絵だったらまず会えないだろうと思う。分野の違う人と、先方からの希望で会えたことは面白い体験だった。
 向田邦子桃井かおり曽野綾子阿川佐和子大原麗子高峰秀子盛田昭夫津川雅彦稲尾和久落合博満江川卓松本人志久世光彦岸田秀佐高信、安倍譲二、桂米朝ほか