じじぃの「人の死にざま_1321_浅野・総一郎」

浅野総一郎 - あのひと検索 SPYSEE
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京浜工業地帯と浅野総一郎

デイ・シイ セメントサイロ 川崎市川崎区
デイ・シイ川崎工場は大正6(1917)年に浅野セメント(株)川崎工場として操業を開始しました。その後、隣接するJFEスチール(株)から発生する高炉スラグを利用したセメント製造法を開発し、昭和16(1941)年に浅野セメントから独立、新会社を設立しました。長らく第一セメントとして操業し、平成15(2003)年に中央商事と合併して(株)デイ・シイとなりました。
http://www.city.kawasaki.jp/kawasaki/page/0000029249.html
『九転十起 事業の鬼・浅野総一郎』出町譲 読書メモ
京浜工業地帯を築き、「日本の臨海工業地帯開発の父」「明治のセメント王」などと呼ばれている事業家、浅野総一郎の伝記物。
http://shosugi.com/2014/01/24/kyutenjikki/
浅野総一郎 ウィキペディアWikipedia)より
浅野 総一郎(淺野總一郎 あさの そういちろう、1848年4月13日(嘉永元年3月10日) - 1930年(昭和5年)11月9日)は日本の実業家。一代で浅野財閥を築いた。
【功績】
1914年(大正3年)には鶴見埋築株式會社(現・東亜建設工業株式会社)を創立し、鶴見で東京湾の埋め立てをはじめるなど、京浜工業地帯の形成に寄与し、「日本の臨海工業地帯開発の父」、「明治のセメント王」と呼ばれた。
海運の岩崎弥太郎の牙城をくずすべく、共同運輸会社の設立に参加した。京浜工業地帯の埋立地に鶴見臨港鉄道(鶴見線の前身)を設立し、浅野駅にその名を残す。終点の扇町駅がある「扇町」の地名も、浅野家の家紋の扇に因むものである。また、小倉市(現:北九州市小倉北区)の埋め立て工事も行い浅野の地名が残る。群馬県渋川市に建設された水力発電所・佐久発電所に浅野の妻・佐久の名が残る。また、南武線、留萠鉄道、五日市線の運営にも携わっている。札幌のビール事業の払い下げを政府から受けた大倉喜八郎渋沢栄一を加えサッポロビールを設立。
戸畑区戸畑鋳物と共同で自動車開発を行い後の日産自動車の基礎を築いた。

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報道ステーション 2014年3月25日 テレビ朝日
【司会】古舘伊知郎 【コメンテーター】出町譲(作家)
▽100年後を見据えて…変貌する京浜工業地帯
今から100年前、川崎−鶴見間が埋め立てられ、京浜工業地帯の歴史は始まった。
造船、製鉄、石油化学など、日本の高度経済成長を支えてきた。その中核をなすのが、川崎臨海部だ。原発事故以来、エネルギー転換を迫られている日本。温暖化問題など、二酸化炭素削減も求められているなか、ここに地球温暖化防止の切り札となる“水素”を使った発電所が建設される。水素は、石油や天然ガスと違い、燃やしても二酸化炭素が出ない究極のクリーンエネルギーだ。しかし、水素は、酸素のように天然には存在せず、天然ガスなどから取り出さなければならない。取り出した水素は、気体のため、運ぶことが困難だ。
海外で石油・天然ガスのプラント建設を手掛ける千代田化工建設は、水素を液体化して体積を500分の1にして輸送を可能にすることに成功。さらに、これまで液化した水素を気体に戻す技術がなかったが、10年を費やし、その技術の開発も成功させた。公害問題も引き起こした場所が、今、環境技術で世界をリードするエコエネルギーの拠点になろうとしている。日本のエネルギー戦略の切り札“水素”の最前線を取材した。
http://www.tv-asahi.co.jp/dap/bangumi/hst/news/detail.php?news_id=37953
3月25日 テレビ朝日 報道ステーション 特集「100年後を見据えて…変貌する京浜工業地帯」より
「世界初」水素発電所建設へ・埋め立て100年京浜新時代
コメンテーターの出町譲さんは『九転十起 事業の鬼・浅野総一郎』という本を出した。
水素の一大プロジェクトが始まる川崎臨海部には「日本の未来図」がある。
京浜工業地帯は100年前に浅野総一郎(1848 - 1930)が川崎‐鶴見間150万坪を埋め立て巨大な港を造る構想を描いた。
1917年に浅野セメント川崎工場としてスタートした。現在は、京浜工業地帯はエネルギーの一大拠点に変貌した。
公害問題から、二酸化炭素削減のための環境最先端技術が集約している。大気汚染問題について、企業側は環境技術開発で公害問題を克服していき、同時に官民で二酸化炭素問題を取り組むきっかけとなった。今でも臨海部の現場責任者同士の企業交流会が続いている。
現在東燃ゼネラルでは、ライバル会社と企業連携を図っており、東亜石油には不要となった重質油を安価で提供し、JX日鉱日石からは水素を安価で調達しているという。また、東京電力 川崎火力発電所は蒸気を周辺10社に安く提供し、年間3.7万tの二酸化炭素削減に成功している。環境問題で絆を深めた企業は行政も支えている。
千代田化工建設は気体のため運ぶことが困難な水素をトルエンに溶かし、液体にして運びやすくした「スペラ水素」を開発した。
500分の1の体積にして輸送が可能で、液体なので爆発の危険性もないという。しかし、液体を水素に戻すということが出来ないため、いかにして水素に戻していくかを、世界中の科学者が挑戦している。千代田化工の岡田佳巳技師長は10年を費やし、世界で初めてその技術開発に成功した。
古舘さん、「千代田化工の岡田さんは2つすごいです。まず、水素を液化して運べるようにする。さらに今度はそこからまた水素だけを取り出す。この2つ、この10年かけて」
出町さん、「そこには岡田さん自身の夢があったと思うんです。今回取材して、それと本を書いたことを含めて考えてみますと、浅野総一郎さんも誰もできないといわれていた夢を描いて、日本を輸出立国にした。同じように岡田さんも相当、困難だといわれている水素というものをいかに普及させるか、こういう作業を今成し遂げようとしているんですね」