じじぃの「コンスタンチノープルの攻防・鉄砲・大砲を作ったのはどこの国?雑学大全」

Le Siege de Constantinople 1422 Total War 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=8c3cBeWeUek
コンスタンティノープル聖母マリア教会の嘆き 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=xbWManTEZe4
テオドシウスの城壁

オスマントルコが使った大砲と石の砲弾

西部トルコ(1)
東ローマ帝国からオスマントルコ帝国への歴史を刻む大都市
テオドシウスの城壁
イスタンブールの旧市街を取り巻く城壁を外側から見たもの。テオドシウス1世(349-395)の時代に建設を開始し、幾度も改築された。壁は3重になっており、大きいところでは高さ17m、幅60mもある。全長10km。1453年5月29日の夕刻、オスマントルコ軍によるコンスタンチノープル陥落のときに、トルコ軍がこの壁を破壊し、怒涛のごとく城内へなだれ込んだ様は、塩野七生の著書に生き生きと記されている。
http://www.nishida-s.com/main/categ2/wturkey-1/wturkey-1.htm
ウルバン砲 ウィキペディアWikipedia)より
ウルバン砲は、オスマン帝国が1453年のコンスタンティノーブル攻略戦で使用した大砲。「ウルバンの巨砲」とも呼ばれる。
名前は開発者である15世紀のハンガリー人、ウルバン(英語版)にちなむ。ウルバンは当初東ローマ帝国側に大砲を売り込んだが、拒絶された(しかも牢獄に送られた)ためにオスマン帝国に与したと言われている。
コンスタンティノープルの防御の要であるテオドシウスの城壁を撃ち破るために戦いに投入された。ウルバン砲の鋳造はエディルネで行われ、その砲丸に使う石は黒海方面から運ばれたといわれる。約8メートルの長さがあり、通常はある程度部品を分離した状態で運搬し、戦闘時には連結するようになっていたと推定される。発射される砲丸の重さは500キログラム以上になり、射程・威力共に当時の火砲を上回るものだった。

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137億年の物語 「日本は鉄砲大国だった!」 (追加) 2014年7月19日 テレビ東京
【出演者】寺脇康文相内優香宮崎美子
ポルトガルリスボン軍事博物館には江戸時代に作られた日本製の火縄銃がある。
ポルトガル人が日本に鉄砲が伝えられた。
種子島時堯(ときたか)は鉄砲2丁を約1億円で購入。火薬の調合を家臣に学ばせた。
鉄砲づくりを学ぶためにポルトガル人に嫁いだ若狭から名づけられた船・プリンセスわかさが運行している。種子島の鉄浜海岸の砂鉄が、鉄砲作りに使用された。
種子島開発総合センターには、日本で製造された鉄砲など約100丁が展示されている。

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137億年の物語 「オスマン帝国東ローマ帝国を滅ぼす」 2014年3月8日 テレビ東京
【出演者】寺脇康文相内優香、その他
●歴史の主人公【メフメット2世と史上初の武器商人】
15世紀後半、東ローマ帝国の首都・コンスタンチノープルをめぐり、ローマ側とオスマン帝国のメフメット2世が対決しました。
奇想天外な作戦でメフメット2世は勝利するのですが、この戦いの裏である人物が大きな役割を果たします。それは歴史上初めて登場した武器商人・ウルバン。戦いの帰趨の大きなポイントとなったウルバンの暗躍とは?
http://www.tv-tokyo.co.jp/137/backnumber/index.html
『もののはじまり 雑学大全 どこを読んでも必ず誰かと話したくなる!』 なるほど倶楽部/編 だいわ文庫 2013年発行
鉄砲を作ったのはどこの国?
鉄砲のルーツは、8世紀末から9世紀初頭に唐で開発された。飛発という簡単な銃に遡ります。15世紀になると、これが火縄銃に進化しました。
鉄砲が日本に伝来したのは、1543年。中国船に乗ってきたポルトガルの商人が種子島に到着し、火縄銃2丁と製造技術を日本に伝えました。当時、鉄砲のことを「種子島」と呼んだりしたのは、このためです。

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どうでもいい、じじぃの日記。
ぼけっと、『もののはじまり 雑学大全 どこを読んでも必ず誰かと話したくなる!』を見ていたら、「鉄砲を作ったのはどこの国?」があった。
「鉄砲のルーツは、8世紀末から9世紀初頭に唐で開発された」
鉄砲というと、回転式連発銃を思い浮かべるが、黒色火薬の発明は中国らしいから、もともとの鉄砲とか大砲も中国人が発明したのかもしれない。
3/8、テレビ東京 『137億年の物語』で「オスマン帝国東ローマ帝国を滅ぼす」を観た。
1453年、オスマントルコ帝国が東ローマ帝国を滅ぼした。
そのとき、登場したのが巨大な大砲だった。
史上初の武器商人ウルバン(ハンガリー人)がローマ軍とオスマントルコ軍に巨大な大砲を売り込んだ。
ローマ軍の司令官コンスタンティノス11世はこの大砲を高いとして買わなかったが、オスマントルコ軍の司令官メフメット2世は買った。
巨大な大砲は長さ4メートル、重さ15トン、弾の石が1トン近くもあったという。
番組ではコンピュータCGで、大砲がコンスタンティノーブルのテオドシウスの城壁を打ち砕く映像が出てきたが、実際はどんなものだったのだろうか。
戦争と言えば、死の武器商人がちらつく。
1453年のコンスタンティノーブル攻防戦が近代戦争の幕開けだったのかもしれない。