じじぃの「人の死にざま_1311_湯木・貞一」

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松花堂弁当

「吉兆」と湯木貞一さん 日々是好日
「暮らしの手帖 第2世紀」に湯木貞一さんが「吉兆つれづればなし」を毎号掲載しており、食いしん坊の私はよく目を通したものである。
http://blog.goo.ne.jp/lazybones9/e/3cb823e7374aad466c6301fa844bf5cb
湯木貞一 ウィキペディアWikipedia)より
湯木 貞一(ゆき ていいち、1901年(明治34年)5月26日 - 1997年(平成9年)4月7日)は、日本料理の名料亭「吉兆」の創業者。日本文化に対する高い見識を料理に取り入れ、日本料理界の地位向上に貢献し、料理業者として史上初めて文化功労者となった。
【略歴】
1901年、神戸市花隈(現・中央区花隈)の鰻料亭「中現長」(現存せず)の跡取り息子として誕生。
30歳の時に家出同然で独立、大阪市新町(現西区新町)にカウンターのみの割烹料理屋「御鯛茶処 吉兆」を開いた。これが吉兆の始まりである。ただ、開店当日、客は0人だったという今では信じられない逸話が残っている。その後、クチコミで評判が広まり、固定客もついて経営は安定する。
松花堂弁当の発明者としても有名である。
晩年になっても健啖家ぶりは衰えず、88歳の時に出演した「料理天国」では「フランス料理のフルコースが好き」と公言していた。

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文藝春秋 2014年1月号
世界が驚愕した日本人54人 湯木貞一 「松花堂弁当」の発明 【執筆者】元湯木美術館主任学芸員 末廣幸代 (一部抜粋しています)
<季節の風情を大切にし、床の軸や花はもちろん、器に至るまで心を配り、たとえば、今日1日、その日だけしか掛けられないという軸でもとなす。料理を含めてこんな高度の楽しみ方のできるのは、世界中で日本料理しかない>(『吉兆 湯木貞一 料理の道』)
私が面接を受けたとき、湯木は85歳であったが、穏和でハイカラな雰囲気が印象的であった。それから湯木が亡くなるまでの約11年をお供した。
美術館については「茶の湯にさして興味のない人が展示室を出た時に、『日本の文化はいいな、茶の湯はいいものだな』と思っていただけるような展示をしてください」「品格のある美術館でありたい」と話しただけであった。
湯木は美に対する感性が非常に鋭かった。展覧会の展示を一緒に見て回るのが恒例で、いつも黙ってケース内の展示を眺めていたが、私自身が納得していないケースの前に来ると、じっと眺めて「どうしたん?」と必ず問われた。一瞬にして見抜かれてしまう。考えを述べると「解りました」とだけ。見終ると「結構でした。ありがとうございました」というのが常だった。何時の場合も細かいことは言わず、指示もない。基本線を示すだけで、後は当人の判断や考え方に任せるという考え方であったように思う。
湯木は神戸の料理屋「中現長」の一人息子に生まれ、15歳で料理の道にはいった。平板な会席料理に飽き足らなさを感じていた25歳の時、大名で茶人であった松平不昧の『茶会記』に出会う。四季折々の風情を生かす懐石(茶の湯で供される料理)の魅力を知り、料理に生涯をかける決意をした。
昭和5年、29歳で独立。大阪で「御鯛茶処 吉兆」を開業した。当初はお客が無い日もあったが、包丁の冴えた美しい料理に「吉兆」はたちまち評判の店となった。
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77歳の時、入江泰吉の写真による『吉兆』が刊行された。その撮影の前に湯木は入江に「味は前でも後でもない、右や左でもない、これという一点があります。その味を写していただきたい」と話した。『吉兆』の写真にある料理や器がそっくり真似られることも多くあった。湯木はそれが日本料理の底上げになるならと、「真似されてもよろしい。そしたら、もう一歩先のことを考えたらよろしい」と気にもしなかった。料理に対する探究心は日本料理全体をも眺めていた。
ちなみに、「松花堂弁当」も湯木が考案したものである。昭和8年京都府八幡市にある松花堂昭乗石清水八幡宮の社僧)の遺跡を訪れた際に、四角の煙草盆を譲り受けた。それを料理の器にしたいと試行錯誤した。煙草盆のふちを高くし、左右の寸法を縮めて底面積を4分の3にして被せ蓋をつけ、褐色の色を黒塗りに替え、仕切りの中の右上には円い朱塗りの器、左下には四角い藍色の焼物をいれて、美しさと利便性を兼ね備えた弁当箱を完成させた。これは次第に日本中に拡がり、誰もが知る器となった。自らの手柄を語ることのなかった湯木であるが、松花堂弁当については「こんなに喜ばれるとは思いませんでしたな。この弁当箱の工夫はちょっと自慢して良いものだと思いますな」と話したことがあった。

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湯木貞一 Google 検索
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