じじぃの「世界遺産・古代ケルト人・ヨーロッパ巨石文化・ストーンヘンジ!過ぎゆく日暦」

世界遺産 ストーンヘンジ 動画 YouTube
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Stonehenge 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=E_OZHCH5ffc
ケルト人のC.W.ニコルさん

ストーンヘンジ 世界遺産 Google 検索
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世界遺産ライブラリー [ストーンヘンジ] NHK世界遺産
イギリス南部ソールズベリー平原に立つストーンヘンジ。多くの人に知られていながら、その正体が未だに分らない先史時代の遺跡です。4〜5千年前に造られたもので、太陽との位置関係から古代人の天文観測所、又は太陽崇拝の神殿ではないかといわれます。
「シリーズ世界遺産100」では、最新の調査から導かれた新しい学説を元にして、巨石の謎に迫ります。イギリス各大学の共同チームはストーンヘンジとその周辺を発掘調査し、新たな発見をしました。ストーンヘンジの地中には沢山の人骨が埋まっていることが分ったのです。考古学者のピアソン教授は、ストーンヘンジは最大の埋葬地であり、死者や祖先を弔う神聖な場だったと推測します。数キロ離れた場所にはウッドヘンジという遺跡があり、ここにはストーンヘンジそっくりの形に木の柱が組まれていたと思われます。ストーンヘンジとウッドヘンジは対になった重要な施設であり、古代人の生と死に対する考え方が石と木に表されていると、教授は言います。
http://www.nhk.or.jp/sekaiisan/card/cards585.html
『石油に頼らない―森から始める日本再生』 養老孟司/著、日本に健全な森をつくり直す委員会/著 北海道新聞社 2010年発行
日本が一番好きだ 【執筆者】C・W・ニコル (一部抜粋しています)
僕が泣いたのは、ひとつには、悔しかったからです。こんないいブナ林があるのか。わがケルト人は自らを"森の民族"と言っていたのに、なぜ森を残してくれなかったのか。「なぜ、もっと戦って、森を残してくれなかったのか!」それが悔しかったのです。
もうひとつは、うれしかったのです。僕がこの美しいところに入れた。ほかのウェールズが入ってない。この天国――エデンの園のようなところを見たことないだろう。本当に日本に「ありがとう」という気持ちでした。僕を案内してくれた先輩たちにも、感謝でいっぱいだったんです。
その時から、僕は、「日本を愛してしまった」のです。
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僕が「日本が一番好きだ」と言うと、日本人は不思議に思うようですが、日本のように美しい国はほかにはありません。北には流氷があり、南には珊瑚礁がある。海岸線を測ったら、アラスカを入れなければアメリカよりも長い。言論の自由がある。宗教の自由だけでなくて、宗教からの自由もある――これが僕にとって、すごく大きなことです。それから、僕は格闘技が好きです。エチオピアでは、人の血も、自分の血も、森を守るために流してきました。しかし、僕はみなさんと同じように戦争を憎んでいます。僕が生まれた国は、今でも戦場に物を送っています。でも日本は、あの戦争がおわってからずっと平和を守っています。僕はケルト人です。ケルトの国がゲルマン人に支配されました、アイルランドだけは残りましたが、そのアイルランドも分裂していて、いつまたテロ行為が起こるかわからない状態です。僕の故郷であるウェールズアングロサクソンに支配されています。僕はアングロサクソンでも、外国人でもなく、いまはケルト系日本人です、本当に日本が好きだから、日本国籍をとって日本人になったのです。

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『過ぎゆく日暦(カレンダー)』 松本清張/著 新潮社 1990年発行
ヨーロッパ巨石文化の展望 (一部抜粋しています)
古代ケルト人の宗教は、体系づけられるほどにはわかっていない。それは現在ケルト人の子孫がいちばん濃厚に遺っているアイルランドと英国のスコットランドウエールズ地方の神話を採集した結果である程度その輪郭を描くことができる。だが、それも百科事典の1ページ以上の知識を出ることはない。
ケルト人は文字を持たず、伝承はすべて口伝で継承された。記憶だけの伝承は、ヨーロッパ各地でケルト人の混血が行われるにしたがって、その体質までまったく違ったものに変化した。カエサルの『ガリア戦記』にはケルト人は金髪、碧眼の人種として描かれているが、いまのケルト系の人々は黒い髪と茶色の眼である。彼らの神話もその漂白によってそれぞれの地方の神話が混入し、その純粋性は求め得られなくなっている。
ケルト人は前3000年に起源をもち、前2000年ごろには高度な文化を持っていたことが知られている。かれらは共同の文化、共同の言語、共同の生産に従い、共同の戦闘組織力を持っていたといわれている。
かれらの本拠はオーストリア中部で、ザルツブルクの南東の湖岸で岩塩の鉱山を持ち、この塩を求めてくる近隣諸域と交易した。しかし、ギリシャやローマの文化の外にあったので、アルプスの向こう側にいる野蛮人(化外の民族)だといわれた。かれらのひろがりは、ユーゴスラヴィアチェコスロバキア人、ポーランドの西部、ドイツ南部、スイス、フランスなどの遺跡に見られる。
ハルシュタット文化青銅器時代終末期から鉄器時代の初めだが、それをうけついだつぎのラ・テーヌ文化は鉄器時代のⅠ期で、やはりケルト人の文化が濃厚だとされている。
かれらは鉄製の武器、黄金製の装身具、鉄製の戦車を持って戦力にすぐれていたことが発掘品などから知られているが、その大きな特徴は死者を仮想にすることと、墓所を高塚にすることとである。
――ケルト系の伝承によると、死者は別の世界へ永遠に去ったのではなく、長い人生行路の中で大休止をとっているだけだという考え方がある。その休息が済むと、かれらはふたたび活動し、現世界の中に戻ってくるか、または隣の別荘地のような楽園で暮らしている、と信じられている。その楽園はときに海の底であったりする。ケルト人の子孫の分布の濃いアイルランドの神話にはそういうのがある。
ケルト系の民族は前も云ったとおりアイルランドスコットランドウエールズに多いが、アイルランドの南部にはケルト語系のゲール語が民族語として話され、英語では理解されにくい。
これをアイルランドでは長いあいだイングランドに対する抵抗の武器にしてきたほどである。アイルランド共和国と対い合うウエールズでも民族語が話され標準英語を拒否してきた。
ローマ軍によって蹴散らされたケルト人はヨーロッパのいたるところを漂白して諸所に定着した。ヨーロッパの地名でケルト語に因縁のあるものはどれだけあるかしれないし、その風習にもケルトも欠片(かけら)がはめこまれているという。ヨーロッパはケルト人がつくったといってもよいと極言する学者すらある。かれらはアメリカにも渡っている(アイルランド人のボストン移住)。
――ウエールズの南に隣り合うソールズベリ平野には、多数の巨石建築物が蝟集している。その中のエーヴベリーとストーンヘンジに自分たちは行ったわけだが、一般の日本人旅行者はストーンヘンジには気楽に出かけても、エーヴベリーのストーンサークルまではめったに行かない。また一般書もエーヴベリーのことは載せていない。
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ケルト人が、ストーンヘンジやエーヴベリーなどの巨石建築物の建設者とは考えられない。巨石遺構は北欧のジーランド島からスコットランドのオークニイ島、イングランドの西南部にあるソールズベリ平原、ならびにアイルランドにかけて散在しているので、巨石文化の担い手は紀元前2000年ごろに海辺や川沿いに住む人々であったろう。それを後来のケルト人(かれらは先住者としだいに混血した)がかれらの宗教施設として利用できるものは利用したと思われる。

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どうでもいい、じじぃの日記。
ちょっと古い本だが、松本清張著 『過ぎゆく日暦(カレンダー)』という本を見ていたら、「ヨーロッパ巨石文化の展望」というのがあった。
ストーンヘンジは中世ヨーロッパ人の世界七不思議の1つだった。
今でもどんな民族が造ったのか、分かっていないのだそうだ。
ケルト人が、ストーンヘンジやエーヴベリーなどの巨石建築物の建設者とは考えられない」
ケルト人と言えば、C・W・ニコルさんを思い出した。
なんとなく、彼のご先祖様が造ったような気がするのだが。
イギリス南部ソールズベリー平原に立つストーンヘンジ遺跡とその周辺は、30kmほど離れたエーヴベリーの遺跡群と合わせ、1986年にユネスコ世界遺産に登録された。