じじぃの「悲劇の少年王の実像・王のサンダル(履物)!ツタンカーメン」

King Tut: Video Preview 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=VnTwvLcwTrY
kings of Egypt (Valley of the Kings)1\6 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=TrRpz-dnny4
地中海 海の民

黄金のマスク

寄木細工で作られたツタンカーメンのサンダル

ツタンカーメンのミイラと神官アイ

ファラオ 副葬品 サンダル Google 検索
https://www.google.co.jp/search?espv=210&es_sm=93&tbm=isch&source=univ&sa=X&ei=awaoUoDaOon3oAT4p4DoBw&ved=0CEoQsAQ&biw=975&bih=602&q=%E3%83%95%E3%82%A1%E3%83%A9%E3%82%AA%20%E5%89%AF%E8%91%AC%E5%93%81#es_sm=93&espv=210&q=%E3%83%95%E3%82%A1%E3%83%A9%E3%82%AA%20%E5%89%AF%E8%91%AC%E5%93%81%20%E3%82%B5%E3%83%B3%E3%83%80%E3%83%AB&tbm=isch
ツタンカーメン ウィキペディアWikipedia)より
ツタンカーメン(トゥトアンクアムン、Tutankhamun。紀元前14世紀、紀元前1342年頃 - 紀元前1324年頃)は、古代エジプト第18王朝のファラオ(在位:紀元前1333年頃 - 紀元前1324年頃)。
ツタンカーメンの墓】
ツタンカーメンのミイラと、黄金のマスクをはじめとする数々の副葬品はエジプトに残された。そして、黄金のマスクや純金製の第3人型棺をはじめとする副葬品の大半は、現在はカイロにあるエジプト考古学博物館に収蔵されて観光客に公開されている。

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世界ふしぎ発見 「古代エジプト続々新発見SP」 (追加) 2014年10月11日 TBS
【司会】草野仁出水麻衣 【解答者】黒柳徹子野々村真ブラザートム山里亮太永瀬匡清水富美加 【レポーター】竹内海南江
最新技術によって明らかになった古代エジプトの新事実とは?
エジプト女性研究者、「ツタンカーメンの男性器は興奮した状態にされていました」
ツタンカーメンのペニスは勃起した状態でミイラ化されていたそうです。
http://www.tbs.co.jp/f-hakken/bknm/20141011/p_1.html
林修今でしょ!講座 2014年9月2日 テレビ朝日
【出演者】林修宇佐美佑果中島健人天野ひろゆき、【講師】吉村作治
ツタンカーメンを誰が殺したのか?
吉村さんは神官のアイと将軍のホルエムヘブという人物が毒見をしないワインに毒物を混入し殺したと主張している。
吉村さん、「実はね、ツタンカーメンのお棺の中に矢車草が入っていた。つまり、矢車菊が棺に入っていたという事は矢車菊が咲く時期より70日前にツタンカーメンが死んだ事を意味します」
この頃に行われるある行事がツタンカーメンの死の謎を解く鍵になるのだと言う。
ツタンカーメンの部下だった神官のアイと将軍のホルエムヘブが、ワインに毒を盛り暗殺した。
そのホルエムヘブは第18王朝最後のファラオとして、そしてホルエムヘブが自分の後継者として指名したラムセス1世が第19王朝の最初のファラオになった。
http://www.tv-asahi.co.jp/imadesho/
地球ドラマチック 「ツタンカーメンDNA大解析(2)謎の死因に迫る」 2014年4月26日 NHK Eテレ
【語り】渡辺徹
2010年に行われたDNA鑑定により、ツタンカーメンアクエンアテンと彼の妹であり妻でもあった女性の間に生まれた息子だと発表された。
http://www4.nhk.or.jp/dramatic/
ツタンカーメン - 「悲劇の少年王」の知られざる実像』 大城道則/著 中公新書 2013年発行
王のサンダル (一部抜粋しています)
ツタンカーメン王とともに埋葬された遺物には、王に相応しい豪華で絢爛な副葬品が数多く知られている。金箔を施した王像や神々の像、王の姿をしたウシャブティ(来世において農作業や賦役労働が求められた際に、死者の代理を務めた小像)、ベッド、厨子玉座などの調度品、宝飾品、そしてゲーム盤や船の模型にいたるまでが、王の死後の安寧を願いミイラとともに埋葬されたのである。
そのなかに、100点ほどのサンダル(履物)が含まれていた(Veldmeijer)。それらのサンダルのほとんどは、皮革製のものやパピルスで編まれたものであったが、それ以外にも実際に王のミイラが履いていた黄金製のサンダル、ビーズで編まれた精巧なもの、ベニヤの寄木細工で作られた見事なサンダルがよく知られている。特に最後に挙げて寄木細工のサンダルには、エジプトでしばしば見られる図像が用いられていた(画像 参照)。そこには、左右ともにヌピア人とアジア人の外国人捕虜が、背中合わせで後ろ手に縛られている様が描かれていたのである。2人の捕虜の上下に、古代エジプトで伝統的に敵を意味する9本の弓(九弓の敵)が描かれていた。一般的に椅子の足置きや建物の階段部分に同様の図像が使用された。このことはエジプト王たるツタンカーメンが外国の敵を足の下に置き、歩くたびに踏みつけるという呪術的意味合いを持つものであった。
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古代エジプトでは、先王朝時代からローマ時代までの全時代からサンダルの出土例が知られている。その製作過程も第18王朝のレクミラの墓の壁画から明らかである。しかし、サンダルが誰によって、どのような場面で使用されたのかは明らかではない。壁画やレリーフに描かれたエジプト人のほとんどは素足である。例外は王や神官である。ツタンカーメン 王墓に描かれた開口の儀礼を王のミイラに施す神官の姿をしたアイの場面を見れば一目瞭然である(画像 参照)。あるいは高官アメンエムネトの墓の壁画にもヒョウ皮を見にまとい、サンダルを履いた神官が描かれている。彼らは神官としてサンダルを履いた姿で描かれるのである。

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どうでもいい、じじぃの日記。
図書館の中で新刊書コーナーを覗いてみたら、『ツタンカーメン - 「悲劇の少年王」の知られざる実像』という本があった。
ぱらぱら、ページをめくったら、「寄木細工で作られたツタンカーメンのサンダル」というのでツタンカーメンが履いていたサンダルの写真が載っていた。黄金のサンダルだ。
今年の8月、上野にある東京都美術館で「ルーヴル美術館展 ―地中海 四千年のものがたり」が開催されていたので、観に行ってきた。
地中海はメソポタミアと並んで、文明の発祥の地である。エジプトの遺跡、トルコの遺跡、ギリシャの遺跡、ローマの遺跡で発掘された、遺物や埋葬された王の副葬品がたくさん展示されていた。
エジプトの遺物はだいたい、紀元前2000年〜紀元1世紀ごろのものだ。
石や粘土板のようなものに彫刻したものが多かったが、彫られた凹凸の線が繊細で、まるで芸術品を見ているようだった。
この本に載っているツタンカーメンが履いていたという黄金のサンダルには、びっしりと彫刻が施されている。
彼らが文明をギリシャに伝え、それがローマ帝国に発展し、西洋文明につながった。
このサンダルの写真を見て、あらためて、エジプト文明の凄さを感じた。