じじぃの「人の生きざま_330_中川・志郎(上野動物園園長)」

最初のパンダ飼育も…元上野動物園園長・中川志郎氏死去  2012年7月18日 スポニチ
日本動物愛護協会名誉会長で、元上野動物園園長の中川志郎氏(なかがわ・しろう)が16日午後7時、間質性肺炎のため埼玉県川口市の病院で死去。
81歳。茨城県出身。自宅は埼玉県川口市
http://www.sponichi.co.jp/society/news/2012/07/18/kiji/K20120718003700930.html
中川志郎 - あのひと検索 SPYSEE
http://spysee.jp/%E4%B8%AD%E5%B7%9D%E5%BF%97%E9%83%8E/1352426
[1972年] 上野動物園 パンダ カンカン・ランラン 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=22ej3LPxLtI
2012.1.21 中川志郎先生 〜 パンダは舐めて子を育てる 〜 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=AL4Ws8uJkaM
『パンダは舐めて子を育てる』 中川志郎/著 ワック 2008年発行
動物たちの育児には、人間が忘れてしまった「子育ての原点」がある。
動物たちは、徹底的に子どもを慈しみ、育て、一切の手抜きをしない。
そしてその育児には、動物たちが進化の中で生み出してきた数百万年の知恵が凝縮されている。
子育て混迷時代の今こそ、動物に学べ。
http://web-wac.co.jp/book/bunko/219
日本中から愛されたパンダ「ランラン」の記憶と歴史【命日9月4日】 NAVER まとめ
http://matome.naver.jp/odai/2131475713192310201
文藝春秋 2012年9月号
蓋棺録 「中川志郎(なかがわしろう)」 (一部抜粋しています)
上野動物園園長の中川志郎は、飼育課長時代に日本で初めてパンダを担当して、パンダ課長と呼ばれた。
1972(昭和47)年、当時の二階堂進官房長官から呼び出され、日中国交回復のシンボルであるカンカンとランランを「預ける」といわれたとき、「運命の一言のように響いた」。帰りぎわ二階堂は「殺すなよ」とつけ加えた。
何から何まで初体験だった。気を使ったのに、パンダは理由もなく不機嫌になった。一般公開すると呼吸数が数倍に上昇し、ときどき肺炎の徴候といわれる鼻水を垂らした。糞がいい匂いなのにも愕然とした。
30年、茨城県に生まれる。実家は畜産農家。宇都宮農林専門学校(現・宇都宮大学)で獣医学を学び、上野動物園に勤めるが、数年は臨時雇いだった。
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79年、多摩動物公園に移り、84年に園長。同年、オーストラリア政府からコアラのトムトムタムタムを預かることになる。「どういうわけか、初物に縁がある」。87年に上野動物園園長となり90年に定年退職。ミュージアムパーク茨城県自然博物館館長などを歴任している。
担当者としてはパンダの赤ちゃんに恵まれなかったが、上野の園長だった88年にユウユウが生まれ、92年に中国に「里帰り」した。このとき、オスなのに「娘を嫁がせる気持ちになった」という。

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中川志郎 上野動物園園長 Google 検索
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