じじぃの「人の死にざま_1212_石原・忍」

石原忍 - あのひと検索 SPYSEE
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石原式色盲検査表 Google 検索
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石原式色覚異常検査表 
http://www.shec.jp/shikikaku.html
石原忍 ウィキペディアWikipedia)より
石原忍は、日本の医学者、眼科医、陸軍軍人(最終階級は軍医少将)。東京帝国大学教授。東京都生まれ。
1934年石原式国際色盲検査表を発表。他にも色々な測定表を創案する。また、近視の研究に於いても功績を残す。1940年朝日文化賞、学士院賞のほか、1961年文化功労者

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『人間臨終図巻 下巻』 山田風太郎著 徳間書店
石原忍(いしはらしのぶ) (1879 - 1963) 84歳で死亡 (一部抜粋しています)
いわゆる「石原式色盲検査表」を作成した世界的眼科医石原忍は、東大退官後、昭和21年から伊豆の河津に住んだ。彼はここで温泉につかりながら研究生活で余生を過ごすつもりだったが、眼科医のいない土地の状態を見かねてまた患者を診(み)るようにしたところ、その名声に患者が北海道や九州からまで殺到し、ついに「院長老体につき、先着10人までに制限いたします」という貼紙を出す始末になった。
彼は生涯に1冊の小説も読まず、新聞もとらず、ラジオも聞かなかった。ただ晩年、家族の切望によってテレビを買ったが、彼自身はニュースと相撲と野球中継しか見ようとはしなかった。女優原節子が眼の診察を受けに来たことがあったが、名をきいても彼はそれが何者か知らなかった。
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身体が不自由になってから、娘の美禰子が風呂場に子供用のポールを持ちこんで洗ってやり、「苦しいでしょう」ときくと、「なに、ボートを漕(こ)いだくらいだ」といった。それは相当の苦痛を意味した。軍医出身であることを誇りとする彼は、強情我慢の老人であった。
その年の暮れになると、幻覚症状が現われた。
「若い青年を眼の前にして、道徳教育のお説教をしている積りらしく、半ば興奮状態で、善とか悪とか口走ることが多かった。『どなたもいらっしゃいませんよ』と口を出すと、『おまえは黙っとれ』そういって、また一しきり、始まるのだった。それが、徹頭徹尾、道徳教育の話だった」
と、美禰子はいう。
彼は元気で昭和38年の元旦を迎え、おとそも飲み、ビールも飲み、「蓮根がたべたい、きんとんが食べたい」と食欲も旺盛だった。2日は静かに寝ていた。
「3日の朝方、私は、ちょっと寝ようと、父の様子を見にゆくと、その時は、膝をまげたり、もぞもぞ動いていた。私は看護婦さんに『また来ますから』そういって、ちょっと休んだが、間もなく起こされた。時計は6時をちょっと回っていた。寝室にかけつけたが、83歳の父は眠るように、私にも知らせず、静かに逝ってしまったのだった」

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石原忍 医者 Google 検索
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