じじぃの「人の生きざま_251_B・リヒター」

バートン・リヒター - あのひと検索 SPYSEE
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福嶋健二研究室 量子色力学クォークグルーオン・プラズマの研究 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=d5AbMKKwP1E
バートン・リヒター ウィキペディアWikipedia)より
バートン・リヒター(Burton Richter、1931年3月22日 - )は、アメリカ合衆国の物理学者。
【略歴】
スタンフォード大学線形加速器施設(Stanford Linear Accelerator Center:SLAC)で陽電子-電子衝突ビーム装置(Stanford Positron-Electron Asymmetric Ring:SPEAR)の企画、建設に貢献した。1974年にジェイプサイ中間子をサミュエル・ティンのチームとほぼ同時に発見し、1976年にノーベル物理学賞を受賞した。

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『現代科学の大発明・大発見50』 大宮信光/著 サイエンス・アイ新書 2012年発行
J/Ψ粒子の発見 ティン、リヒター (一部抜粋しています)
1974年、米国で物理学者だけでなく、一般の人々の間にもセンセーションを巻き起こしたニュースが流れた、米国在住の中国人物理学者サミュエル・ティン率いる実験グループと、バートン・リヒターを中心とするもう1つのグループが、それぞれ異なる種類の加速器を使った実験で予期しない現象を発見したのだ。
この物理学分野のニュースが一般の人々に広く関心をもたれたのにはワケがある。南部は、特にリヒターの加速器SLAC(スラック)のデータがあまりにもドラマチックであったからだろう、と証言している。SLACは電子と陽電子を正面衝突させる加速器だが、リヒターは電子と陽電子のエネルギーの和を徐々に変えていった。すると、陽子の質量の約3倍に相当する特定のエネルギーのごく近くで反応率が100倍に跳ね上がった。この劇的な事象は、そのエネルギーが対応する質量をもつなにか新しいタイプの粒子がつくられたことを意味する。
2つの実験グループはそれぞれJ(ジェイ)粒子、Ψ(プサイ)と呼んだので、現在はJ/Ψとひとくくりにされている。それぞれのグループの代表のティンとリヒターに、発見から早くも2年後の1976年にノーベル物理学賞が授与された。それくらい寝耳に水の、一般には予想外の画期的な発見だった。
だが、この発見は予想されてもいた。前年の1973年、当時33歳の益川俊英と28歳の小林誠が6種類以上のクォークの存在を予言する論文を発表していたからだ。しかし、クォーク・モデルが提出されたときの3種類で十分であると考えられていた時代、小林・益川モデルは相手にされず、知られてもいなかった。J/Ψ粒子の発見は、小林・益川モデルが認められていく第一歩でもあった。
それというのもJ/Ψ粒子は、第4のクォークを仮定しなければ説明できないからである。この新たなクォークは「チャーム・クォーク(Charm quark:魅せられたクォーク)」と呼ばれる。J/Ψ粒子は、チャーム・クォークと反チャーム・クォークが束縛し合った状態であることが判明する。その束縛し合った状態には原子のような内部構造があり、さまざまな回転状態に対応した、エネルギー(=質量)の少しずつ異なる多数の状態が存在している。そのため、原子の場合とまったく同じ方法でさまざまなエネルギー状態が計算でき、クォークをいわば3原色で分類する量子色力学を検証する格好の対象となる。
さらに1997年になると、新たに「Y(ウプソロン)粒子」が発見された。これは「ビューティー(Beauty)・クォーク」、あるいは「ボトム(Bottom)・クォーク」とその反粒子からできている。こうして小林・益川の6種類、3世代モデルは検証され、評価が高まり、ノーベル賞を獲得するに至る。

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