じじぃの「ネパールで貧困層を助け旅館を経営する日本人・38の学校建設!世界ナゼそこに」

世界ナゼそこに?日本人 5月31日 動画 Youku
http://youtubeowaraitv.blog32.fc2.com/blog-entry-30323.html
Nepalese people「ネパールの人々」 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=3i0CVKMQuLk
ヒマラヤ 画像
http://img.4travel.jp/img/tcs/t/album/lrg/10/16/06/lrg_10160615.jpg
世界ナゼそこに? 日本人 〜知られざる波瀾万丈伝〜 2013年5月31日 テレビ東京
【MC】ユースケ・サンタマリア杉崎美香
▽貧しいネパール人の親代わりをしながら旅館を営む日本人
ネパールの山奥で旅館を経営する日本人がいた! 聞けば、日本に妻子を残したままネパール人の子供たちと宿を営んでいるという。一体ナゼ?
ネパールに38もの学校を建設した筋田雅則さん(67歳)です。ネパールの貧しい村では子供も貴重な労働力。そのため、学校よりも家の仕事を優先させる家がほとんどだった。子供たちへの思いが強くなった筋田さんは直接親たちと話をするため、ネパールへの移住を決意する。家族を説得して59歳で単身ネパールに渡った。そして子供たちの親を説得。学校に通う子供を少しずつ増やし続けたという。
筋田さんが面倒を見る4人の子供たちは、高校に行けない極めて貧しい家庭で生活をしていた。そこで筋田さんは、高校に通える距離にある旅館で、手伝いをさせながら高校へ通わせることを決意。子供たちは自分の面倒を何でも見てくれて、実の両親よりも大事に思っていると語った。
http://www.tv-tokyo.co.jp/nazesoko/
どうでもいい、じじぃの日記。
5/31、テレビ東京 『世界ナゼそこに? 日本人』で「貧しいネパール人の親代わりをしながら旅館を営む日本人」を観た。
こんなことを言っていた。
【貧しいネパール人の親代わりをしながら旅館を営む日本人】
家族を日本に残し、9年前に単身ネパールにやってきた筋田雅則さん(67歳)。しかし一体なぜ、彼はネパール人の子供たちの親代わりをしながら、旅館を経営し、さらに貧しい村への支援まで行っているのか?
その裏には何かを得るために何かを失った波乱万丈の人生ドラマがあったのです。
筋田さんは1945年、終戦の年に生まれました。少年時代を送ったのは岐阜県。家計を助けようと中学を卒業してすぐ鉄道や船舶などの輸送機械を作る製造業の会社に就職しました。
24歳で結婚して2人の子宝に恵まれました。職場では山岳部に所属し、国内の山々を次々に制覇していったそうです。
25歳で初めてヒマラヤへ。その圧倒的なスケールと美しさ。筋田さんは強い衝撃を受けました。
当時を振り返って筋田さん、
「すごいキレイだった。今まで見たことがないキレイな山がたくさんあるんです」
「神々の座」ともいわれる荘厳なヒマラヤ。たちまち筋田さんを虜にします。
以来、ヒマラヤ登山に没頭。毎年3〜4回、ヒマラヤ登山でネパールへ。
筋田さん、「当時は、日本の100年、200年前の生活がここにあった」
山岳地帯ではなんとか食べていくことで精いっぱい。貧しい暮らしに苦しむ村人たちが目に焼きついたそうです。
そんな彼らにとって唯一の現金収入。それは登山客の荷物を運ぶポーターの仕事。筋田さんもその助けを借りていたのです。
筋田さん、「(料金は)当時で30ルピー(約34円)か、40ルピー(約46円)だった。1人が30kgの荷物を1日担いで、朝7時ぐらいから出発して夕方5時ぐらいまで歩きっぱなし」
登山を重ねるたびに筋田さんの胸に膨れ上がる思いがありました。
俺がヒマラヤに魅せられたのも彼らの助けがあったからこそ。おかげで充実した人生を送ることができた。このヒマラヤに、ネパールの貧しい人たちに何か恩返しができないものだろうか。
子供たちは学校が無く勉強することができなかった。ネパールに38もの学校を建設した筋田さんだが、貧しい村では子供は貴重な労働力。そのため、学校よりも家の仕事を優先させる家庭はいくつもあった。
筋田さんは、今の貧困を抜け出すには子供たちの教育が必要なのだと、親たちを説得することから始まった。
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じじぃの感想
こういう日本人もいるんだ。感動しました。