じじぃの「人の生きざま_246_KA・ミュラー」

カール・アレクサンダー・ミュラー - あのひと検索 SPYSEE
http://spysee.jp/%E3%82%AB%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%82%A2%E3%83%AC%E3%82%AF%E3%82%B5%E3%83%B3%E3%83%80%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%83%9F%E3%83%A5%E3%83%A9%E3%83%BC/39008
超伝導体と磁石_1 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=9qhRZwHzv_E
Woodstock of physics - K. Alex Mueller - 1987 marathon session of the American Physical Society 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=1IJoikdY5dA
超伝導 Google 検索
http://www.google.co.jp/images?hl=ja&rlz=1T4GZAZ_jaJP276JP276&q=%E8%B6%85%E4%BC%9D%E5%B0%8E&sa=X&oi=image_result_group&ei=8CekUbKMM8WnlAXYuoGQBg&ved=0CCgQsAQ
高温超伝導 ウィキペディアWikipedia)より
高温超伝導(High-temperature superconductivity)とは、高い転移温度 (Tc) で起こる超伝導である。
「高温」の意味は、時代、状況によって異なるが、一般に高温超伝導と言えば、ベドノルツとミューラー(ミュラー)がLa-Ba-Cu-O系において1986年に発見したことから始まり、その後続々と発見された転移温度が液体窒素温度(-195.8 °C, 77 K)を越える一連の銅酸化物高温超伝導物質とその超伝導現象のことを指す場合が多い。高温超伝導を示す物質のことを高温超伝導体という。銅酸化物であるものは銅酸化物高温超伝導体という。
高温という語は、通常は人間が「熱い」と感じるほど温度が高いことを表すが、高温超伝導における高温とは、従来の超伝導体と比較すると高温である-200℃ 〜 -100℃程度を指す。
ミュラーとベドノルツはこの業績により1987年のノーベル物理学賞を受賞した。
【歴史】
超伝導転移温度は次々と塗り替えられ、2004年現在、水銀系銅酸化物において高圧下での160ケルビンの転移温度が最高記録である。
2008年、東工大の細野秀雄らにより、鉄を含んだ組成の酸化物が超伝導を示すことが分かり、新たな鉱脈として大きな注目を集めている(鉄系超伝導物質)。
カール・アレクサンダー・ミュラー ウィキペディアWikipedia)より
カール・アレクサンダー・ミュラー(Karl Alexander Muller、1927年4月20日 - )はスイスの物理学者、ヨハネス・ゲオルク・ベトノルツとともに超伝導現象をより高い温度領域で示す酸化物材料を発見した。1987年、ノーベル物理学賞を受賞した。
スイスのバーゼルに生まれた。1958年、スイス連邦工科大学から学位を取得し、1963年からチューリッヒIBM研究所で研究した。1980年代始めから高温超伝導酸化物の探索をはじめ、それまで知られていた金属系の超伝導物質のNb3Geの電気抵抗がなくなる臨界温度が23K(-250℃)であったのに対して、1986年にLaBaCuOが35K(-238℃)の臨界温度をもつことを発見した。ミュラーらの発見は各国の物理学者の高温超伝導物質の探査のきっかけとなり、1年たらずの間に臨界温度が100 K に近づく材料が発見された。

                              • -

『現代科学の大発明・大発見50』 大宮信光/著 サイエンス・アイ新書 2012年発行
高温超伝導物質の可能性の発見 ミューラー、ベトノルツ (一部抜粋しています)
産業革命が進展するのつれ、遠洋航海で大量輸送される食料の保存のために冷却技術を発展させる必要が生まれる。ヨーロッパを舞台に極低温を追求する研究が始まり、より沸点が低い気体の液化をめぐって競争が進んだ。そして冷却の最終ゴールであったヘリウムの液化に初めて成功したのは、オランダのハイケ・カーマリン・オンネスであった。オンネスは、ライバルの研究成果を積極的に生かして独自の工夫を重ね、1908年、ついにヘリウム液化に成功。絶対温度4.25K(ケルビン)に到達する。
オンネスはさらに極低温での金属の電気的性質の研究を始める。当時、金属の電気抵抗が室温より低い温度で下がることはすでに知られていたが絶対温度0度でどうなるかは科学者の間で意見が二分されていた。一方は、温度が絶対零度に近づけば電気伝導体を流れる電子は完全に停止するだろうと考えた。もう一方は、逆を予想していた。オンネスもそうだ。電気抵抗は小さくなるが、やがて一定になると予想していた。
しかし1911年、極低温での水銀の電気抵抗を調べていて、両方の予想を裏切る予想外のことが起こった。電子の流れが止まることもなく、抵抗が一定値で横ばいになることもなく、絶対温度4.25Kで突然消えたのである。オンネスは1913年にノーベル物理学賞を受賞したが、それはあくまでも液体ヘリウムの製造に関する低温現象の研究であって、超伝導の発見に対してではなかった。当時、超伝導発見の意義がほとんど理解できなかったからだろう。
原子の世界を律するのは、日常生活での物体の運動から人工衛星の運動や太陽系の運動までを支配するニュートン力学ではなく、量子力学という新しい法則である。この事実を最初に察知したのは、1900年、ドイツの物理学者マックス・プランクであった。だが超伝導の理解がなかなか進まないなか、1933年、マイスナー効果が発見される。超伝導体の上に磁石を置こうとすると磁石が宙に浮いてしまう現象である。そして1957年になってようやく、超伝導現象がどのように生じるかを記述する理論が発表され、広く受け入れられる。米国の物理学者ジャン・バーディーン、レオン・クーパー、そしてジョン・ロバート・シュリーファーの3人が構築した理論で、3人の名前の頭文字を取って「BCS理論」と名づけられた。そしてこの理論で3人は、1972年にノーベル物理学賞を受賞している。
     ・
オンネスが水銀で超伝導を発見して以来、研究者たちは超伝導現象を示す物質を求めて研究を進め、鉛、スズなどの金属や、さまざまな合金や化合物に超伝導性を発見していく。電気抵抗がゼロになる温度を臨界温度というが、臨界温度がより高い物質を求める激しい研究レースが始まる。1972年にはニオブ3ゲルマニウムという物質で絶対温度22.3度で超伝導が確認されたが、それから十数年、記録は破られなかった。研究者たちの間にはもうこれ以上高温での超伝導は不可能ではないか、という悲観的な空気が流れ、”BCSの壁”という言葉まででてくる始末だった。
そんな空気が漂っていた1972年、日本の半導体産業の育ての親とうたわれた東京大学田中昭二教授(当時)がひそかに高温超伝導の発見を夢見て、層状をなす物質の研究を始めた。1986年、そんな田中のもとに、IBMチューリッヒ研究所のカール・アレクサンダー・ミュラーヨハネス・ゲオルク・ベトノルツが酸化物超伝導体の存在を示唆する論文を西ドイツの物理学会誌に投稿したという知らせが届いた。田中が追試して絶対温度30度で確認すると、世界の高温超伝導物質開発のブームが起こった。ミューラーとベトノルツが発見した高温超伝導は、田中が研究していた層状物質とペロブスカイトのちょうど中間にあるような存在であった。だからこそ田中は追試でいちばん乗りして、超伝導フィーバーを巻き起こしえたのだろう。
     ・
ミュラーはかっての自分の学生であり、その後IBM研究所で仕事をしていたドイツ人物理学者ベトノルツを共同研究者として、1986年の初め、ついにブレークスル―となりえす物質(臨界温度35度)を発見する。その功績で1987年、2人はノーベル物理学賞を受賞したが、高温超伝導<の実用化は期待されたほどにはまだ進んでいない。さらなるブレークスル―が期待される。

                              • -

カール・アレクサンダー・ミュラー Google 検索
http://www.google.co.jp/images?hl=ja&rlz=1T4GZAZ_jaJP276JP276&sa=X&oi=image_result_group&ei=Ci-kUceLEIfgkAW3rICoDQ&ved=0CBsQsAQ&q=%E3%82%AB%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%82%A2%E3%83%AC%E3%82%AF%E3%82%B5%E3%83%B3%E3%83%80%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%83%9F%E3%83%A5%E3%83%A9%E3%83%BC%20%E7%94%BB%E5%83%8F&tbm=isch