じじぃの「世界遺産・中国・忽然と消えた北京原人の化石!封印されたミステリー」

Homo erectus pekinensis 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=6ZSJfwyBq1I
Homo Erectus Mandible Fragment 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=Pnqp0BkRe8E
北京原人 Google 検索
http://www.google.co.jp/images?hl=ja&rlz=1T4GZAZ_jaJP276JP276&q=%E5%8C%97%E4%BA%AC%E5%8E%9F%E4%BA%BA&gs_l=hp....0.0.0.31...........0.&sa=X&oi=image_result_group&ei=yrwhUbH_HofqmAWir4HICA&ved=0CDIQsAQ
地球ドラマチック 「アジア人はどこから来たの? 最新研究を基にルーツを紐解く!」 (追加) 2013年7月5日 NHK Eテレ
【語り】渡辺徹
地球上に暮らすおよそ70億の人間。なぜ人類はこれほどまで繁栄することができたのか。我々の祖先はどこからきてどのように世界に広がったのか。アフリカ、アジア、アメリカの3つの地域に注目し、最新の研究データと映像技術を使って人類の遥かなる足跡を追うシリーズ。
今回は、アジア人はどこから来たのかをテーマに探っていく。最も有力な学説によると、7万年前にアフリカを出たホモ・サピエンスアラビア半島から北上。狩りの獲物を追いながら、ついにはシベリアにまで到達した。その後、氷河期の到来で南下した人類は現在の中国で農耕文化を開花させたと言う。この説に対し、アジアでは別の起源を持つ人類が独自に進化したとする説もある。中国文明の素地を築いた人々は何者だったのか。最新の研究からひも解く!
http://news.livedoor.com/article/detail/7830072/
失われた北京原人頭蓋骨の所在に手がかり=秦皇島の駐車場地下に埋まっている? 2012年3月27日 レコードチャイナ
2012年3月26日、新華網によると、中国と南アフリカの研究者が科学雑誌サウスアフリカン・ジャーナル・オブ・サイエンス』に、行方不明になっている北京原人の頭蓋骨の手がかりをつかんだと発表した。
1929年、50万年前の北京原人の完全な頭蓋骨が発掘された。太平洋戦争勃発前、化石保護のため骨は北京から米軍海兵隊に引き渡された。海兵隊は同年12月に秦皇島へ移動したが、真珠湾攻撃後、日本軍が北京や天津の米兵を捕虜にし、戦乱の中で原人の頭蓋骨は行方不明になっていた。
http://www.recordchina.co.jp/group.php?groupid=59910
北京原人 ウィキペディアWikipedia)より
北京原人(Homo erectus pekinensis)とは、中華人民共和国北京市房山県周口店竜骨山の森林で発見された化石人類である。学名はホモ・エレクトス・ペキネンシス。2012年現在はホモ・エレクトス (Homo erectus) の亜種として扱われる。北京原人を含むホモ・エレクトスが生きていた時代は更新世である。
周口店の北京原人遺跡はユネスコ世界遺産として登録されている。
研究史
スウェーデンの地質学者 ユハン・アンデショーンが人類のものと思われる歯の化石を発見した。さらに、その後の調査で1929年12月2日、中国の考古学者 裴文中が完全な頭蓋骨を発見した。結果的に合計十数人分の原人の骨が発掘された。
しかし、日中戦争の激化により、化石は調査のためにアメリカへ輸送する途中に紛失した。紛失の前に協和医学院の客員解剖学教授であったドイツ出身の学者F・ワイデンライヒがすでに詳細な記録や研究を残しており、レプリカが現存しているので、これが今日の北京原人の研究資料となっている(戦後、わずかに北京原人の骨が発掘されている)。
彼を含め、北京原人を現生人類(アジア人)の祖先とする考えがあった。2012年現在では、現代人のミトコンドリアDNAの系統解析により否定されている。
北京原人はアフリカ大陸に起源を持つ原人のひとつであるが、現生人類の祖先ではなく、何らかの理由で絶滅したと考えられている。

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世界遺産ライブラリー [周口店の北京原人遺跡] NHK世界遺産
北京の南西にある周口店村は、1929年、北京原人の頭蓋骨が発見されたことで、一躍有名になりました。人骨以外に、石器や骨製の道具なども多数見つかり、類人猿とは異なる原始人類の存在が明らかになりました。
「シリーズ世界遺産100」では、最初の頭蓋骨発見のエピソードと、その後の謎に包まれた消失事件をご紹介します。周口店の「龍骨山」は、地元では昔から、漢方薬の原料となる動物の骨が取れる場所として知られていました。1926年、ここで人類の臼歯が見つかったことから国際的な発掘調査が始まり、3年後、遂にほぼ完全な人類の頭蓋骨が発見されました。掘り出したのは、中国人考古学者、裴文中(はいぶんちゅう)。発見の翌日、彼は頭蓋骨とともに記念写真におさまりましたが、なんとその写真は裴文中の顔が半分しか映っていませんでした。カメラマンがあまりに興奮していたのです。頭蓋骨はその後、5体分見つかりました。しかし1937年、盧溝橋事件が勃発すると、日本軍による接収を恐れた裴文中らは、化石をアメリカに送ろうとします。しかし、混乱の中、それらは行方不明になり、今もって見つかっていません。
http://www.nhk.or.jp/sekaiisan/card/cards353.html
『愛蔵版 世界遺産・封印されたミステリー』 平川陽一/著 PHP研究所 2010年発行
忽然と消えた北京原人の化石 【遺跡名】周口店の北京原人出土地 (一部抜粋しています)
中国の北京の南50キロメートルのところに周口店という村があるが、ここの洞窟で古人類の竜骨が発見されたのは1923年のことだ。発見者はスウェーデンの地質学者ユハン・アンデショーンとオーストリア生まれの古生物学者オットー・ツダンスキーである。発見されたのは大臼歯と小臼歯だった。
このあたりでは、昔から古い生物の骨が出ており、歯を粉末にしたものが「万病に効く薬」として売られていたのだ。その中に「原始人のものだろう」とされているものがあった。
このような事情を聞いて、考古学者たちは探索の手を向けた。そこで浮かび上がったのが石灰石の採掘場だった周口店の竜骨山の洞窟である。「竜骨」とは哺乳類の骨の化石のことだ。
第一次世界大戦後、この洞窟で大がかりの発掘が行われ、1926年に2本、翌年にさらに1本の歯が出土した。これらの歯をもつ原始人は、シナントロプス・ペキネンシス(北京の中国人)と名付けられた。
この発見以来、竜骨山では次々と重要な遺跡が発掘され、1929年のクリスマスの夜には、中国の考古学者・裴文中教授が、ほぼ完全な頭蓋骨化石を発見した。このため、アメリカのロックフェラー財団経営の協和医学院と、中国地質調査所が本格的な発掘調査に乗り出し、1937年の発掘中止までに、40体以上も見つかっている。
彼らは、いまから約50万年前の洪積世中期といわれる時代に生活していた。身長は約156センチメートル。やや前屈みの姿勢で顎を突き出して歩いていたらしい。
頭と顎は狭く、口を前に着き出したような顔をしていたようだが、鼻はサルに比べてかなり高く、現代人的だという。また脳の容積は現代人の3分の2にあたる800ccから1000cc程度と考えられる。
発掘が行われた洞窟には灰の層が4つあって、そのうちの1つは6メートルの厚さまで積もっていた。このように火を使用した跡から、狩猟した獲物を火で調理して食べていたと思われる。しかも、「食人の風習があったのではないか」とも考えられる。すべての頭骸骨の後頭部に穴が開いているのだが、それは人工的なもので、そのため、食人の習慣があったと推測されているのだ。脳髄には栄養があり、うまいということを彼らは知っていたのだという。さらに、割れた大腿骨も見つかっているが、これは骨の髄を取り出して食べたためという。
もちろん、異論もある。頭蓋骨の穴は、戦闘によるものだという説だ。しかし、現在もこの穴の意味は解明されていない。
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北京原人の頭蓋骨や歯などの化石は、人類の進化の研究上、たいへん貴重な資料とされたのだが、1941年12月に太平洋戦争が始まると、その行方がわからなくなってしまった。

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どうでもいい、じじぃの日記。
平川陽一著 『愛蔵版 世界遺産・封印されたミステリー』という本を見ていたら、「忽然と消えた北京原人の化石」というのがあった。
「彼らは、いまから約50万年前の洪積世中期といわれる時代に生活していた」
現在の人間は1万年前からほとんど変わっていなのだそうだ。
人類の進化ということからみれば、50万年前の人間の化石は貴重な資料なのだろう。
「1941年12月に太平洋戦争が始まると、その行方がわからなくなってしまった」
山下財宝が北京原人の化石だったりして。
中国・周口店の北京原人遺跡は1987年 自然遺産としてユネスコ世界遺産に登録された。