じじぃの「人の死にざま_1087_伊丹・十三」

伊丹十三 - あのひと検索 SPYSEE
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マルサの女 (A Taxing Woman) 1987 Trailr Itami, Juzo 動画 デイリーモーション
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伊丹十三記念館 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=3bwuoxVySZM
伊丹十三が小学校一年生の頃に描いた野菜の絵 画像
http://itami-kinenkan.jp/information/img/exi_01b.jpg
こだわり男とマルサの女(1) 宮本信子 天才との日々 2013年8月25日 NHK
没後15年を迎える伊丹十三の特集シリーズⅠ。「妻」であり「主演女優」でもあった宮本信子の視点から、伊丹一家の暮らしをドラマで再現する。「先生と生徒」のような関係から始まり、「夫婦」、そして「父と母」、やがて共に映画を創る「パートナー」として成長してゆく2人を、実際に家族が暮らし、初監督映画「お葬式」の撮影舞台となった湯河原の邸宅を舞台に撮影。夫婦で築いた創造の日々、人生の機微を描く。
https://pid.nhk.or.jp/pid04/ProgramIntro/Show.do?pkey=001-20130825-21-20242
伊丹十三 ウィキペディアWikipedia)より
伊丹十三(いたみじゅうぞう、1933年5月15日 - 1997年12月20日)は、日本の映画監督、俳優、エッセイスト、商業デザイナー、イラストレーター、CM作家、ドキュメンタリー映像作家である。本人は名刺の肩書きに「強風下におけるマッチの正しい使い方評論家」という1項目を増やしてもいいと考えていた。映画監督の伊丹万作は父。女優の宮本信子は妻。長男は池内万作(俳優)。次男は池内万平。作家の大江健三郎は義弟。ギタリストの荘村清志は従弟。料理通としても知られた。
【マルチタレントとして活躍】
舞台芸術学院に学び、1960年1月、26歳の時大映に入社、父伊丹万作小林一三の名に因み「伊丹 一三」という芸名を永田雅一にもらい俳優となる。1960年5月にスクリプター野上照代より、日本映画界の巨人である川喜多長政川喜多かしこの娘の川喜多和子を紹介され、同年7月に結婚。同じ年に作家であり友人の大江が妹ゆかりと結婚する。
1961年、大映を退社する。その後『北京の55日』(1963年)『ロード・ジム』(1965年)などの外国映画に出演し、話題となる。
1962年に妻・和子と自主短編作品『ゴムデッポウ』を制作、1963年に勅使河原宏監督の「砂の女」と同時上映された。
1965年には、外国映画に出演した際のロケ道中をまとめたエッセイ『ヨーロッパ退屈日記』を出版しヒット。その後も『女たちよ!』など軽妙なエッセイを次々と発表し、文筆業にも活動の場を広げた。1966年10月26日、川喜多和子と協議離婚。
大島渚監督作品「日本春歌考」(1967年)で、共演者の一人であった女優の宮本信子と出会う。同年、「マイナスをプラスに変える」意味で「伊丹 十三」と改名し、映画とテレビドラマで存在感のある脇役として活躍した。 1969年に山口瞳の媒酌で宮本と再婚。結婚式は東京都国立市にある谷保天満宮であげる。そして子供を二人もうける(長男は俳優の池内万作、次男は池内万平)。家事や子育てにも関心が深く、著書訳書もある。ちなみに長男の万作は父の名前をそのまま取って命名された。
【映画監督への転身】
1984年、51歳で、『お葬式』で映画監督としてデビューし、日本国内で高い評価をうける。この作品で受賞した映画賞は、日本アカデミー賞芸術選奨新人賞を始めとして30を超えた。この映画は信子の父の葬式がきっかけであり、わずか一週間でシナリオを書き上げた。なお、本作はその著作を読み漁り講演などには必ず駆けつけるほど傾倒していた蓮實重彦の「理論」を強烈に意識して制作されたものであり、事実、主に30年代〜40年代に至るハリウッド映画のシーン、ショットの引用が多数ちりばめられている。しかし、試写会に訪れた蓮實に対し伊丹は高評価を期待し揉み手をして歩み寄り声を掛けたが、蓮實は無碍に「ダメです」と返答しただけだった。伊丹は蓮實からの予想外な酷評にひどく失望したと言われているが、その影響からか二作目以降は「引用の織物」による「芸術的」な側面は姿を消し、もっぱらエンターテイメントに徹した作風となっている。また、この作品で伊丹はその前歴の俳優・エッセイスト・ドキュメンタリー作家・CM作家・イラストレーター・商業デザイナーとしての全ての経験が活かせる事を発見し、その後も食欲と性欲の未分化な人びとを喜劇的に描いた『タンポポ』や国税局査察部・通称「マルサ」に対する徹底した取材を元にした『マルサの女』、ヤクザの民事介入暴力と戦う女弁護士を描いた『ミンボーの女』など、日本の社会に対する強い問題意識をもちながら、かつエンターテイメント性に富み、映画史的引用や細部にこだわった映画作品を作り、一躍当時の日本を代表する映画監督となり、「伊丹映画」というブランドを築く事に成功する。

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『作家の四季』 池波正太郎/著 講談社 2003年発行
池波正太郎のシネマ通信 (一部抜粋しています)
4月の末から5月にかけて、おもいもかけぬ取り組み事がつづき、おもうように試写を観られなかった。あと一息、6月に入れば、もっと映画も芝居も観られようかとおもう。
今日は五月(さつき)晴れの好日で、仕事は詰まっていたが、おもいきって外へ飛び出す。
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倉本聡の初演出(脚本も)の<時計>を観る。
巻頭から、歯切れのよいテンポと鮮烈な映像で、これは伊丹十三和田誠につづいて新しい期待の星があらわれたかとおもったが、ダメだった。
この映画の失敗は、永島敏行が演じる若いヒゲ面の映画監督・木谷の人間像にある。才能も無く、人間としての魅力もなく(拙劣な永島の演技)酒を飲めば荒れて人に当り散らすくせに、性欲だけは旺盛な男が軸になって物語が展開し、ヒロインのいしだあゆみが、その男を愛すようになるのだから、あゆみがいかに好演しようとも、これは空転してしまう。
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伊丹十三監督の第3作<マルサの女>も見事に成功した。第1作は<葬式> 題2作は<ラーメン> そして今回は脱税する者と、これを摘発する国税庁国税局との一種のコメディ・サスペンスのかたちによって「税金」のテーマを採り上げた。この監督は、目のつけどころがちがう。これは伊丹十三が映画人としての、せまい世界に生きていなくて、常人そのものの生活、感覚をもって生きているからこそ、こうしたテーマをおもいつくのだろう。
ラスト・シーンが少しモタついただけで、後は申し分がない。伊丹夫人・宮本信子も快演だが、特筆すべきは山崎努の脱税会社・社長の権藤だろう。神経の行きとどいた巧妙の演技である。
その他の演技陣も、まことにぜいたくなもので、これは伊丹監督の名声がいよいよ高くなった証拠といってもよいだろう。市川昆の<映画女優>と<マルサの女>。このところ、日本映画は大いに気を吐いて心強いかぎりだ。丹念な取材によって、監督自身が書いた脚本もよかった。

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