じじぃの「人の死にざま_1060_出光・佐三」

出光佐三 - あのひと検索 SPYSEE
http://spysee.jp/%E5%87%BA%E5%85%89%E4%BD%90%E4%B8%89/30353
歴史経済小説の最高傑作! 百田尚樹海賊とよばれた男』絶賛発売中! 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=bOynFbNVSD8
海賊とよばれた男 2013年1月1日〜1月5日 NHK ラジオ
【朗読】橋爪功(俳優)
物語の主人公「国岡鐡造」のモデルは、出光興産の創業者・出光佐三です。その独特の人生哲学、経営哲学をいかした波乱万丈の物語を新春企画として放送し、今の日本に元気を吹き込みたいと思っています。
http://cgi2.nhk.or.jp/navi/detail/index.cgi?id=12f24720130101
出光 佐三の言葉 IDEMITSU
http://www.idemitsu.co.jp/100year/idemitsu_sazou/
出光佐三 ウィキペディアWikipedia)より
出光佐三(いでみつさぞう、1885年8月22日 - 1981年3月7日)は、石油元売会社出光興産の創業者。
【 来歴・人物】
弟の出光計助は1966年10月から1972年1月まで第2代社長。長男の出光昭介は1981年6月から1993年5月まで第5代社長。また、九州地方でガソリンスタンドを展開する新出光(それまでは資本関係がなかったが、2005年に出光本体への出資が決定)の創業者・出光弘とも兄弟関係にあった。新出光社長の出光芳秀は甥で、その妻が推理作家の夏樹静子である。

                              • -

文藝春秋 創刊90周年記念号
激動の90年、歴史を動かした90人 「出光佐三 不景気、大いに結構」 【執筆者】天坊昭彦(元出光興産会長) (一部抜粋しています)
出光佐三明治44年、25歳で「出光商会」を立ち上げました。「店主」というのはそのときの呼び名ですが、社内では今でも佐三のことを「店主」と呼んでいます。
私は昭和39年に入社し、最初に福岡支店に配属されました。そこで初めて店主にお目にかかるのですが、第一声が「おお、天坊君か。君の親父は昔から俺のファンだ」。父(元国鉄副総裁の裕彦氏)とは戦前、上海で知り合っていたのですが、ざっくばらんな語り口はいきなり強い印象を与える人でした。
店主は、欧米の石油メジャーの独占的な支配に反発し、「メジャー何するものぞ」という反骨精神を強く持っていました。その象徴といえるものが、百田さんの小説の題材にもなった昭和28年の「日章丸事件」です。
発端は大産油国のイランが、イギリスに支配されていた石油を国有化すると宣言したこと。これを認めないイギリスは、「イランから石油を買う国のタンカーは拿捕する」と脅します。店主はこれに屈せず、出光最大のタンカー「日章丸二世」を極秘に派遣したのです。船はイギリス海軍の監視をかいくぐって、ホルムズ海峡を往復。ガソリンと軽油を運ぶことに成功したのです。ところがイギリス側は積み荷の所有権を主張して提訴してきました。店主は東京地裁の法廷に立って、
「この問題は国際紛争を起こしておりますが、私としては日本国民の一人として、府仰天地に愧(は)じない行動をもって終始することを、裁判長にお誓いいたします」
結果は全面勝訴となり、敗戦後の占領から脱したばかりの日本人に、大きな勇気を与えたのでした。
「事業は金儲けのためにやるのではない。人の役に立つためにやるんだ。そして仕事を通じて人を育てるのが会社の使命なんだ」というのが店主の変わらぬ信念でした。それを「人間尊重」と呼び、社員にもくり返し説きました。人こそが出光の財産と言う考え方で、「大家族主義」「黄金の奴隷たるなかれ」などともに、社の経営理念として受け継がれています。また、
「不景気大いに結構。天下大乱いいじゃないですか」
とも言っています。
「僕は楽観主義です。人間ちゅうものは苦労しなけりゃだめ。苦労すればするほど立派になる。人間尊重のぼくに言わせりぁ、大きく行き詰まれば、大きく道が開けるということです」
終戦時の話も語り継がれています。出光はすべての事業と在外資産を失い、残ったのは多額の借金と約千名の社員だけ。ほかの多くの企業が人員整理に踏み切る中、店主は「人間尊重」を掲げ、一人の社員のクビも切りませんでした。そのときのセリフが、
「まだ仕事は見つからないが、人間しばらく眠る時間も必要だ。活眼を開いて眠っておれ」
そうした数々の苦労を積んだ経験から、「オレの話は空理空論じゃないんだ」と常に言い、我々に向かっては、
「お前たちは苦労が足らん。物事を一面しか見ていない。何事にも、表もあれば裏もある。横もある。それを経験を通じて学ばないと、一人前とは言えない。努めて難関を歩き、努めて苦労を味わう。これが人間として大切なことである」
しかしよく聞いていると、店主の話はいつも同じなんです(笑)。主張が一貫しているのはいいとして、エピソード、言い回しまで変えないのは何故なのか、ずっと不思議に思っていました。
それがわかったのは、私自身が社長になってからです。表現を変えると、相手には違う話に聞こえ、肝心の主張がブレているような印象を与えてしまうのです。トップは絶対ブレてはいけない。
      ・
また店主は明治人らしく、王室を厚く敬っていました。昭和56年に95歳で亡くなった際、天皇陛下が悼んで御歌を詠んで下さいました。
「国のため ひとよつらぬき 尽くしたる きみまた去りぬ さびしと思ふ」
店主にとって何にも代えがたい喜びだったと思います。

                              • -

出光佐三 Google 検索
http://www.google.co.jp/images?hl=ja&rlz=1T4GZAZ_jaJP276JP276&q=%E5%87%BA%E5%85%89%E4%BD%90%E4%B8%89&gs_l=hp....0.0.0.31...........0.&sa=X&oi=image_result_group