じじぃの「人の死にざま_1059_A・ユパンキ」

アタウアルパ・ユパンキ - あのひと検索 SPYSEE
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Atahualpa Yupanqui - El carrero 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=FDsXiCNIzqE
Atahualpa Yupanqui - Duerme negrito 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=0Jo5mBZZGqU
アタウアルパ・ユパンキ ウィキペディアWikipedia)より
アタウアルパ・ユパンキ(Atahualpa Yupanqui, 1908年1月31日 - 1992年5月23日)はアルゼンチンのフォルクローレのギタリスト、歌手、作家である。
【人物】
本名エクトル・ロベルト・チャベーロ(Hector Roberto Chavero)、でアタウアルパ・ユパンキの名はインカ帝国歴代の皇帝2人の名をつなぎ合わせたものである。ブエノスアイレス州ペルガミーノで鉄道員の家庭に生まれ、のち父親の転勤によって北西部のトゥクマンに移る。父はケチュア系先住民の血を受け継ぎ、母親はバスク系移民。
1929年、処女作「インディオの小径」(Caminito del indio)でデビューし、1930-40年代に多くの作品を発表するが、その活動が反政府的と目されて1950年代初頭にはヨーロッパへの亡命を余儀なくされたこともある。その後アルゼンチンに帰国したが、後年には再び生活の拠点を海外(フランス)に移し、死の直前まで世界各国で演奏活動を行っていた。左利きであったが、特に左利き用のギターは使わず、ジミー・ヘンドリックスのように右利き用のギターに逆さまに弦を張り、演奏していた。
1964年、66年、67年、76年の4回来日公演を行っている。

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『不安の力』 五木寛之/著 集英社 2003年発行
若さが失われていくことへの不安 (一部抜粋しています)
老いていくことが不安でたまらない、という人はいるでしょう。ぼくは、若さを失っていくと考えずに、エージングであり、年輪を重ねることだ、と考えたらいいと思います。年輪を重ねていくことはプラスだと考えるのです。
いまは、大人の女性たちが、若い恰好をしても不自然ではないと見られたい、望んでいる。そうではなくて、逆に若い人が絶対にできないような格好をするという方向へは、どうしていけないのか。大人は若い人にジェラシーを感じさせるべきでしょう。あの年にならなければ、とてもあの着こなしはできないなあ、とため息をつかせればいいのです。
自分たちのカルチャーなりファッションなりを確立することを、いま、一人ひとりが真剣に考えるべきだと思います。
たとえば、身のこなし、ものの言いかた、食事のしかたから、いろいろなアートに対する洗濯のしかたなど。
そうすれば、あの年齢にならなけれなああいうバッグも持てないし、ああいう恰好も似合わないんだな、と若い人たちが憧れるようになる。そして、年齢を重ねていくということは素敵なことだな、あんなふうに自分も早く大人になって大人っぽい服を着てみたい、と。
こういうふうに、若さ志向とは逆の流れも出てくることを期待したいのです。それが、真に魅力的な社会をつくっていくのではないでしょうか。
最近の歌の世界を見ていてもそれを感じます。テレビなどによく出てくるのは、10代の中学生たち、先日も8歳の子が登場して、上手に歌っていました。その子が上手なことは認めます。ただし、そんなふうに、若い子とか幼いことがもてはやされる一方なので、日本では歌い手が成熟しなくなる。
海外に目を向けると、フレオ・オグレシアスのように若いころは単なる二枚目のアイドルだった歌手が、年配になるとじっくりいい味を出して、大人のバラードを歌ったりします。あるいは、亡くなったフランク・シナトラみたいな歌い手もいました。ディートリッヒも、ゲンズブールもそうです。日本では、50代や60代になった歌い手が、彼らのような歌い手に成熟していくことはありえない。どうしても、そんな気がしてしまうのです。
ちょっといいなと思っていた歌い手がいても、年を重ねていくのつれて、ものすごく若ぶってみたり、コメディをやって笑いを取るような出かたしかない。それで、辛うじて現役を維持しているのを見ていると、残念な気がしてしかたがありません。
僕は、若いころからアルゼンチンのフォルクローレ歌手のアタウアルパ・ユパンキという人が好きでした。あるときレコード会社の人が、「五木さんはユパンキがお好きだそうですね」と言って、ユパンキの若いころの歌を持ってきてくれました。
それを聴いてみると、すばらしい美声でじつに若々しい歌いかたでした。ところが、ぼくが受けた正直な歌の印象は全然よくなかったのです。50歳をすぎてからのユパンキの、なんともいえない渋さや、人生の厚み感じさせるしゃがれ声というものが、彼の若いころの歌にはない。ぼくはユパンキのその渋さやしゃがれ声に魅力を感じていたのです。
年を取ると、若い時の張りとか艶(つや)とか、そういうものは失われていく。しかし、年輪を重ねていくことで、それを補ってあまりあるものが生まれてくる、あるいはそれよりもはるかに魅力的なものが生まれてくる可能性があるわけです。
そのあたりは、大人の責任でもあるでしょう。ほかならぬ大人たちが、一方的に若さにこだわり、若さが失われれいくのを不安に思っているわけですから。

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