じじぃの「人の死にざま_998_高野・辰之」

高野辰之 - あのひと検索 SPYSEE
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朧月夜 東京放送児童合唱団 動画 YouTube
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春の小川 動画 YouTube
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ふるさと 合唱 動画 YouTube
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高野辰之 ウィキペディアWikipedia)より
高野辰之(たかのたつゆき、1876年(明治9年)4月13日 - 1947年(昭和22年)1月25日)は、日本の国文学者、作詞家。号は斑山(はんざん)。長野県尋常師範学校(現・信州大学教育学部)卒。
【職歴】
猪瀬直樹の「ふるさとを創った男」(日本放送出版協会、1990)等により、以下のような文部省編尋常小学唱歌の作詞者であることが広く知られるようになっている。
・「故郷」(作曲:岡野貞一)
・「朧月夜」(作曲:岡野貞一)
・「もみじ」(作曲:岡野貞一)
・「春がきた」(作曲:岡野貞一)
・「春の小川」(作曲:岡野貞一)

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『赤とんぼはなぜ竿の先にとまるのか? 童謡・唱歌を科学する』 稲垣栄洋/著 東京堂出版 2011年発行
おぼろ月夜は満月か? (一部抜粋しています)
  朧月夜(おぼろづきよ) 作詞 高野辰之 作曲 岡野貞一
 一、
  菜の花畠に、入日(いりひ)薄(うす)れ、
  見わたす山の端(は)、霞(かすみ)ふかし。
  春風(はるかぜ)そよふく、空を見れば、
  夕月(ゆうづき)かかりて、にほひ淡し。
 二、
  里わの火影(ほかげ)も、森の色も、
  田中の小路(こみち)をたどる人も、
  蛙(かわず)のなくねも、かねの音も、
  さながら霞(かす)める朧月夜(おぼろづきよ)。
「朧月夜」に歌われる風景には、夕日が沈み、空には月がかかっている。
この歌詞を耳にすると、「菜の花や月は東に日は西に」という与謝蕪村の俳句を思い出す人も多いだろう。
どちらも、菜の花畑と夕日の風景を題材としている。しかし、おぼろ月夜の風景と、与謝蕪村の俳句の風景とでは大きく異なる点がある。
それは月の形である。
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太陽が沈んだときに、西の空に月が掛っているとすると、太陽と月の位置が近いので月の右側が少しだけ輝くことになる。そのため、三日月のような形になるのである。そもそも、夕方の月を表す「夕月」という言葉は、三日月という意味を含むこともあるという。
「朧月夜」というと、挿絵には満月が描かれることも多く、満月をイメージする方も多いかもしれないが、実際には「朧月夜」の月は三日月と考えるほうが、歌詞のニュアンスからは自然なのである。
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ところで「朧月夜」の舞台として高野辰之ゆかりの地である長野県飯山市を紹介したが、もう一つ候補地がある。
東京都渋谷区の代々木上原の高架下には、「朧月夜」の歌詞と菜の花畑の壁画が描かれている。じつは作詞者、高野辰之は代々木上原の隣駅の代々木八幡に住んでいたことがあり、「朧月夜」の菜の花畑は、この代々木上原付近の一面の菜の花畑が舞台になったとも言われているのである。
現在は、ビルや住宅地で埋め尽くされた代々木上原駅周辺が、昔は一面の菜の花畑だったというのも驚きである。代々木上原駅に降り立つと、まさに隔世の感がある。
しかし長野と東京のどちらが「朧月夜」の舞台だったかと詮索するのは、やぼというものだろう。作詞者の脳裏には、近所に広がる代々木上原の菜の花畑もあっただろうし、故郷の野沢の菜の花畑の記憶も浮かんでいたことだろう。この二つの地域は、それぞれ「朧月夜」の作詞に影響を与えたとは考えられるが、この歌が、特定の場所を意識して作られたというものでもないはずである。
何しろ、昔は一面の菜の花畑の風景は、どこにでも見られるありふれた風景だった。

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