じじぃの「人の死にざま_968_アーサー王」

アーサー王 - あのひと検索 SPYSEE
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King Arthur 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=-N6pZX0sDAk
History of the Union Jack 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=WVZQapdkwLo&feature=fvwrel
アーサー王 ウィキペディアWikipedia)より
アーサー王(英語: King Arthur)は、5世紀後半から6世紀初めのブリトン人の伝説的な君主。
【理想の人物として】
アーサーは中世に9偉人(騎士道のあらゆる理念を体現する9人の英雄)の一人に選ばれた。彼の生涯は騎士道を熱望する人々にとって学ぶべき理想と考えられたのである。9偉人の1人としてのアーサーのイメージは最初文学作品によって知られるようになり、次に彫刻家や画家によって頻繁に題材にされた。特にイギリスでは、ライバルであるフランスが国の象徴としてカール大帝を持ち上げたことに対抗して、アーサー王は自国の象徴として持ち上げられた。たとえば、エドワード3世が円卓の騎士に倣ってガーター騎士団を設立したのは有名な話である。しかし、最も影響を受け利用したのはテューダー朝を開いたヘンリー7世であろう。ウェールズ出身の彼は自らの王位を正当化するためにアーサー王を利用し、王太子にアーサーと名付けたのである。ただし、アーサーは早世し、弟のヘンリーがヘンリー8世として即位したためアーサー王が誕生することはなかった。
ケルト ウィキペディアWikipedia)より
ケルト人(Celt, Kelt)は、中央アジアの草原から馬と車輪付きの乗り物(戦車、馬車)を持ってヨーロッパに渡来したインド・ヨーロッパ語族ケルト語派の民族である。
古代ローマ人からはガリア人とも呼ばれていたが、「ケルト人」と「ガリア人」は必ずしも同義ではなく、ガリア地域に居住してガリア語またはゴール語を話した人々のみが「ガリア人」なのだとも考えられる。
【島のケルト
ケルト人がいつブリテン諸島に渡来したかははっきりせず、通説では鉄製武器をもつケルト戦士集団によって征服されたとされるが、遺伝子などの研究から新石器時代の先住民が大陸ケルトの文化的影響によって変質したとする説もある。いずれにしてもローマ帝国に征服される以前のブリテン島には戦車に乗り、鉄製武器をもつケルト部族社会が展開していた。
ローマ征服までのブリテン島の先住民は初めからケルト系に属すか、「大陸のケルト」から文化的な影響を受けたケルト系住民であるという従来の定説に対し、考古学の研究成果などからその妥当性が問われつつある。
第一に行われる批判は大陸のケルトとの血縁関係が存在しないという点である。遺伝子研究によって飛躍的な進歩を遂げた現代の考古学は「島のケルト」と称されていた人々が、ガリア北部や沿岸部のどの部族からも遠い遺伝子を持つ事、そしてむしろイベリア人からの影響が存在している事をつきとめた。これは少なくとも彼ら「島のケルト」に「大陸のケルト」との混血は見られない(大規模な移民は行われていない)という事実を示している。根拠の一つであった貨幣鋳造の普及に関しても、ケルト人が齎したとされる他の文化の渡来時期と明らかに食い違う事が判明している。

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井沢元彦の英雄の世界史』 井沢元彦/著 廣済堂文庫 2008年発行
悔しさが生み出した伝説 アーサー王 (一部抜粋しています)
アーサー王というのは、ケルト民族に伝わる伝説上の王である。イギリスという国は、イングランドスコットランドウェールズといった地域の連合によって成り立っているが、そんなイギリスの主島グレートブリテン島の偉大な王とされているのが、アーサー王である。
彼の物語は紀元6世紀頃のこととされているが、その頃グレートブリテン島に住んでいたのは、現在のイギリス人の大半を占めるアングロサクソン族ではなく、ケルト人という先住民族だった。だが、青銅器文化を有していたケルト民族は、後から鉄器を持って入ってきたアングロサクソンとの競争に敗れ、その支配下にお彼てしまう。今でもイギリスの一部ではケルト語が生きているので、ケルトの文化が完全に失われたわけではないのだが、民族として負けたケルトの悔しさがアングロサクソンを敗走させるという「アーサー王伝説」を生み出したのである。
アーサーは、彼の父である、ブリテン王が、その忠実な部下である魔術師マリーンの力を借りて、敵対するアングロサクソンの王、コーンウォール王の妃をだまし、同衾(どうきん)することによって生まれた王子である。しかし、彼は生まれてすぐに人に預けられるため、自分の出生の秘密を知らずに成長する。
当時ブリテン島には、剣の突き刺さった大石があり、それには、その剣を抜いた者がブリテンの王になるという伝説が語り継がれていた。そのため、何人もの力自慢が剣を抜こうとするのだが、誰も抜くことができないでいた。ところが、成長したアーサーがその剣を握ると、剣はいとも簡単に抜けてしまう。これによりアーサーは、ブリテンの王となる。
王となったアーサーは、魔術師マリーンの力を借りて次々と反乱分子を平定していく。聖剣エキュリバーを湖の精から授かるのも、そうした戦いの中でのことである。そんな彼の宮廷キャメロットには、彼を慕い多くの騎士が集まった。そして、その中でも特に忠実で優秀な騎士たちによって円卓の騎士団が形成された。円卓というのは丸いテーブルのことである。これは、騎士たちがアーサー王とともに丸いテーブルにつき、さまざまなことを協議しながら勧めていったところから付いた名前である。こうしてアーサー王は、最終的にはローマ帝国をも打ち負かし、皇帝にまでなってしまう。
しかし、日本の伝説上の英雄ヤマトタケルがそうであったように、アーサー王もまた、栄光の後に悲劇的な運命を背負うことになる。彼に降りかかった悲劇は、彼が最も信頼していた騎士ランスロットと、彼の妃グィネビアの密通だった。この悲しい事実を、アーサーは甥のモードレットから告げられる。だが、ランスロットは、武勇においても高潔さにおいても第1といわれた騎士である。そして何よりも、アーサーにとって彼は、イングランドを平定するためにともに戦ってきた仲間である。そのためアーサーは、本当はランスロットと戦いたくなかった。しかし、ランスロットとグィネビアの2人を憎むモードレットによって、その不義の証拠を突きつけられ、アーサーは戦わざるを得なくなってしまう。
ところが、アーサーがフランスに逃げたランスロットと戦うために、海を渡りフランスへ兵を進めた間に、2人が戦うよう仕向けたモードレットが反乱を起こし、宮廷を乗っ取ってしまう。モードレットが反乱を起こしたという知らせを受けたアーサーは、そのことをランスロットに告げる。もともと戦いたくなかった2人である。両軍はすぐに戦いを中断し、アーサーはモードレットを討ちにイングランドにとって返した。
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これは実際の民族競争に敗れた側が作り上げた伝説である。つまり現実ではないのだが、こういう形で人々の心の中に生き続ける英雄もまた存在するのである。
現実の世界で破れた民族というのは、その悔しさを昇華させるため、本当は自分たちはこのような形で勝ちたかったということを、自らの神話に託し、民族の希望として語り伝えていくのである。

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