じじぃの「人の死にざま_918_金・日成」

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金日成主席最後の新年辞(94年) 動画 YouTube
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THE KOREAN WAR 動画 YouTube
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金日成 フリー百科事典『ウィキペディアWikipedia)』 (一部抜粋しています)
金・日成(キム・イルソン、1912年4月15日 - 1994年7月8日)は、朝鮮半島の抗日運動家・革命家で、朝鮮民主主義人民共和国北朝鮮)の政治家、軍人。朝鮮の独立を目指して抗日パルチザンを指揮し、第二次世界大戦後はソビエト連邦の支持の下、北朝鮮朝鮮民主主義人民共和国を建国した。以後、死去するまで同国の最高指導者の地位にあり、1948年から1972年までは首相を、1972年から死去するまで国家主席を務めた。また、同国の支配政党である朝鮮労働党の党首(1949年から1966年までは中央委員会委員長、1966年以降は中央委員会総書記)の地位に、結党以来一貫して就いていた。
称号は朝鮮民主主義人民共和国大元帥朝鮮民主主義人民共和国共和国英雄(三回受章しており「三重英雄」と称される)。
北朝鮮においては「偉大なる首領様」などの尊称の下に神格化され、崇拝されている。彼の死後1998年に改定された朝鮮民主主義人民共和国社会主義憲法では「永遠の主席」とされ、主席制度は事実上廃止された。現在、遺体は平壌近郊の錦繍山記念宮殿に安置・保存されている。
【日本人女性が見た金日成
金日成が帰国した当時の朝鮮半島には、まだ多くの日本人が残留しており、避難民はソ連軍や朝鮮人から使役と称して強制労働を強いられていた。このころ金日成宅では2人の日本人女性が女中として働いていた。日本人の元女中の回想によると、金日成は、接収した日本人の邸宅に住んでおり、夫人とユーラ(長男。後の正日)・シューラ(次男。万一ともいう)という名の息子と一緒に住んでいた。食事方式はロシア式を採用し、朝食10時、昼食3時、夜食が9時 - 10時だった。金正淑夫人も日本人女中2人に、当時の日本人避難民の平均的な食事からすれば豪華な白米や鶏肉等を食べさせていた。ただし食事以外では金家の生活程度は高くは無く、トイレはチリ紙ではなく新聞紙で用を足し、時にはボール紙で用を足してトイレを故障させることもあったという。

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『インテリジェンス人間論』 佐藤優/著 新潮社 2007年発行
金日成のレシピー (一部抜粋しています)
私は2002年5月14日、「鈴木宗男疑惑」関連事件で東京地検特捜部に逮捕され、512日間ほど小菅(東京拘置所)で「臭いメシ」を食った。「臭いメシ」と言っても、食事が腐っているわけではなく、米7割、麦3割の主食に大麦の香りがするということで味はなかなかよい。朝鮮料理ではナムルがときどきでたし、イカとキムチの和え物もおいしかった。また、冬季は自費でキムチを週2回購入することができた。しかし、冷麺、焼き肉はない。
ソ連崩壊を北朝鮮がどのように受け止めたかを整理してみようと思い、弁護人に頼んで獄中に北朝鮮で発行された日本語版『金日成著作集』を差し入れてもらった。その中で金日成が食について詳細に論じた演説記録を見つけ、食欲を大いにそそられた。『金日成著作集第四十二巻(1989年6月〜1990年12月)』に収録された「香山郡をはじめ観光地をりっぱに整備するために――中央および地方の責任幹部協議会でおこなった演説――1989年6月16日」だ。
金日成北朝鮮が外貨を獲得するために、観光インフラを整備し、外国人を呼び込むとの戦略でを立て、おいしい朝鮮料理を目玉にしろと強調する。少し長いが金日成の肉声を知ってもらうために正確に引用する。
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1.チェンバン麺のつけ汁は熱くしろ
平壌の冷麺とチェンバン麺(筆者註:盆のような鉢にもりつけた麺)は昔から有名です。とくにチェンバン麺が有名です。ところがいま、平壌の人はチェンバン麺の作り方をよく知りません。この4月に玉流館でチェンバン麺を食べましたが、そのときチェンバン麺に冷たいだし汁が出ました。きっと、玉流館の調理師のなかにはチェンバン麺にくわしい人がいないのでしょう。もともと平壌チェンバン麺は、大きなお盆に麺と具をもりつけ、熱いかしわ汁を横において、麺が冷めないようにつぎ足しながら食べるのです。チェンバン麺には鶏肉、牛肉、豚肉のスライスにキノコ、ブンドウもやしのあえものといった具をたくさんそえれば美味です。昔はチェンバン麺をおいて酒を飲んだものですが、具としてももりつけられた鶏肉や牛肉、豚肉、キノコ、ブンドウもやしのあえものなどを肴にしました。香山巴に冷麺食堂を設けて平壌冷麺とチェンバン麺を出せば、外国人はどんなものかと賞味するでしょう>
2.ボラのスープは唐辛子でなく胡椒で味付けろ
<いつかある幹部に、市内の食堂でボラ汁をどんなふうにつくっているのかと問うと、トウガラシとにんにくの薬味しょう油をつくり、それを入れて舌がぴりぴりするほど辛くするのが風味だというのでした。ボラ汁は薬味しょう油を差して煮立てるとボラ汁独特の味がなくなり、咸鏡道の人が好むカレイの辛汁のようになってしまいます。ボラ汁は石なべに水を入れて煮立ててこそ持ち味がでます。鉄釜で煮立てることもできますが、石なべで煮立てれば、ボラ汁独特の味が生かされます。ボラのうろこを取り除き、ぶつ切りにして石なべに入れてから水をつぎ、コショウを12、3粒ガーゼに包んで入れます。そうしてじっくり煮立てると黄色い油が浮きだして、とても香りのよい美味なビラ汁が出来上がります。ボラ汁を客に出すときは、鉢にボラの身をひと切れ移し汁をついで出せばよいのです>
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さて、現在の「将軍様」、金正日同志は食に対してどのようなこだわりをもっているのであろうか。平壌の外国文出版社から出ている日本語やロシア語の書籍に目を通したが、金正日自身が食について指示した文献には出会っていない。金正日が「喜び組」の美女たちをはべらせて大宴会を行っていることについて記した北朝鮮本は少なからずあるが、私は情報屋生活が長かったので、伝聞情報は、私自身が信頼できる情報源から得た、蓋然性が高いと思われる情報以外は、考察の対象として取り上げないとしている。
金正日の食の好みについて、私が聞いた信頼に足る情報は1つだけだ。情報源はあえてぼかすが、ロシア人の朝鮮語の達人でソ連時代に金正成の信任が厚く、金正日と直接会話を交わし、食事をしたこともある人物だ。ロシアにおける「北朝鮮事情の第一人者」と呼ばれている人物で、クレムリンやロシア外務省のみならず諸外国の専門家もこの人の話を聞くためにモスクワを訪れる。私が「金日成金正日の性格はどこが大きく異なるのか」と尋ねたのに対して「第一人者」はこう答えた。
「そうだね。まず、金日成は不愉快な話を聞いても感情を顔に出さない。ニコニコ笑って話をしている相手でも、腹の中では粛清してしまおうと考え、それを実行する。金正日は感情を隠すことができない。すぐに顔や態度にでる。それだけわかりやすい人物だ。その次には食にたいするこだわりだね。金日成は食通だった。歴史的に朝鮮料理は南(韓国)よりも北の方が中華料理の影響を受けているので洗練されている。もともと料亭文化の伝統は平壌に強い。金日成はうまい食べ物や飲み物に強い関心があった。フランス料理も好きだ。金正日は方は、僕の見たところ、食事よりも面白い話に関心がある。会話に熱中すると、料理には関心がなくなってしまうようだ……」
この情報を基礎に考えるならば、将来編纂されるであろう「金正日著作集」にレシピーが収録されることはないであろう。それにしても、金正日が客人にふるまうチェンバン麺のつけ汁は、熱いのであろうか。ボラのスープは唐辛子でなく胡椒で(それもガーゼに包んで)味付けられているのだろうか。

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