じじぃの「人の死にざま_775_柳家・金」

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ジェスチャー 動画 YouTube
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落語「強盗」 - 柳家金語樓 動画 YouTube
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柳家金語桜 フリー百科事典『ウィキペディアWikipedia)』 (一部抜粋しています)
初代柳家金語楼は、喜劇俳優、落語家、落語作家・脚本家(筆名・有崎勉)、発明家、陶芸家。本名・山下敬太郎。落語家時代の出囃子は『琉球節』。禿頭を売り物にし、エノケン・ロッパと並ぶ三大喜劇人として知られた。
喜劇俳優
・1928年 曾我廼家五九郎に勧められ、五九郎劇『二等兵』に出演。
・1938年 吉本興業に所属。吉本と大阪朝日新聞主催の慰問団「わらわし隊」に参加。
・1940年 金語楼劇団旗揚げ。
・1953年 NHKテレビ『ジェスチャー』出演。
・1954年 日本喜劇人協会結成。副会長就任。
・1956年 ラジオ東京テレビ『おトラさん』放送開始。当たり役となる。
・1968年 日本喜劇人協会会長就任。

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『人間臨終図巻 下巻』 山田風太郎著 徳間書店
柳家金語桜(やなぎやきんごろう ) (1901-1972) 71歳で死亡。 (一部抜粋しています)
喜劇俳優としてエノケンと天下の人気を二分した柳家金語桜は、芸人仲間や演劇関係者にも愛嬌をふりむいたが、実は小心でカンシャク持ちで、怖ろしい人間ぎらいだった。
彼は、「出演中の劇場の楽屋で石を3つ投げれば、どれか1つはかならず金語桜の子供にぶつかるといわれたほどの大量生産メーカー」と長男の山下武に書かれたほど一座の女性に片っぱしから手をつけたが、生来の女好きのほかに、それはこの外面内面(そとづらうちづら)の落差からくるストレスを解消させる手段でもあったのだろう。
晩年、老齢のために急速に仕事を失ったが、それでも第4夫人まであった。
彼は死ぬまで仕事をしていた。彼は胃ガンにかかっていることを知らなかった。彼も自分の身体の異常に気づかなかったはずはないが、扶養すべき人間を数多く持っている身として、死物狂いに働かないわけにはゆかなかったのであろう。まさに悲喜劇である。
金語桜がついに倒れて、東京信濃町の慶応病院に入院したのは、昭和47年10月16日のことであった。主治医の尾関全彦医師は語る。
「16日に入院なさいましたころから朦朧(もうろう)状態で、腰が痛いとおっしゃっていました。この腰の痛みと、最近の食欲減退、不眠症のために入院なさったわけですが、検査の結果、18日にはガンであることがわかりました。しかも非常に悪い状態で、肝臓、腰椎などもやられていました」
ベッドのまわりには「何人もの夫人」がとりまいていた。まるで「柳家金瓶梅」である。
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火葬場で白骨化したとき、係員はそれを見ていった。
「この人の骨は、からだを磨(す)り減らした人の骨だ」

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