じじぃの「世界遺産・トプカプ宮殿・イスタンブール!世界漂流」

遥かなる地の記憶 −トルコ総集編− 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=n9Y7YJDffzc&feature=related
風に吹かれて街歩き ボスポラス海峡クルーズ 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=rr290lq5Dfg
トプカプ宮殿 Google 検索
http://www.google.co.jp/images?sourceid=navclient&hl=ja&ie=UTF-8&rlz=1T4GZAZ_jaJP276JP276&q=%E3%83%88%E3%83%97%E3%82%AB%E3%83%97%E5%AE%AE%E6%AE%BF&oi=image_result_group&sa=X
アヤ・ソフィア寺院 Google 検索
http://www.google.co.jp/images?sourceid=navclient&hl=ja&ie=UTF-8&rlz=1T4GZAZ_jaJP276JP276&q=%E3%82%A2%E3%83%A4%E3%83%BB%E3%82%BD%E3%83%95%E3%82%A3%E3%82%A2%E5%AF%BA%E9%99%A2&oi=image_result_group&sa=X
エセーニンのポエムより・・・ボスポラス My Life As A Nomad
http://plaza.rakuten.co.jp/cybele/diary/200907030000/
「最強の頭脳 日本一決定戦! 頭脳王」で紹介された情報 (追加) 2013年12月13日 日本テレビ
・最強の頭脳 決勝戦
6世紀に建設された、世界遺産にもなっているトルコの大貯水槽(地下宮殿)を答える問題。正解はバシリカ・シスタン。
http://www.ntv.co.jp/zuno/
日−トルコ「友情のシンボルに」 首相、ボスポラス海峡横断地下鉄開通で祝辞 2013.10.29 MSN産経ニュース
首相は「ボスポラスを結ぶ横断地下鉄が日本とトルコの友情のシンボルとなり、両国が友好関係を発展させることを期待したい」と祝意を示した。
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/131029/plc13102908410004-n1.htm
地球大紀行スペシャル 「世界海峡 イスタンブール玉木宏アジア紀行 最果ての海へ!」 2012年1月28日 TBSテレビ
玉木宏の旅のスタートは、トルコ最東部の町・ドウバヤズット。ここから、アジアの果てにある『海峡』を目指す。
http://www.tbs.co.jp/program/cbc_istanbul_20120128.html
ハイビジョンスペシャ上原多香子 トルコ ベリーダンスの心にふれる 2009年放送 NHK
【出演】上原多香子、セマ・ユルドゥズ
世界的に愛好者が多いベリーダンス。かつてオスマントルコの宮殿のハーレムで踊られていたダンスが、なぜ、これほど人の心をとらえるのでしょうか。SPEEDの上原多香子ベリーダンスに魅せられた一人です。その源流をたどってトルコを訪ねた上原は、往年のスターダンサーで今も現役のセマからレッスンを受けます。女性として成長を重ねた上原が「自分のためのダンス」を満喫し、ベリーダンスの心にふれる旅に密着します。
http://www.nhk-ondemand.jp/goods/G2011029191SA000/
世界遺産ライブラリー [イスタンブール歴史地区] NHK世界遺産
ヨーロッパとアジアの接点に位置するトルコのイスタンブールは、政治的、軍事的な拠点として、また、東西文化が交わる拠点として、常に重要な都市でした。ローマ帝国ビザンツ帝国オスマン帝国と、3つの帝国の首都として繁栄した歴史が色濃く残る町です。
「シリーズ世界遺産100」では、15世紀にオスマントルココンスタンティノポリスを陥落させた戦いと、キリスト教世界からイスラム教世界への変遷の歴史を描きます。4世紀にコンスタンティノポリスと名づけられた都市は、キリスト教を奉じるビザンツ帝国の首都として繁栄しました。三方を海で囲まれたコンスタンティノポリスは、陸側を城壁で囲んだ要塞都市でした。大城壁は1000年もの間一度も破られることはありませんでした。難攻不落をうたわれた都市を攻撃したのは、若きスルタン、メフメット2世に率いられたイスラム教のオスマン帝国でした。オスマン帝国は、「オスマン艦隊の山越え」と呼ばれる奇策によって、ついにコンスタンティノポリスを陥落させたのです。攻防戦から25年後、スルタンは市内を見下ろす丘にトプカプ宮殿を構え、町の名をイスタンブールと変えました。その後オスマン帝国は長く栄華を築きます。その秘訣は、出身民族や身分に関係なく、優秀な人材を積極的に登用したことにありました。
http://www.nhk.or.jp/sekaiisan/card/cards186.html
『世界漂流』 五木寛之/著 集英社 1992年発行
イスタンブール小景 (一部抜粋しています)
トルコ航空ジェット機に乗るのは大変だ。まず、手荷物のみならず、すべての荷物が徹底的に検査される。もっともこれはギリシャから搭乗したせいだろう。
つまりギリシャ人は、表向きはトルコが嫌いである。もっとも本音はどうだかわからない。
ギリシャで例のトルコ・コーヒーを注文するとする。
「タルキャシュ・コーヒーをたのむ!」
では、まずいい顔はされないだろう。あのカップの底にどろりとコーヒーの粉末が残るコーヒーを、ギリシャでは、
「グリーク・コーヒーをくれ!」
と怒鳴るべきであるそうな。
要するに歴史的にトルコに長い間、支配されてきたギリシャ人のナショナリズムが、トルコ人とは共に天をいただかず、という心情となってコーヒーにまで影響しているというのだが、はたしてどんなものか。
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時は夜半。
季節は9月。
左手に銀色に輝く海が見える。海峡だ。銀色に輝いているのは、空にかかった鏡のような月のせいだ。その海面がボスホラス海峡だと気づいて、思わずエセーニンの詩の一節を叫んでしまった。
<きみは ボスホラスの 海を見たか――>
見た、見た、それも月光にきらめく地上の銀河のような海峡をだ。
その対岸に黒く低くうずくまるのは、アジアだ。
右手に視線をずらす。
地上から投射される照明の中に、くっきりと浮かびあがっている緑色の屋根の建物、あれはトプカプ宮殿にちがいない。アメリカ映画のタイトルじゃトプカビとなっているが、TOPKAPIと書いてトプカプと読む。ダブルオー・セブンの映画だったっけ。
どうも記憶があいまいだが、トプカプ宮殿から、エメラルドの巨石のついた短剣を盗み出す映画もあったはずだ。
さらに右手にそびえているイスラム風モスクとミナレット(尖塔)のシルエットは、例のあまりにも有名なアヤ・ソフィア寺院だろうか。
そうだとすると、その隣のモスクは、ブルー・モスクにちがいない。いずれも照明の中に夢のように空中に浮かびあがって見える。さらに真正面にまばゆい光の中に輝いている巨大な建物は、シュレイマニエ寺院とも思われる。
ガイドブックの略図をたよりに。ガラタ橋を探す。あった。その手前、こちたの岸に異様な塔がそびえている。あれがガラタ・タワーだ。その附近には、イスタンブール唯一の人肉市場、赤線の街が塀に囲まれてあるという。金色に輝く大きな川は、実は入江であってゴールデン・ホーンと記されている。
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イスラム教寺院の庭に、コンクリートの机のような、ベンチのようなものが置かれている。
通訳のK氏いわく。
「よく日本人の観光客のかたで、自音の見学に疲れてしまったせいか、あの上に腰をおろして休んだり、なかにはお弁当を広げていたりするかたがいらっしゃいますが、あれはイスラム教徒が死んだ人を運んできて、そこに横たえて洗う台なのです。そのあと衣に包んで土葬するわけですね。観光客のかたも別に気にならなければお座りになってもかまわないんですが」
ところで、イスタンブールの街の観光の目玉はトプカプ宮殿だ。
トプは、大砲のこと。カブは門である。昔、門の前に大砲が飾ってあったことから、トプカプと呼ばれるようになったらしい。ようするに大砲の門宮殿だ。
このトプカプ宮殿は、どこか非常にアジア的な雰囲気の建物で、平面的に横へ横へと延びている。西洋の高く堂々と贅を極めた宮殿の感覚と全く違うのは、われわれとつながるモンゴリアン系のトルコ遊牧民によって造られた建物だからだろうか。
質素で、剛直、自然とよく調和して、水や植物などをうまく取り込んだ建物に遊牧民の気風がよくあらわれていると思った。
このトプカプ宮殿のハーレムをみて、ゾッとしないひとはいないだろう。
これはまるで刑務所ではないか。
太い鉄格子は厳重に窓の外を覆っている。重く大きな扉は、男の手でも開けるのが大変なくらいの厳重さだ。中は狭く、暗い。ずらりと並んだ独房のような部屋の左側は、国人女の部屋だと教えられた。その建物の一角に石でできた流し台のような長い台がある。
それはハーレムの女たちの食事を並べる場所であったそうだ。そこに並べられた食事をそれぞれの部屋へ運んで食べたのだという。そして、その最下位のハーレムの中から選別されてスルタンの目に止まった幸運な女は、それより少し明るい2階の部屋へ移される。いずれにせよ、華やかな大広間で数百人の美女がはべっているハーレムのイメージとは、全く違った暗く陰惨な住まいだ。
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このトプカプ宮殿でぼくが最も気に入ったのは、その中にある<コンヤル>という古い歴史を持つレストランだった。
トプカプ宮殿の端の方に、こじんまりした平家建てがある。その建物がレストラン・コンヤルだ。
階段を降りてゆくと、突然、まっ白いテーブルクロスとその向こうに青い海が目にしみるように飛びこんでくる。
半円型の窓にはアイビーが品よくからまって、窓からさす陽光が銀色のナイフやフォークの上に美しい。店内は古風とモダンが奇妙に調和する落ち着いたインテリアだ。
ぼくが訪れたのは11時45分頃で、まだ昼食のためにやってくる観光客や団体でごった返す直前だったから、店内はしんと静まり返っていた。
窓の外の紺青の海は、ボスホラス海峡だ。
アジアとヨーロッパ海峡。
古代からアジアとヨーロッパをへだてるこの美しい海峡を、幾多の民衆、商人、英雄、冒険者たちが渡った。ペルシャのダリウス大王が渡ったのもこの海峡だ。
ぼくは以前からその海峡に憧れていた。それは、革命の後にペテルブルグのホテルで首を吊って自殺した詩人、エセーニンの憧れつづけた海峡だからである。ぼくはエセーニンと、セリーヌに昔から共通の興味を抱いてきていた。今もそうだ。
<きみはボスホラスの海を見たか>
と、彼はうたった。
<君の目の中に、みどりの火の燃える海なのだ>
エセーニンがこの海に憧れたのは、ただその濃紺の海の色の美しさからだけではない。ボスホラスは、アジアとヨーロッパの交わる場所である。そして暗く重い黒海から光に満ちた地中海への通路でもある。ロシアの詩人がアジアとヨーロッパに憧れるのは、光輝くギリシャ文明への憧れでもあり、またルネサンス的人間への夢想だったのだろう。

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どうでもいい、じじぃの日記。
五木寛之著 『世界漂流』という本を見ていたら、「イスタンブール小景」というのがあった。
ずいぶん、前にブログに「イエス・キリストの顔」というので書いたことがある。

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エスユダヤ人であるマリアの子どもである。その当時のユダヤ人の一般的な顔立ちはどんなだったのだろうか。
イスラエル建国当時のパレスチナ人に近い顔立ちなのだろうか。
2001年に製作された英BBCテレビ『神の子』に出ている画像では、イエスの顔はトルコとか、アフガンの人のような顔立ちである。
8/26、再放送であったが、NHKクレオパトラ 妹の墓が語る悲劇」を観た。
クレオパトラの肖像はコインなんかにも刻まれていて、およそこんな顔だったと思わせるのだが、このクレオパトラに妹がいた。そしてトルコにある妹の墓から妹の人骨が掘り出され、妹の顔が復元されたのである。
その顔は白人ではなく、やはり現在のトルコとか、アフガンの人の顔立ちだったのである。
イスラエル、トルコ、シナイ半島の人は同じ中近東の人種だ。イエスの顔がトルコ系の顔立ちというのも不思議ではない。
ただ、日本人でも顔がごついとか、のっぺりしたのがいる。また、同じ日本人といっても、知的な顔とそうでもない顔がある。
いいほうに解釈して、イエスはトルコ系の顔立ちで、少しのっぺりした、知的な顔立ちの人だったのではあるまいか。

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「古代からアジアとヨーロッパをへだてるこの美しい海峡を、幾多の民衆、商人、英雄、冒険者たちが渡った。ペルシャのダリウス大王が渡ったのもこの海峡だ」
東ローマ帝国は、東西に分割統治されて以降のローマ帝国の東側の領域を指す通称で、ビザンツ帝国とも呼ばれた。都はコンスタンチノープルに置かれ、ヘレニズム文化、キリスト教の融合した独特のビザンチン文化を生み出した。コンスタンチノープルとは現在のトルコのイスタンブールのことだ。(イスタンブールはトルコの最大の都市だが首都は1923年に、アンカラに移った)
<きみはボスホラスの海を見たか>
「エセーニン詩集」より 内村剛介
 ボスホラスへは行ったことがない。
 ボスホラスのことは きいてくれるな。
 でも、ぼくは海を見たんだ、君の目に。
 碧の火の燃える海なのだ。
「ぼくは以前からその海峡に憧れていた。それは、革命の後にペテルブルグのホテルで首を吊って自殺した詩人、エセーニンの憧れつづけた海峡だからである。ぼくはエセーニンと、セリーヌに昔から共通の興味を抱いてきていた。今もそうだ」
トルコはいつか、行って見たい国だった。
東日本大震災が発生したとき、海外から多くの支援部隊が被災地で救援活動を行った。そして最後まで残って救援活動をしてくれたのがトルコだった。
イスタンブール街全体が「イスタンブール歴史地区」の文化遺産として、1985年にユネスコ世界遺産に登録された。