じじぃの「人の死にざま_765_小松・左京」

小松左京さんが7月26日に亡くなられました。ご冥福をお祈りいたします。
小松左京 - あのひと検索 SPYSEE
http://spysee.jp/%E5%B0%8F%E6%9D%BE%E5%B7%A6%E4%BA%AC/1157/
日本沈没(1973)予告編 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=qvI1KBOwGQg&feature=related
日本沈没」は戯れ事ではないー"Sinking of Japan" informed through Movie 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=-n8VrfqrRj4
小松左京さんの幻のデビュー作 「怪人スケレトン博士」



小松左京さん幻のデビュー作、米で発見 旧制三高時代の漫画本 2014/6/14 日本経済新聞
2011年に亡くなったSF作家の小松左京さんが、旧制三高時代に本名の小松実の名前で描き、1948年に出版された漫画本が米メリーランド大・プランゲ文庫で所蔵されていることが14日までに分かった。
小松さんは京都大在学中に複数の漫画本を出版しているが、それ以前の作品の存在は知られておらず“幻のデビュー作”とみられる。地震や科学を題材にしており、代表作の小説「日本沈没」に通じる創作の原点を示す貴重な資料だ。
http://www.nikkei.com/article/DGXNASDG1400L_U4A610C1CR0000/
小松左京さん死去=80歳、「日本沈没」など壮大なSF小説 2011/07/28 時事ドットコム
日本沈没」など壮大なスケールのSF小説で知られ、1970年の日本万国博覧会大阪万博)のプロデューサーなども務めた作家、小松左京(こまつ・さきょう、本名実=みのる)さんが26日午後4時36分、肺炎のため大阪府箕面市の病院で死去した。80歳だった。大阪市出身。葬儀は済ませた。
京大文学部卒。経済誌記者や漫才台本作家などを経て、62年、「SFマガジン」に「易仙逃里記」が掲載されデビューした。9年がかりで執筆した近未来SF「日本沈没」を73年に発表。地殻変動で危機に直面する日本の運命をリアルに描き、日本推理作家協会賞星雲賞を受賞。上下巻合計で400万部を超える大ベストセラーに。
同作は映画化、テレビドラマ化され、一大センセーションを巻き起こした。2006年には33年ぶりに映画のリメーク版が公開された他、作家谷甲州氏との共著で「第二部」を発表し、健在ぶりを示した。
他に、自ら映画版の脚本、製作、総監督を手掛けた長編「さよならジュピター」(星雲賞)や、「果しなき流れの果に」「地には平和を」「日本アパッチ族」「復活の日」「首都消失」(日本SF大賞)など。
プロデューサーとしての手腕も発揮。大阪万博や85年の国際科学技術博覧会(つくば博)、90年の「国際花と緑の博覧会」などに関わった。
今月8日に体調を崩して入院していた。事務所によると、亡くなる直前、東日本大震災に関連して「今は大変な時期かもしれないけれど、この危機は必ず乗り越えられる。この先、日本は必ずユートピアを実現できると思う。日本と日本人を信じている」とのメッセージを残したという。
http://www.jiji.com/jc/zc?k=201107/2011072800563
クローズアップ現代 「想像力が未来を拓(ひら)〜小松左京からのメッセージ〜」 2011年11月24日 NHK 動画あり
【スタジオゲスト】作家 瀬名秀明 【キャスター】国谷裕子
日本沈没」で知られるSF作家小松左京さんが7月に亡くなった。星新一筒井康隆とともにSF御三家といわれ、膨大な知識と教養から未来を描く「未来学者」でもあった小松さん。戦後、高度成長期のなかで「バラ色の未来」を期待する風潮を批判し、常に科学と人間のあり方に警鐘を鳴らしてきた。死後、見つかった原稿や構想メモから浮かび上がってきたのは、世間に受け入れられず精神を病みながらも、研究分野や立場を越えて、未来を「想像」して築いていこうと格闘する姿だった。震災後のいま、日本社会が進むべき未来予想図をどう描くか、研究者や作家のなかで、小松さんたちSF作家の未来を描く「姿勢」が見直されはじめている。「人間は未来を見ることができる唯一の動物である」。小松さんが最後まで信じた“SFの力”=未来を描く「想像力」の意味を考える。
http://cgi4.nhk.or.jp/gendai/kiroku/detail.cgi?content_id=3125
あの人に会いたい 「小松左京 2011年11月28日 NHK映像ファイル
【出演者】小松左京
日本を代表するSF作家・小松左京。科学知識を基にした壮大なスケールの作品で、幅広いファンを持つ。なかでも地殻変動で日本が沈没する「日本沈没」は400万部を超えるベストセラーとなった。常に、科学技術の進歩と、その恐ろしさをテーマに作品を書き続けた。その思いが語られる。
http://pid.nhk.or.jp/pid04/ProgramIntro/Show.do?pkey=001-20111128-21-30032&pf=f
11月28日放送 NHK 「あの人に会いたい 小松左京」から
SFの巨匠小松左京さん。『日本沈没』や『首都消失』など科学知識を基にした壮大なスケールの小説で日本のSF界をリードしてきました。
「人類はこれから先、この地球上でいちばんいろんな知恵と力がある生物ですけど、どういう風に賢く振る舞っていったらいいんだろうということを理屈じゃなくて、手に汗握るようなワクワクしたストーリーの中で扱えるのがSFだと思うんです」
小松左京さんは昭和6年、大阪で生まれました。幼いころから科学技術への興味を持った少年だったといいます。しかし昭和20年中学3年の時、広島・長崎に相次いで投下された原爆に小松さんは強い衝撃を受けました。
昭和16年北村小松という方が『火』という一種のSFを書いたんです。主人公の男の子がおじさんに『なに操っているの』と聞いたら『原子爆弾だ』という。『どんなものですか』と聞いたら『マッチ箱ひとつで富士山がぶっ飛ぶ』。子ども心にですね、うそだろう。タコの火星人とか、タイムマシーンみたいなものと思った。4年経ったら日本に落ちてきた。ですから科学技術は必ずしも人間に新しい未来、使いようによってはひどいことになっちゃうと、これはショックだった」
当時の思い出を小松さんは自伝に記しています。
「科学は何を作り出すかわからない。科学を制御できなければ人類は滅んでしまう」
原爆投下の時に痛感した科学技術の進歩と恐ろしさが小松左京の原点となります。
       ・
小松さんは新しい科学技術、新しい学説に注目。起こり得る近未来小説に力を入れました。そして誕生したのが代表作『日本沈没』です。地殻変動で日本列島が海に沈むという物語は発売当時400万部を超える大ベストエラーとなり、映画化もされ、社会現象となりました。
戦後、科学技術の発達で豊かになった日本。小松さんは日本沈没で警鐘を鳴らしたのです。
「気がついてみると日本は豊かな国になったんです。だけど高度成長でバンザイバンザイでいいのかね、と。だけどサイエンスってのがからんでくるから、途中からもしこんなことが本当に起こりうるんだったら、読んだ人、一人一人が周りを見回すかも知れないと思ってね。今逆にそういうものに対して、ただ繁栄、めでたいと言って、そういうことに関して何も警戒心とか、経験を生かすということをやっていなければ、前よりもっとひどいんじゃないかと思いました」

                                    • -

小松左京 Google 検索
http://www.google.co.jp/images?sourceid=navclient&hl=ja&ie=UTF-8&rlz=1T4GZAZ_jaJP276JP276&q=%E5%B0%8F%E6%9D%BE%E5%B7%A6%E4%BA%AC&oi=image_result_group&sa=X