じじぃの「人の生きざま_97_キッシンジャー」

ヘンリー・キッシンジャー - あのひと検索 SPYSEE
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2011年の10の予測 デイリーモーション動画
http://www.dailymotion.com/video/xgi0el_2011yy10yyy_news
A Discussion with The Honorable Henry A. Kissinger 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=rjxX46N4qyE
BSフジ・プライムニュース キッシンジャー氏ら招き日本の針路を考える 2011.11.15 MSN産経ニュース
毎日2時間にわたりゲストを交えてニュースを伝えるBSフジの報道番組「BSフジLIVE PRIME NEWS」(月〜金曜、午後8時)が、15、16日の両日、「2012年問題の核心と日本の針路」をテーマに、ヘンリー・キッシンジャー米元国務長官(88)ら外交の重鎮を迎えて語り合う。
環太平洋戦略的経済連携協定(TPP)、欧州経済危機、領土や普天間基地移転問題など、重要な外交課題が焦点となっている。こうした中、米露中など主要国が指導者の交代期を迎え、国際秩序が空洞化しかねないと懸念される「2012年問題」が待ち受けている。各国の利害がむき出しになる中、日本は国際社会にどう向き合うのか。番組では、15日にキッシンジャー氏と中曽根康弘元首相(93)を迎えて話を聞く。16日は駐日EU代表部のハンス・シュヴァイスグート大使(60)を迎え、EUの危機管理と立て直しの行方について核心に迫る。
http://sankei.jp.msn.com/entertainments/news/111115/ent11111508140003-n1.htm
ヘンリー・キッシンジャー フリー百科事典『ウィキペディアWikipedia)』 (一部抜粋しています)
ヘンリー・アルフレッド・キッシンジャー(Henry Alfred Kissinger, 1923年5月27日 - )は、ドイツ出身のアメリカのニクソン政権およびフォード政権期の国家安全保障問題担当大統領補佐官国務長官国際政治学者。【人物・来歴 】
1923年に、ドイツ・ヴァイマル共和国のフュルトに生まれる。
ハインツは、1歳下の弟ヴァルターと共に幸福な少年時代を過ごしたが、1933年に、ヒトラー支配のもと反ユダヤ人政策を推し進めるナチスが政権を掌握したために運命が一変した。 一家はナチスを嫌って1938年にアメリカへ移住し、第二次世界大戦中の1943年に同国に帰化(ドイツに残った親類はドイツ人に殺害されたとされる。親類が本当に存在したか、殺されたかの詳細は不明)。ただし、当時のドイツにおける反ユダヤ主義について彼は特に不愉快に感じたと思ったことはないと告白している。
ハーバード大学に進学、19世紀のヨーロッパ外交史を研究し、ウィーン体制についての研究で1954年博士の学位を取得する。
1968年の大統領選挙では共和党の大統領候補指名選に立候補したネルソン・ロックフェラーの外交顧問を務めていた。しかしロックフェラーの敗北後にリチャード・ニクソンから直々のスカウトを受け、政権誕生とともに国家安全保障問題担当大統領補佐官として政権中枢に入り、外交全般を取り仕切る。
ニクソンキッシンジャーは60年代最大の外交課題であったベトナム戦争終結にも成果を納めた。米国が中ソと関係改善を行ない、その結果、ベトナム戦争において中ソ両国の支援を受けてアメリカと対峙していた北ベトナムを国際的に孤立させたことで、米国はジョンソン政権末期の1968年5月よりパリで行なわれていた和平交渉妥結に成功したのである。1973年にはパリ協定が調印され、これを功績として米国交渉団の代表であったキッシンジャーノーベル平和賞を受賞することとなる。
一方で、ニクソンキッシンジャー外交は人権問題への無関心でも知られた。例としてあげられるのは、中国共産党一党独裁国家であり、国民を過酷な統制下においていた中華人民共和国との国交樹立、チリのサルバドール・アジェンデ政権転覆(1973年)への関与、続く親米軍事政権として知られたアウグスト・ピノチェト政権の国内弾圧の黙認であり、このような態度はタカ派、リベラルを問わず多くの非難を受けることとなった。
現在は「現代外交の生き字引的存在」として多くの著書を持つほか、世界各国で講演活動を行っている。また、ニクソン以降のアメリカの歴代大統領をはじめとする世界各国の指導層と親交を持っており、国務長官退任から30年以上たった現在でもその国際的影響力は最大級、と評価されている。

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プライムニュース 「キッシンジャーの提言 中曽根元首相 緊急対談」 2011年11月15日 BSフジ
【キャスター】八木亜希子、反町理 【ゲスト】米元国務長官 ヘンリー・キッシンジャー、元首相 中曽根康弘
かつて、膨張の一途をたどっていた米ソの戦略核戦力。そこに一定の枠組みを構築し、削減・制限への道筋を付けたのが、当時、米大統領補佐官や国務長官を務めたヘンリー・キッシンジャー博士だ。のちにベトナム戦争集結にも尽力し、その成果に対してノーベル平和賞を受賞した博士は、まさに“外交の巨人”と言えよう。88歳を迎えた今も、その見識に一切の曇りはなく、世界各国の指導者・外交関係者らの注目が寄せられている博士が、先日、緊急来日した。
博士は政変や混乱が相次ぐ現代の世界と、その未来をどう捉えているのか? 来たる2012年に予定される、世界各国の指導者交代は、世界に、日本に何をもたらすと考えているのか?
また、大震災の爪痕や長引く不況にあえぐ日本の現状をどう見ているのか? 混乱の続く日本の政治に何が求められ、日本復活への活路はどこにあると考えているのか?
“世界を変えた男”が、その盟友・中曾根康弘元首相とともに、日本と日本人に向けたメッセージを提言する。
前編:http://www.bsfuji.tv/primenews/movie/index.html?d111115_0
後編:http://www.bsfuji.tv/primenews/movie/index.html?d111115_1
Newsweek日本版』 6.1号 2011年
特集 「嫌われる大国 中国の正体」
米中「世紀の対決」回避への知恵 (一部抜粋しています)
キッシンジャーの新著『中国論』を読むと、なぜアメリカの指導者が今もこの人物の頭脳を頼りにするのかがよく分かる。間もなく88歳になるキッシンジャーだが、彼に勝る戦略思考の持ち主はいない。
中国への歩み寄りの経緯は、キッシンジャーがこれまで語ってきたとおりだ。冷戦時代に対立していたソ連を牽制する上で中国が役に立つかもしれないと判断。71年、パキスタン訪問中に病気を装って予定をキャンセルし、ひそかに中国入り。北京で周恩来首相と会談し、翌72年のニクソン訪中に道を開いた。
これにより、米中の「疑似同盟」が形成されたと、キッシンジャーは書いている。米中の接近はソ連を封じ込めることが目的だったが、冷戦が終わってもその関係は続いた。
キッシンジャーの新著では、最近の研究を基に、中国側の事情にも触れている。米中接近に中国を突き動かしたのは何よりも、敵に包囲されることに対する毛沢東の恐怖心だった。
69年、毛沢東は主治医にこう問い掛けた。「わが国の北と西にはソ連があり、南にはインド、東には日本がある。もし敵がすべて手を組んで東西南北から一斉に攻めてきたら、わが国はどうすればいいと思うか」
医師は答えに窮した。毛沢東は言った。「日本の向こうにはアメリカがある。近く敵と戦うときは、遠くの国と交渉すべしと、われわれの祖先は忠告していなかったかな?」
キッシンジャーも書いているように、毛沢東や側近たちはマルクス・レーニン主義だけでなく中国の古典にも精通し、「祖先の忠告」によく言及した。
「(三国時代の蜀の軍師)諸葛孔明の戦略が参考になります」と、軍の重鎮だった葉剣英は提案した。「(蜀が)東方の呉と組んで、北方の魏と対抗した戦略です」
これは2世紀末〜3世紀末の三国時代を舞台にした歴史小説三国志演義』の逸話を念頭に置いた発言だ。
現代の中国の指導者たちは、孔子儒教思想にも強い影響を受けていると、キッシンジャーは指摘する。いま中国指導部が目指しているのは、世界支配ではまく、儒教思想の「大同(大いなる調和)」だという。
この点は、米中関係の核心にも関わる。中国が新たに得た経済力をどう活用するのかという問には、私たちの時代の最も重要な論点かもしれない。
『中国論』の最も鋭い指摘は心理面の分析だ。3000年以上の歴史を持つ中国のエリートと、200年そこそこの歴史しかないアメリカのエリートの発想の根本的な違いを論じている。
その違いが最もはっきり表れたのは、89年6月の天安門事件の際だった。中国が民主化デモを武力で弾圧すると、アメリカは対中経済制裁に踏み切った。
キッシンジャーに言わせれば、この政策は二重の意味で無知を露呈していた。「人権と自由という西洋の概念は・・・・異なる概念を軸に築かれて何千年もの歴史を持つ文明にそのまま翻訳できるとは限らない。伝統的に政治の混乱を恐れてきた中国人の発想を時代錯誤と斬り捨て、それを静養の啓蒙思想により『矯正』すべきだと決めつけることもできない」
欧米人と中国人は、交渉の仕方がそもそも違う。欧米人は課題をいくつかの項目に切り分けて、それぞれの項目を別々に取り扱おうとする。それに対し、中国人は、1つの大きなゲームプランに従って行動する。
欧米人は結論を急ぐが、中国人は忍耐を重んじる。毛沢東キッシンジャーに語った言葉によれば、中国人は1000年単位でものを考えるのだ。

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