じじぃの「世界遺産・約束された土地・エルサレム・カナン!本当はどうなんだろう」

エルサレム旧市街 嘆きの壁岩のドーム 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=8cMtickmAWY
ガザの人道状況が占領開始以来40年で最悪 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=VPgnuoeK9dA&feature=related
パレスチナの子供達に投石するユダヤ人入植者 settlers stone Palestinian children 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=1cW2NOcC66w&feature=related
パレスチナ 画像
http://www.uplink.co.jp/paradisenow/img/kaisetsu_mapl.jpg
エルサレム Google 検索
http://www.google.co.jp/images?sourceid=navclient&aq=0&oq=%E3%82%A8%E3%83%AB%E3%82%B5%E3%83%AC%E3%83%A0&hl=ja&ie=UTF-8&rlz=1T4GZAZ_jaJP276JP276&q=%E3%82%A8%E3%83%AB%E3%82%B5%E3%83%AC%E3%83%A0&oi=image_result_group&sa=X
67年境界線でパレスチナ国家=イスラエルに譲歩迫る−米大統領 2011年5月20日 時事ドットコム
オバマ米大統領は19日の中東政策演説で、イスラエルパレスチナ国家の国境を1967年の第3次中東戦争直前の境界線に基づいて決めるべきだとの見解を示した。同戦争後、イスラエルヨルダン川西岸各地に入植地を拡大。オバマ大統領の見解は、イスラエルにこれら入植地からの撤退を求めるものだ。
 クリントン元大統領が2000年12月、ヨルダン川西岸の大部分をパレスチナ国家の領土とした提案を踏襲したものだが、米大統領が演説で67年当時の境界線を和平交渉の基盤と明確に位置付けたのは初めて。ローズ大統領副補佐官(戦略広報担当)は、67年当時の境界線をイスラエルパレスチナの交渉基盤であることを明確にするのは「米大統領として歴史的一歩だ」と述べた。
http://www.jiji.com/jc/v?p=ve_int_israel-palestine-borderdispute20110520j-02-w420
イラン核兵器開発の可能性に「重大な懸念」 IAEA報告書 2011.11.09 CNN.co.jp
(CNN) 国際原子力機関IAEA)は8日、イランの核開発に関する報告書を発表した。「信頼できる情報」に基づき、同国が核兵器の開発を進めている可能性があると指摘している。
http://www.cnn.co.jp/world/30004523.html
パレスチナ問題 ウィキペディアWikipedia)より
【歴史】
古称は「フル」、「カナン」という。パレスチナあたりはペリシテ人の土地で、パレスチナという言葉はペリシテという言葉がなまったものと考えられている。紀元前13世紀頃にペリシテ人によるペリシテ文明が栄えていた。しかしペリシテ民族は完全に滅亡した。
その後は紀元前10世紀ごろにイスラエル民族によるイスラエル王国エルサレムを中心都市として繁栄した。
やがて三大陸の結節点に位置するその軍事上地政学上の重要性からイスラエル王国は相次いで周辺大国の侵略を受け滅亡し、紀元135年にバル・コクバの乱を鎮圧したローマ皇帝ハドリアヌスは、それまでのユダヤ属州の名を廃し、属州シリア・パレスチナと改名した。
16世紀になると、マムルーク朝を滅ぼしたオスマン帝国パレスチナの地の支配者となる。
ユダヤ人の人口はパレスチナ人口の3分の1に過ぎなかったが、1947年11月29日の国連総会では、パレスチナの56.5%の土地をユダヤ国家、43.5%の土地をアラブ国家とし、エルサレムを国際管理とするという国連決議181号パレスチナ分割決議が、賛成33・反対13・棄権10で可決された。
1967年5月エジプトのナセル大統領はシナイ半島の兵力を増強し、国連監視軍の撤退を要請し、イスラエル艦船に対するチラン海峡封鎖を宣言した。6月にイスラエルはエジプトを奇襲し、6日戦争(第三次中東戦争)が起こった。イスラエルアメリカが支援し、アラブをソ連が支援した。
アメリカ合衆国仲介の和平交渉が暗礁に乗り上げ、2010年12月には南アメリカ諸国においてパレスチナの国家承認の動きが起こった。
2011年9月23日にはパレスチナが史上初めて国際連合への加盟申請を行ったが、国際連合安全保障理事会においてアメリカが拒否権を行使するとみられている。加盟申請後、アッバース議長は「アラブの春」になぞらえ「パレスチナの春」として独立を求めると声明を発表した。2011年10月31日には国際連合教育科学文化機関(UNESCO)の加盟国として承認された。
エルサレム ウィキペディアWikipedia)より
エルサレムは、イスラエル東部にある都市。イスラエルは同国の首都と主張しているものの、国際連合を初めとして多くの国家は認めていない。
【概要】
地中海から内陸部に入った標高800メートルの小高い丘の上に位置する。ユダヤ人が住む西エルサレムとアラブ人居住区である東エルサレムから成り立つ。
西部についてはエルサレム地区に位置する一方で、東部についてはパレスチナ自治政府も領有を主張し、エルサレム県に含まれるとともにパレスチナ独立後の首都と規定している。
古代イスラエルユダ王国の首都で、エルサレム神殿がかつて存在した。また、イエス・キリストが処刑された地でもあり、ユダヤ教キリスト教イスラム教共通の聖地となっている。

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世界遺産ライブラリー [エルサレム旧市街と城壁] NHK世界遺産
エルサレムユダヤ教キリスト教イスラム教という3つの宗教の聖地がある歴史の街です。ほぼ1㎞四方の旧市街は、ユダヤ教徒地区、キリスト教徒地区、イスラム教徒地区、アルメニア人地区の4つに分かれ、狭い市街に歴史的・宗教的建造物が数多く残っています。
「シリーズ世界遺産100」では3つの宗教の聖地を、歴史とともに紹介します。キリスト教の巡礼者たちは、イエスが十字架を背負って歩いた「悲しみの道」をたどり、イエスが十字架に架けられた場所に建つ「聖墳墓聖堂」へと向かいます。この聖堂の鍵を管理するのは、実はイスラム教徒です。イスラム教徒たちは、ムハンマドが天界へと旅立った場所とされる「聖なる岩」と、それを守るために建てられた「岩のドーム」で祈りを捧げます。「岩のドーム」が建つ神殿の丘には、ユダヤ教の聖地「嘆きの壁」があります。これはソロモン王の神殿でかろうじて残った神殿を囲む西側の壁の一部なのです。
http://www.nhk.or.jp/sekaiisan/card/cards030.html
ベラルーシの林檎 岸恵子/著 朝日新聞社 1993年発行
約束の地 (一部抜粋しています)
イツハク・シャミール首相は、まるで古武士のような面持ちでにこりともせず入って来て、にこりともせず布地の波打つ、専用の椅子に座った。
つまらない外交辞令などを申しのべる雰囲気ではなかった。
単刀直入にきり出した。
「今建国40年記念にイスラエルの方々は沸いていられますが、建国時のスローガンは、『土地なき民に、民なき土地を』でしたね。でも、現実にはこの土地にパレスチナ人という民がいたわけですよね」
「ノン、そういうことではない」
とシャミール首相は言下に言った。
パレスチナ人はアラブ人です。中東だけでも22ヵ国ものアラブの国がある。彼らが帰属し得る国です。我々にはこの小さな土地しかないのです。3000年前から私たちと深く関わってきた土地です。我々は離散(ディアスポラ)を余儀なくされたが、祖国への権利を放棄したのではない。紀元70年から今日までの幾世紀、我々はこのときをひたすら待っていたのです。
考えてもみて下さい、我々以外のどの民族がこの間、この土地に独立した『国家』というものを作ったでしょうか。誰もいないのです。彼らはただ住み、通過していったのです。この土地は、われわれに『約束された土地』なのです」
そういう理屈が通るなら、インディアンはアメリカ合衆国に先住権を主張できることになるし、日本にだって北方領土問題があるのです、とでも言いたくなるが、シャミール首相には、神より授かったカナンの地(パレスチナ)に関して他者の意見など一切無用、という頑固一徹のすさまじいまでのパワーがあった。
そのすさまじさに、私はかなり感動したことをおぼえている。
「私は、毎朝、ユダヤ人として見覚め、息をし、食し、ユダヤ人として眠ります。この土地以外に私たちが住める場所はないのです」
とも言った。
当時の外務大臣シモン・ペレス氏はこう言った。
「今、世界のどこに、その国発祥時の言語を使っている民族がいますか。エジプトが古代エジプト語をはなしているでしょうか? シリアやギリシャも古代のことばを使っていません。イタリア人だって古代ローマ人の言葉などとっくの昔に忘れています。我々だけなのです。我々は大人も子供も、そして未来永劫、旧約聖書に書かれたヘブライ語ははなします」
「おッ、すっごい。そりゃそーですよね。建国当時、そして今も世界中からやってきるユダヤの人がてんでに勝手なことばを話してたら、独立国、とは言えませんものね。それにしてもです。国語を選定するのに3000年も前の旧約のことばを選ぶとは……参ったなあ。エチオピアオクラホマ辺りからやってくる人はさぞかし面食らうでござんしょう」
なんてことを、たとえば私が、天照大神か、天孫降臨神話のことばでペレスさまに上告たてまつるとしたら、一体何年がかりの修業を積まなければならぬことか! だいたい我が大和民族は、そんな太古のことばを書きとめることもしなかったし、民族の記録を刻まねばならないほどの神とのかかわり合いもなかったし苦労もしていない(ように思う)。
血のにじむような屈辱や差別、集団虐殺(ジェノサイド)などという人間社会の最も兇悪な犯罪のターゲットに常に晒されながらも、「神に選ばれし民」というよすがのもとに結束してきた人々の、比類のない強さに圧倒される思いがした。
けれど、あの少年たちはどうなるのだろう。
私に石を投げたあのガザの少年。垢と土ぼこりで汚れた素足を重ね合わせ、燃やした古タイヤの黒煙りの中に立ちすくんで、じっとわたしを睨んだパレスチナのあの少年は……。
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時の強国、山本七平さんの言った世界帝国の匙加減ひとつで、自殺したユダヤの友人が言ったように小国の運命などはぐらりと変わる。
二次にわたった大戦の戦後処理が杜撰であり、アラブ人にも、ユダヤ人にも同時においしい事を言ってしまった英国の二枚舌も不幸の産みの親ではなかったのだろうか……。
ふと、あの夏の終わりに聞いた、亡き父の低くリフレンする同様のうた声が聴こえてくる。
「お家がだんだん遠くなる、
           遠くなる。
 今来たこの道帰りゃんせ、
           帰りゃんせ……」
今来たこの道帰っても、なつかしい”お家”には他国の人が住み、行き場を失ったパレスチナ・アラブの人たちはあてどなく、金網の張られた難民キャンプにたむろして、暗い怨嗟(えんさ)の炎を燃やす。
かたや、2000年もの間、世界は各地に離散して”お家”はあっても祖国のなかったユダヤの人びと……。そして、この広い世界には、”祖国”も”お家”も”難民キャンプ”さえない人たちもたくさんいる。
彼らのうたう童謡は、どれほどかなしいことか。
それとも彼らには、童謡さえもすでにないのだろうか。たとえあったとしても、そのうた声は、砲弾に砕かれ、瓦礫と化した廃墟や、草一本生えぬ砂漠の果てに消えるだけ。
誰ひとり耳をかたむける人さえもいない。

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どうでもいい、じじぃの日記。
岸恵子著 『ベラルーシの林檎』という本を見ていたら、「約束の地」というのがあった。
今日のユダヤ人の祖先である古代イスラエルの民はアブラハムを始祖とする。聖書によれば、アブラハムメソポタミアで暮らしていたが、あるとき神の言葉を聞いて、「約束の地」カナンへと旅立った。
チャールトン・へストン主演の映画『十戒』は、へストンが演じるモーセがエジプト王の圧政から逃れ数万人のイスラエル人を連れて、「約束の地」カナンに向かう途中のシナイ山で神から十戒を授かるというストーリーだ。
1948年5月14日、離散していたユダヤ人が「約束の地」カナンに戻ってきて、イスラエルとして独立宣言した。
それから、すっと「約束の地」の先住民であるパレスチナ人とユダヤ人との抗争が続いている。
「今来たこの道帰っても、なつかしい”お家”には他国の人が住み、行き場を失ったパレスチナ・アラブの人たちはあてどなく、金網の張られた難民キャンプにたむろして、暗い怨嗟(えんさ)の炎を燃やす」
1948年、「約束の地」にユダヤ人がイスラエルとして独立宣言した。それはいいとしても、イスラエルアラブ諸国との戦争のたびに、領土を拡張しているのである。
イランのアハマディネジャド大統領は「イスラエルを地図上から抹殺してしまえ」と発言した。
世界で最も危険な国はイスラエルとイランなのかもしれない。