じじぃの「人の生きざま_85_高倉・健」

中国人も魅了された  高倉健さんの死去を惜しむ中国のネットユーザー 「若かりしころの憧れだった」の声も=中国版ツイッター 2014-11-18 サーチナ
中国メディア・新浪娯楽は18日、中国版ツイッター・微博上で俳優・高倉健さんが10日に亡くなったことを速報で伝えた。映画「追捕」(邦題「君よ憤怒の河を渡れ」)の主人公として中国内でも非常に有名な高倉さんの訃報に、中国のネットユーザーも驚きを隠せなかったようだ。
http://news.searchina.net/id/1550079
高倉健 - あのひと検索 SPYSEE
http://spysee.jp/%E9%AB%98%E5%80%89%E5%81%A5/23228/
Ken Takakura Dead -- Veteran Japanese actor Ken Takakura dies at 83 -- RIP Ken Takakura 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=DORkNKU9a6I
時代遅れの酒場 歌、高倉健 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=T8Hn_FzfPk0&feature=player_embedded#!
BLACK RAIN - Trailer - (1989) - HQ 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=95-bc1DZovg&feature=related
映画 君よ憤怒の河を渉れ 予告篇 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=9xFI5edhVlk
高倉健 ウィキペディアWikipedia)より
高倉 健(たかくら けん、1931年2月16日 - 2014年11月10日)は、日本の俳優・歌手。愛称、健さん。福岡県中間市出身、身長180cm、血液型B型。高倉プロモーション所属。戦後の日本を代表する映画スターである。半世紀以上活躍しており、代表作は映画『網走番外地』シリーズ、『日本侠客伝』シリーズ、『昭和残侠伝』シリーズ、『新幹線大爆破』、『幸福の黄色いハンカチ』、『八甲田山』、『南極物語』、『鉄道員(ぽっぽや)』など、いずれも邦画史上に残るヒットを記録している。2006年度文化功労者。2013年には文化勲章を受章した。
【来歴】
1931年(昭和6年)に福岡県中間市の裕福な一家に生まれる。父は旧海軍の軍人で、炭鉱夫の取りまとめ役などをしていた。幼少期の高倉は、肺を病み、虚弱だった。
福岡県立東筑高等学校全日制課程商業科を経て、貿易商を目指して明治大学商学部第二部商学科へ進学。在学中は相撲部のマネージャーを1年間務めていた。
1959年(昭和34年)に江利チエミと結婚したが、1971年(昭和46年)に離婚。その後は独身を通している。江利の命日である2月13日には、毎年早朝にひっそり一人で墓前を訪れ、花を手向けている。離婚の原因も不仲ではなく、江利の異父姉によるふたりへの誹謗中傷と夫婦の財産横領が原因といわれている。
1963年(昭和38年)に出演した『人生劇場 飛車角』(鶴田浩二主演)が、ヤクザ映画ブームの起点となった。
1964年(昭和39年)から始まる『日本侠客伝』シリーズ、1965年(昭和40年)から始まる『網走番外地』シリーズ、『昭和残侠伝』シリーズに主演し、一躍、日本で最も集客力のあるスーパースターとなる。本職のヤクザの人から、労働者、学生運動の闘士達にも大人気となり、オールナイト興行にまでファンがあふれ、立ち見が出た。
歌手としても、ドスの利いた渋いノドを聞かせ、人気を得るに至り、『網走番外地』は、のちに歌詞の一部が反社会的であるとの理由で一時は放送禁止歌になったが、ミリオンセラー(公称200万枚)の大ヒットとなる。『昭和残侠伝』シリーズの主題歌『唐獅子牡丹』も大ヒットとなり、今でもカラオケなどで歌い継がれている。
1976年(昭和51年)、東映退社後初の作品『君よ憤怒の河を渉れ』(永田プロ/大映映画)にて、東映ヤクザ映画のイメージから脱却。翌1977年(昭和52年)には『八甲田山』、『幸福の黄色いハンカチ』の二作品に立て続けに主演し、第1回日本アカデミー賞の最優秀主演男優賞と、第20回ブルーリボン賞の主演男優賞のダブル受賞に輝いた。これ以後も数々の作品に出演して、合計4度の日本アカデミー賞の最優秀主演男優賞、2度のブルーリボン賞の主演男優賞に輝いている。また、前後してアメリカ映画や中国映画などに出演しており、1998年(平成10年)には紫綬褒章を受賞した。
2010年(平成22年)8月に伝えられた。2011年(平成23年)8月、映画『あなたへ』で6年ぶりに銀幕復帰することが発表された。205本目の映画出演となる。
2014年、8月26日に亡くなった米倉斉加年のお別れの会が10月13日に開かれた際に、故人に宛てて弔電を発したのが公の場での最後の活動となった。同年11月10日午前3時49分、悪性リンパ腫のため東京都内の病院で死去した。83歳没。

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週刊文春 2011年9月8日号
高倉健 80歳、降旗監督が語る!−「6年ぶりの新作」独占インタビュー (一部抜粋しています)
実は健さんは話好きで、座談の名手なんですよ。震災についても、いろいろ話していましたね。映画はロバート・デ・ニーロマイケル・ダグラスが好きで、必ず見ているんじゃないかな。昔は、よく健さんもロサンゼルスに行って、向こうで感心した映画があると、試写会を借り切り、知人たちを集めて『この映画面白いから』と上映会をやっていました」
監督と健さんの付き合いは実に50年以上になる。
99年の『鉄道員』以来、健さんの出演作はすべて降旗監督がメガホンを取った。
「中でも、一番思い出に残っているのは『ホタル』(01年)ですね。あれは健さんの発案だったんです。 ある日、テレビで特攻の母と呼ばれた鳥濱トメさんのことを知った健さんから連絡があって、『東映時代には俺も何度も特攻隊員の映画に出て、それで食わしてもらった。特攻隊って何だったんだ。それを表す映画を作らなきゃいけないんじゃないか』と。僕の中では、あれは健さんが作った映画なんです」
一方、今度の新作には「ギャラはいくらでもいいから出演したい、という俳優は多い」と芸能記者は語る。
「年齢を考えると、今回が健さんの最後の主演作となる可能性もある。特に、かねてから健さんでヤクザ映画を撮りたい、と公言している北野武さんあたり、共演にも意欲的なのでは」(前出の芸能記者
かって共演した俳優が健さんの魅力を語る。
「とにかく僕らにとっては雲の上の存在。ただ歩いているところを見るだけでも勉強になるのですが、現場で、健さんの方から話しかけてくれるんです。 現場に知らない若手俳優がいると、付き人に名前を聞いて、声をかける。ある日、撮影の合間に健さんが若手を集めて、『スタッフが俳優のために準備してくれる間、何をしなければいけないか。ジュームズ・ディーンは”カメラが回る直前までアドレナリンを出し続けていなければならない”と言っている』と俳優の心構えを僕等に教えてくれた。鳥肌が立つほど感動しました」
撮影スタッフが続ける。
「ロケ弁を若手と一緒に食べたりしています。みんな、健さんを目の前にすると緊張して話しかけるどころではないので、健さんのほうから、自分の失敗談などを切り出して場を和ませる。時には下ネタが飛び出すことも。『ヨコシマなことはしょっちゅう考えてるよ。煩悩が多いから』と笑っていました。共演した女優さんにも人気があって、『俺と一緒にいると楽しいよ』と冗談で口説いているとこもあります」
降旗監督もこう語る。
健さんは『俳優同士が気心を知れないと、いい映画は撮れない』と思っている。自分だけ撮影が早く終っても、他の共演者のシーンが撮り終わるまでには現場を離れない。僕なんかにもよく冗談で、『俺は雪の映画に出演してばかりだから、たまには南で撮ろうよ』と話しています」
果たして、共演者は誰になるのか。監督はこう語る。
「現段階で共演者の名前はいえませんが、北野武さんにも出演をオファーしています。今までとは違った新しい『健さん』をお見せできればと思っています。 健さんもこれが最後なんて思ってないんじゃないかな。まだ何本でも自分の心に触れる作品があれば出演していきたい。きっとそう思っていますよ」

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2014年11月19日のテレビ 高倉健さん 追悼番組から
ファンの女性、「九州男児!」
健さんの言葉、「愛の反対は無関心。 だから関心を強く持つことが 愛だと思う」

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