じじぃの「原発事故・リスクをお金で押しつけていいのか?マイケル・サンデルの究極の選択」

中国の原発に潜むリスク 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=CZxpZjpahGg&feature=related
福島第一原発の比ではない!中国の放射能汚染 2 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=1Ge_7qQvuqc&feature=related
福島第一はチェルノブイリを遥かに超えて異常が続いてる 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=hEBYMHzPpO0&feature=related
放射能汚染地図 画像
http://mkimg.carview.co.jp/minkara/blog/000/021/758/633/21758633/p1.jpg
中国人が自国の原発を信用しない理由 政府は「中国の原発は大丈夫」と連呼しているが 2011.04.18 JBpress
中国では現在、13基の原発が稼働中であり、1000万キロワットを発電している。そして25基が建設中であり、さらに政府が批准した原発は34基。これらを合わせると6465万キロワットの発電量となる。
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/5871
マイケル・サンデル 究極の選択 〜震災復興 誰がお金を支払うのか〜 2011年9月10日 NHK
ハーバード大学マイケル・サンデル教授が、インターネット中継で、東京、ハーバード大学、上海復旦大学の学生たちに向けて難問を投げかけ、白熱の討論を繰り広げます。今回のテーマは、震災からの復興について。
これはもちろん日本だけの問題ではありません。ハリケーンカトリーナ四川大地震など、アメリカ、中国も過去たびたび悲惨な自然災害に襲われています。自然災害に政府の倫理的な責任はあるのでしょうか。政府の補償の範囲は、個人の財産や生活のどこまで及ぶべきでしょうか。
人災と言える原発の被害はどうでしょうか。誰に責任があるのか。被害者への補償は誰が負うべきなのでしょうか。同じく人災である、2008年の金融危機の時、強引なビジネスで世界を奈落の底に落とした投資銀行は、被害を受け た人々に補償はしませんでした。それどころか政府からの巨額の資金を得て救済されたのは公正と言えるのでしょうか。サンデル教授と世界の次世代のリーダーたちが、震災復興のあり方を根源から問い直します。
http://www.nhk.or.jp/harvard/
どうでもいい、じじいの日記。
大体、こんなことを言っていた。
マイケル・サンデル教授がアメリカ(ハーバード大学 8人)、中国(復旦大学 8人)、日本(東京大学、慶応大学、早稲田大学中央大学、計8人)をつなぎ、各地の学生たちに向かって「究極の選択」を投げかけた。
【エンデングのみ】
原発事故 リスクをお金で押しつけていいのか?
サンデル、「ボストンは8人全員が原発に賛成だった。でも自分の家の近くにあってもよいと考えるのは5人だ。では東京は? 確か原発に賛成したのは4人だった。その4人はもう一度手を上げて。ではこの中で自分の家の近くで原発を建ててもよいと考える人は1人だ。君はいいんだね。なぜそう思うのか?」
ユウコ(女性)、「もちろん、今回の事故の教訓を生かしてより安全性を高めるということが条件ですが、やはり国全体として電力、今の豊かな電力を消費する生活を棄てられなのだから誰かが自分の家の近くに原発を建てざるを得ない。それは私は電力の豊かさを受けている身としてはしかたないことの1つではないかと思う」
サンデル、「上海のリー。君は原発に賛成したね。原発の近くに住んでもいいのか?」
リー(女性)、「正直言うと、私の家の近くには原発はほしくないです」
サンデル、「この問題をどう考えればいいのだろうか。福島の場合では原発は電気を利用する人たちが住む場所・東京ではなくそこから離れた場所・福島に置かれた。その原発の立地の見返りとして交付金補助金が支払われていた。次の問を考えてみよう。原発でつくられた電気は利用したいが、身近な場所に原発は置きたくないというコミュニティがお金を払うことで他のコミュニティに原発を受け入れてもらう。リスクをお金で肩代わりしてもらうことは公正だと言えるのだろうか。別の言い方をすれば豊かな地域がお金を必要としている地域に原子力発電のリスクをアウトソース、つまり外部に肩代わりしてもらうことは許されるのか、みんなはどう思う? 許される人は手を上げて。手の上げ方がゆっくりだね。みんな迷っている。でも迷うことは悪いことではない。もう一度、聞こう。お金と引き換えにリスクを肩代わりしてもらう倫理的な問題はあるのだろうか。上海、後ろの君」
ホアン(男性)、「貧しい地域に経済的な理由だけで原発を押しつけるというのは不公平だと思う。原発をどこに置くべきか、考えられる解決策はいくつかあると思う。僕が考えるのは政府が人口の少ない適した地域を選んで、そこに原発を建てるという方法です」
サンデル、「ではある地域が補助金や経済的な見込みを期待して、自ら原発の受け入れを望んだ場合はどうだろうか。東京のミオはどう思う?」
ミオ(女性)、「私は不公平だと思う。貧しい町が、たとえ原発が建てられることに賛成だったとしても、それは本当に自分たちの自由な意志に基づいているのかというと、私は基づいていないと思う。原発を受け入れざるを得ないような状況におかれているから受け入れるのであって、自由な意志に基づいていないから公平だとはいえないと思う」
サンデル、「ミオ、こういう場合はどうだろうか。たとえば2つの地域ではなく、これが異なる2つの国。豊かな国と貧しい国であったらどうだろう。お金のある国の方が廃棄物の処理に困っていたとしよう。それは核廃棄物かもしれないし、他の廃棄物かもしれない。そこにお金をもらえればその廃棄物を受け入れてもよいと名乗り出た貧しい国があったとする。その取り引きには何か問題があるのだろうか。それとも貿易とはそういうものなのだろうか。どう思う?」
ミオ、「そもそも2つの国で約束が始まる時点での経済的状況というものは不平等なものであった。と私は思うので、それは自由なトレードになっていないと思う。貧しい国が自由な意志でそれを受け入れているとはいえないと思う」
サンデル、「東京のコウセイはどうだろう」
コウセイ(男性)、「すべて効率性重視のために物事が進んでいってしまって、もうちょっと善の立場、本当にこれが道徳的によかったのかどうか考えた上で広げていく必要があるんじゃないかと思う」
サンデル、「上海の真ん中の君」
ルー(男性)、「私が気になるのは貧しい国が廃棄物を受け入れるか受け入れないかという点だけでなく、誰がそれを決めるかということです、それは政府なのか、それとも人民なのか、企業なのか。 そこにも問題があると思う」
サンデル、「ボストンのリチャード、どう思う?」
リチャード(男性)、「これが不平等だという議論もよく分かるが、これはビジネスだと思う。2つの国がグローバルな貿易をする場合、いつだって何かしらの格差はあるはずだ。2つの国が全く同じ境遇ということはないと思う。いつだって有利、不利がありはずだ。でも貧しい国にも断る権利があるのです。そのビジネスを選ばないという選択はあるはずだ」
サンデル、「ベンはどう思う?」
ベン(男性)、「確かにビジネスだとは思うが、ひどいですね。ビジネスだからといって正当化される問題でもないと思う」
サンデル、「では東京のコータロー」
コータロー(男性)、「これはすべての経済活動で似ていることが起こっていて、今すべてのものを見たときにその生産過程でどこかしらで有害なものが出ている可能性が高いと思う。それはみんな知っていて今の経済活動を行なっていて、それの延長線上にこの活動があるということはしっかりそのリスクを理解して補償、またはコンベンセーション(償い)を払えば大丈夫なのではないかと思う」
サンデル、「では同じ東京のケンジ、君の意見は?」
ケンジ(男性)、「もし、リスクの押しつけが自由意思でない場合はアンフェアだということは確かだが、それの見返りとしてリターンというものを覚悟しなければいけないと思う。極論になるが誰かが爆弾を抱えなければいけない。それに対するリターンは莫大なもの、リスクに見合うものでないといけないと思う」
サンデル、「ここでもう1つ、リスクのアウトソースの例を挙げて見よう。みんなに考えてもらいたい。アメリカの南北戦争の徴兵制度に関する話だ。当時の徴兵制度では自分の代理人、つまり傭兵をすべて雇って身代わりに戦場に送ることが法律で認められていた。まさに究極のアウトソースだ。これはフェアだろうか。それとも認められないことだろうか?」
ケンジ、「フェアだと思う。自由意思があり、本人がそのリターンを得たいがためにリスクを犯す。そういった自分のオプションの中から、あえて自分でリスクを取ったということでフェアだと思う」
サンデル、「問題はないのだろうか。エリコ、どう思う?」
エリコ(女性)、「お金で誰かを雇う側の人たちには相手のリスクをできるかぎり低くする責任があると思う。誰かを代理で戦争に送るのなら、戦争を早く終るように手を尽くすべきだ。その人が安全でいられるように努力すべきです」
サンデル、「エリコ、マイクはそのままに。今の君の提案はこれまでの議論に新たな視点を加えるとても面白い意見だ。今の話を原発の立地問題についても当てはめながら考えてみよう。君の意見ではリスクをアウトソースすることは認めらてもよい。ただしその条件として、たとえば金持ちが傭兵を雇ったり、あるいは実際に原発をお金と引き換えに受け入れてもらった場合に、お金のやりとりが終了したあとにも、責任は負わなくてはならないということだね」
エリコ、「今回の場合でも、東京や近郊の人々は福島の原発に注意を払い続けるべきだった。私たちにはその責任があると思う」
サンデル、「非常に力強い考察だった。リスクのアウトソース。そこにはビジネスの取り引きとは違った倫理が必要だという指摘だった。金銭の取り引きがあった後にも道義的な責任があるということだ。それは取り引きを始めた意志が自由意思によるものかどうかという議論を超えて存在する責任の話だ。今夜、私たちは災害の補償のあり方の議論から始めた。その責任は自然災害と人為的な災害の場合で、どのような違いがあるかを考えた。それぞれについて興味深いディスカッションができたと思う。そして私たちは議論を重ねた。被害者への補償は誰が払うのか、誰が金を払うのか、それはもちろん誰に責任があるのかと表裏一体だった。そして最後の質問はあなたは原子力発電所のそばに暮らすことができるかという問だった。これについては原発の利用に賛成した人でも、『いやそれはできない』と正直に答えた。するとここで新たな問題が発生した。原発を利用しながらも、そのリスクはお金でアウトソースすることが許されるのかという問だ。賛成する人は『これは取り引きでビジネスだから問題はない』、そう言った。一方で『相手にとって自由な選択とは言えない』、と反対する人もいた。あるいはリスクが大きすぎてアウトソースが許されないことも世の中にはあるのかもしれない。すると、東京のエリコが新たな視点をこの議論に提供してくれた。もしかすると、リスクのアウトソースは認めてもよいのかもしれない。ただし、金を払っても責任は負い続ける。お金を払ったからといって責任は消えることはないんだと。今夜の議論はややもすると金や経済の話しばかりに聞こえたかもしれない。決してそうではない。これはつまるところ、人間の責任とは何かという倫理的な議論なのだ。こうした難問に答えを出すためには私たちは率直に議論を交わし、相手に対する責任、義務、公正さ、正義というものの意味を問い続けなくてはいけない。……」
じじぃの感想
「ボストンは8人全員が原発に賛成だった。でも自分の家の近くにあってもよいと考えるのは5人だ。では東京は? 確か原発に賛成したのは4人だった。その4人はもう一度手を上げて。ではこの中で自分の家の近くで原発を建ててもよいと考える人は1人だ」
上海はどうだったのだろう? テレビで観ていて分からなかった。
本当に恐いのは中国のxxだったりして。