じじぃの「童話・お化けの世界!本当は恐ろしいほど残酷な」

有吉玉青 画像
http://waga.nikkei.co.jp/photo/byhand/odakyublue2.jpg
善太と三平のはなし

坪田譲治善太と三平のはなし』(版画荘、昭和13年)古書価1000円 - 装丁家大貫伸樹の造本装丁探検隊
http://d.hatena.ne.jp/shinju-oonuki/20091221
坪田譲治 ウィキペディアWikipedia)より
坪田譲治(つぼたじょうじ、1890年(明治23年)3月3日-1982年(昭和57年)7月7日)は、岡山県出身の児童文学作家、日本藝術院会員。
【略歴】
『お化けの世界』や『風の中の子供』、『子供の四季』などの「善太と三平」物が名高い。全集が三度刊行されている(『坪田譲治全集』8巻本、12巻本。『坪田譲治童話全集』10巻本)。1986年より岡山市主催で坪田譲治文学賞が創設された。

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あらすじ - 善太と三平物語 お化けの世界 goo 映画
お父さんが警察に連れていかれて、寂しくなった善太と三平は、木にのぼったり、家の中でかくれんぼをしたりして遊んだ。母の久子さんは、なんとかして借金を返そうと思ったが、思うように集まらない。そのために家財道具は差押えられてしまった。お母さんは東京に金策に出かけていった。留守中は組合の佐藤さんが来てくれた。お母さんの努力の甲斐もなく、お金が出来ないためにとうとう家財道具を全部持っていかれてしまった。二人はお爺さんに手紙を書いた。頑固なお爺さんもさすがに可哀相に思ったがどおすることも出来なかった。善太たち親子はお爺さんのところにひきとられることになった。老会は今度はお爺さんの家を差押えにやって来た。遊び場にもこと欠く善太と三平は、それでも老会の子供の金太郎とわけへだてなく遊んでやった。金太郎は父の横暴をなじったが、老会はがんとして聞き入れなかった。金太郎はお父さんが言うことをきいてくれるまでと、火の見櫓に昇ってしまった。ところがそこから落ちて大怪我をしてしまった。それにもかかわらず老会は最後の手段として、株式総会で小野老人の退陣を要求した。ところが善太と三平はもとの自分の家から、問題の手紙を発見した。そして老会の陰謀は失敗し、お父さんも警察からもどって来た。小野老人は老会の非を許して会社に残れるようにしてやった。善太と三平にはまた昔の楽しい日がやってきた。
http://movie.goo.ne.jp/movies/p25465/story.html
『私はまだまだお尻が青い』 有吉玉青/著 大和書房 1996年発行
坪田譲治の世界 (一部抜粋しています)
おなじみの善太と三平の話だ。この作品の中で、この兄弟の父は負債を抱え厭世的になっている者である。いつ差し押さえだのいう問題が起こらないとも限らない。母は妹を連れ、先に東京の親類に身を寄せた。残った父と幼い兄弟の、ある夜の相撲の場面が胸を突く。
2人で上に乗っても、鼻をつまみ口をふさいでも、父は「あああ、いい気持ち」と言うのである。拍子ぬけした兄弟は、今度は首を締めにかかる。それでも父は、「ああ、何とも言えない良い気持ち。もっと、もっと、もっと」。
「ほんとに、そんないい気持ちだったの」
「そうさ、眠たいようだったよ」
後日、兄弟は鯰(なまず)捕りに池で遊ぶ。そこに今にも死にそうな小鯰が、浮沈していた。かわいそうにと言った女の子に三平が、「死ぬるって、そんなに苦しいもんじゃないんだよ」と教える。「眠るようなんだってさ、僕んちのお父さんが言っていた」。
無垢とは時に堪らない。
そこに兄の善太が牽制球を投げた。
「三平、何言ってるんだい」
「言ったっていいじゃないか。なぜいけないんだ」
「なぜでもいけないんだよッ」
父の抱えている問題を、幼い善太がわかるはずがない。けれど善太は相撲の夜、ぬきさしならない状況を感得したのだ。
誤謬(ごびゅう)を正せば、譲治の作品は童話でなく、児童文学というらしい。けれど往々にして我々は、このふたつを混同していないだろうか。乱暴だが、仮りに童話を子供のものとすれば、児童文学は大人のものだ。子供のとき、譲治を読んだとて、さしたる感銘は受けなかったと思う。我々は、過ぎた子供の日を子供の心で思い出すが、それを大人の批評眼で見た時に初めて、数十年の垢に気づくのだ。
「お化けの世界」を始め、数々の作品は、子供の心と大人の眼を併せ持つ者にしか書けなかった。

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どうでもいい、じじぃの日記。
先日、図書館で本巡りをしていたら『私はまだまだお尻が青い』という変わった題名の本があった。
『私はまだまだお尻が青い』か。ケツの青い人が書いた本か?
中をパラパラ、めくって見た。著者はあの『紀ノ川』や『華岡青洲の妻』を書いた有吉佐和子のお嬢さんだ。
たまにはこんな本もいいか、と思って借りてきた。
坪田譲治の世界」というのがあった。
「2人で上に乗っても、鼻をつまみ口をふさいでも、父は『あああ、いい気持ち』と言うのである。拍子ぬけした兄弟は、今度は首を締めにかかる。それでも父は、『ああ、何とも言えない良い気持ち。もっと、もっと、もっと』」
子供は、父親が首を締められ、父親に「あああ、いい気持ち」と言われたら、もっと首を絞めて、もっといい気持ちにさせてやろうと思うのだろうか。
子供は、首を思いっきり締めたら、この家が「お化けの世界」になってしまうということに気がつかないのだろうか。
子供は、人から「私はまだまだお尻が青い」と言われると、この人のケツは青いと思うのだろうか。
私はまだまだケツが青い。