じじぃの「人の死にざま_682_松本・竣」

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松本竣介 議事堂のある風景 画像
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松本竣介 白い建物 画像
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岩手県立美術館 ポッドキャスト
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松本竣介 フリー百科事典『ウィキペディアWikipedia)』 (一部抜粋しています)
松本竣介(まつもとしゅんすけ、1912年4月19日-1948年6月8日)は、昭和期の洋画家。戦時色濃い1941年(昭和16年)、軍部による美術への干渉に抗議して、雑誌『みづゑ』に「生きてゐる画家」という文章を発表したことはよく知られている。都会の風景やそこに生きる人びとを、理知的な画風で描いた日本の画家である。
【略歴と作風】
松本竣介は、1912年(明治45年)、東京渋谷に生まれた。本名は佐藤俊介
1925年(大正14年)、旧制盛岡中学(現岩手県立盛岡第一高等学校)入学の年、竣介は病気(脳脊髄膜炎)のため聴力を失う。聴覚障害者となった竣介は、3つ違いの兄・彬から油絵道具一式を贈られたことをきっかけに絵に打ち込みはじめ、画家を目指すようになった。
竣介は、都会風景を好んで描いた画家として知られる。作品は、青系統の透明な色調のなかに無国籍的な都会風景や人物をモンタージュ風に描いた系列と、茶系統のくすんだ色調で東京や横浜の風景を描いたものの2つの系列があるが、戦時色が濃くなるにつれ、後者のくすんだ色調の風景が多くなる。
第二次大戦後まもない1948年(昭和23年)、持病の気管支喘息が元で、36歳の若さで没した。

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『名画再読 美術館』 芥川喜好/著 小学館 2001年発行
松本竣介 「議事堂のある風景」 (一部抜粋しています)
空は暗く、地も暗い。
真っ暗というものではない。夕暮れ、薄暮の光の暗さである。
だがそういう時間的な暗さという以上に、ここにはもっと心理的な暗さと呼びたいものがある。
おそらく、風景に投影された描き手の心理の影がこの絵の暗さに透明な深まりをもたらしているのだ。
右手に廃墟のような建物が見える。黒い窓がうつろに口をあけている。三角の塔屋は国会議事堂の形だ。
それに続く左手の建物もひっそりとして物音もない。街路樹の葉は散り果て、やがて死の季節のくることを告げている。
だが左の小さな煙突からはわずかに煙が立ちのぼる。大きく曲線を描く舗道の端を、影になった男が荷車をひいてゆく、
風景はなお、かすかに息づいている。、その上を、次第に闇がおおってゆく。
すべてを押し流す非情な時間がある。そしてこの溶暗の世界に身を晒しつつ、時間の非情に耐えている1つの魂がある。
描かれているのは、たとえばそういうものではないか。
松本竣介が戦時中に描いたこの風景に、体制への風刺や批判の意図を読みとろうとする見方が根強くあった。暗示的であることは確かだが、実際に絵の前でこのひたひたの暗さに浸っているとき、画面から迫ってくるのはもう少し別のものだ。
あの威圧的な白亜の議事堂もなるほどここでは形無しである。中にいる有形無象の影すらみえぬ。だが彼はそのためにわざわざこんな精魂をこめた暗さを案出してみせたのか。
むしろここにあるのは、政治のことなど突き抜けてしまう深々とした孤独と荒涼の感覚だ。あるいは目の前に広がる都市風景そのものの非情と不毛の感覚である。
そのなかで荒廃してつく時間に耐えている人間の沈黙のかたちが、たとえば荷車の男に託される。この点景人物は、画家の思いをのせて画面を横切ってゆく影だ。
単なる時代状況の絵解きをこえて、この絵には大きな時間の推移に身を晒される人間の1個の孤独感と、そこで自分の位置に思いを致すほかない内省感覚が語られているのである。

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