じじぃの「謎の民族・ヒクソス!ファラオのエジプト」

The Story of Moses,  動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=d12uOLx5CI0&feature=related
Canaan and the Hyksos kings 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=pvd7mPDj9bc&feature=related
Israelites vs Hyksos in ancient egypt 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=SZKA2deRlrE
『発掘 粘土塊にくさび形文字…ハンムラビ王時代の「封泥」』 2010年11月16日 THOMASのゲーム&歴史部屋
バビロニア(現在のイラク中・南部)のハンムラビ王(在位紀元前1792〜1750年)に仕えた高官の印影が残る粘土塊を、オーストリアの研究チームがエジプト北部のテル・エル・ダバ遺跡で発掘した。
オーストリアの研究チームは今回の発見について「ヒクソスが広範な対外関係を持っていた証拠だ」と説明している。
http://ameblo.jp/game-history/entry-10391530221.html
旧約聖書 フリー百科事典『ウィキペディアWikipedia)』 (一部抜粋しています)
旧約聖書は、ユダヤ教およびキリスト教の正典である。また、イスラム教においてもその一部(モーセ五書詩篇)が啓典とされている。「旧約聖書」という呼称は旧約の成就としての「新約聖書」を持つキリスト教の立場からのもので、ユダヤ教ではこれが唯一の「聖書」である。
創世記には、アブラハム・イサク・ヤコブの3代の族長の物語が記されている(創世記12-36)。アブラハムバビロニアから出発して、カナン(現在のイスラエルパレスチナ)にやってきた遊牧民の族長であり、神から祝福を受け諸民族の父になるという約束を与えられた(創世記12:2)。イサクはアブラハムの息子であり、彼にも子孫が栄える旨が神から約束されている(創世記26:24)。さらにその息子がヤコブであり、彼と契約を結んだ神はヤコブとその子孫にカナンの土地を与えると約束している。ヤコブはこの契約でイスラエルと改名し、彼の子孫はイスラエル人と呼ばれるようになった(創世記32:29,35:10)。ヤコブは12人の男子および数人の女子をもうけたが、男子それぞれがイスラエル十二氏族の長とされている(創世記29-30)。つまりヤコブイスラエルユダヤ人の始祖である。
創世記には、この族長の3代記に続けてヤコブの末子のヨセフの物語が記されている(創世記37-50)。兄たちに殺されかけてエジプトに奴隷として売り飛ばされながら、夢占いと実力で立身出世してエジプトの宰相にまで登りつめ、飢饉に苦しむようになった父と兄たちをエジプトに呼び寄せて救う話である。創世記では、これらの他に悪徳の町であるソドムとゴモラの滅亡(創世記18:20-19:28)、ヤコブと神の使者との格闘などの話(創世記32:23-33)が有名である。
また創世記には、多くの系図が含まれておりイスラエル周辺部族の縁起等も語られている。
創世記は以上で終わり、物語は出エジプト記につながっていく。前述のヨセフの時代にエジプトに移住していたイスラエル人達は、王朝が変ったために、やがて迫害されるようになる(出エジプト1:1-14)。そこに、エジプト人として教育を受けたモーセ出エジプト2:1-10)が、神から召命を受けて立ち上がり(出エジプト3:1-4:17)イスラエル人たちを率いてエジプトを脱出し(出エジプト5:1-15:21)、神が族長ヤコブに約束した「乳と蜜の流れる」カナンの地を目指しながら40年間シナイ半島で放浪する(出エジプト15:22-40:38、民数記)。モーセが数々の奇跡でエジプト王を威嚇し(出エジプト7:8-11:10)、追跡するエジプト軍を逃れるために海を二つに割ってその間を通っていくシーン(出エジプト13:17-30)などは有名であり、映像化もされている。現在も続くユダヤ教の行事、たとえば過越祭/除酵祭、仮庵祭などはこの出エジプトおよび荒野流浪の故事にちなむものとされており、ユダヤ文化の中でも特別で象徴的な位置を占める物語である。
シナイ山モーセイスラエル人は神から十戒を授かり(出エジプト20:1-16)、他にも様々な祭儀規定や倫理規定、法律が言い渡される(出エジプト19:1-34:35)。十戒多神教の禁止や偶像崇拝の禁止に始まり、殺人・姦淫・窃盗を禁止し、父母への敬愛や隣人愛などの倫理を規定するものであるが、この十戒を基にして神はイスラエル人全体と契約を結ぶ。このシナイ山での契約は、ユダヤ教の重要な原点のひとつとされている。「ヤーウェ(ヤハウェ)」という神の名はモーセの召命時に初めて明かされ(出エジプト3:13-15)、モーセ以前には「アブラハムの神」「イサクの神」「ヤコブの神」という呼ばれ方でしか知られていなかった部族の神が、名前を明かした状態で民衆全体と契約を結んだのである。
【シュメール】
シュメールは、メソポタミア(現在のイラククウェート)南部を占めるバビロニアの南半分の地域、またはそこに興った最古である都市文明。初期のメソポタミア文明とされ、チグリス川とユーフラテス川の間に栄えた。シュメールの名は、シュメール人が文明を築いてから、アッカドバビロニアの支配を受けてシュメール人が姿を消し、さらにバビロニアペルシャ帝国に併合されるまで続いた。

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『目からウロコの世界史』 島崎晋/著  PHP文庫 2006年発行
優遇から奴隷へと一転、イスラエルの民の運命 (一部抜粋しています)
今日のユダヤ人の祖先である古代イスラエルの民はアブラハムを始祖とする。聖書によれば、アブラハムメソポタミアで暮らしていたが、あるとき神の言葉を聞いて、「約束の地」カナン(パレスチナ)へと旅立った。これが何らかの史実の反映とするなら、そのもととなった出来事は紀元前2000〜前1700頃のこととされている。アブラハムの4代目の子孫ヨセフは奴隷としてエジプトに売られてしまうが、ファラオ(聖書ではパロ)の夢解きをした功績により宰相にとりたてられた。これを機にヨセフは家族をよびよせ、彼の一族はエジプトで子孫を増やしていく。
やがてヨセフの子孫たち――イスラエルの民をとりまく情勢が激変する。奴隷の境遇に落とされたのである。この境遇の落差は、第2中間期(前1785〜前1565頃)から新王国時代(前1565〜前1070頃)への移行に帰因するものといわれている。異民族ヒクソスが支配していた第2中間期に迎えられ優遇されたイスラエルの民は、エジプト人王朝の復活とともに巻き添えをくったのであると。
奴隷として苛酷な労働を課せられるイスラエルの民。そんな彼らの解放者として現れたのがモーセである。モーセの指導のもと、「出エジプト」がおこなわれる。「出エジプト」は前13世紀頃のことといわれれいる。

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『ファラオのエジプト』 吉成薫/著 廣済堂出版 1998年発行
ヒクソスの王たち 異民族による最初の支配 (一部抜粋しています)
「トゥティマイオス。その治世に、理由はわからないが、神の一撃がわれわれを討った。そして、不意に東の方から、正体不明の侵入者たちが、勝利を確信してわれわれの国に進軍してきた。彼らは全力をふるい、労せずしてこの国を占領した。この国の支配者たちを圧倒し、無慈悲にもわれわれの町を焼き払い、神々の神殿を根こそぎ破壊し、この国の人々すべてを、敵意をあらわにして、残酷に扱った。大虐殺された者たちも、妻子を奴隷とされた者たちもいた。最後に、彼らは、自分たちの仲間のひとりで、サリティスという者を王に選んだ。彼らはメンフィスに居を定め、上・下エジプトから貢ぎ物を徴収し、戦略上最も有利な地点に、常に守備隊を配置するのだった。・・・・
サイス州に、ナイル河のブバスティス支流東方の格好の位置を占める町を、彼らは造り、古い宗教伝統にのっとってアヴァリスと呼んだ・・・・・」
マネトの『エジプト史』のヨセフスによる引用に現われた、ヒクソスの記事である。トゥティマイオスという王は、トリノ王名パピルスの第13王朝に記されたデドゥメスゥにあたるという説があるが、いずれにせよ、ある時に突如、東方から軍事集団がエジプトに侵入し、武力で圧倒し、王となって君臨したと書かれている。
ヴァリスの町について説明したあと、ヨセフスの引用は次のように続く。
「19年治めて、サリティスは死んだ。そしてブレーンという第2の王が跡を継ぎ、44年治めた。彼の次にはアバウスナンが来、36年7ヵ月支配した。そして、アポーフィスが61年、イアンナスが50年1ヵ月。そして最後にアスシスが49年2ヵ月、・・・・これらの者たちはヒクソスと総称された。それは『牧人王』の意味である。なぜなら、聖なる言葉でヒクは『王』を、そしてソスは民衆の言葉で『牧人』あるいは『牧人たち』を意味するからである。・・・・
私が挙げたこれらの王たちと、その後裔(こうえい)たちは・・・・、マネトによるとエジプトに511年間君臨した」
以上がヒクソスの支配に関する引用の主要な部分であるが、メンフィスから新都アヴァリスに移ったサリティスという最初の王に続いて、5王が君臨し、さらにその末裔(まつえい)たちがエジプトを支配したと書かれている。また、ヒクソスの名称についても解説がされている。
マネトの『エジプト史』は、エジプト史研究の基本史料とされるが、その記述のもとになっているのは、この『エジプト史』が書かれた紀元前3世紀初頭前後のエジプト人自身の伝承であったと考えられる。史実が伝えられていく仮定で、次代時代の考え方や味方によって変えられていくのは、歴史伝承全般に観察できる現象である。このマネトの伝えるヒクソス像も、そうした改変を受けていることは充分に予想できる。

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どうでもいい、じじぃの日記。
吉成薫著 『ファラオのエジプト』という本をめくっていたら「ヒクソスの王たち 異民族による最初の支配」というのが出てきた。
「ある時に突如、東方から軍事集団がエジプトに侵入し、武力で圧倒し、王となって君臨した」
昔、チャールトン・へストン主演の映画『十戒』を観た。へストンが演じるモーセがエジプト王の圧政から逃れ数万人のイスラエル人を連れて、約束の地「カナン」に向かう途中のシナイ山で神から十戒を授かるというストーリーだ。
そういえば、なぜエジプトにイスラエル人がいたのだろう。なぜエジプトを離れなければならなくなったのだろう。
「ヒクソスの王たち」はどこから、エジプトに移ってきたのか。ヒクソスとは何者なのか。
ヒクソスはエジプト第2中間期(紀元前1650年頃)と呼ばれる時代に古代エジプトに登場した人々だ。彼らは一般にシリア・パレスチナ地方に起源を持つ雑多な人々の集団であった。ヒクソスと言う呼称は「異国の支配者」を意味する古代エジプト語である。
その後、エジプト新王国時代(紀元前1540年頃)にイアフメス王によるエジプト人王朝の復活が起こった。
異民族であるヒクソスのイスラエルの民は、エジプト人王朝の復活とともに奴隷として苛酷な労働を課せられることになった。そんな彼らの解放者として現れたのがモーセだったのである。モーセの指導のもとに「出エジプト」が行われた。
彼らイスラエルの民は神から十戒を授かることでユダヤ人となった。
メソポタミアに住んでいたシュメール人は紀元前2000年ごろ、忽然と姿を消した。
旧約聖書の創世記に出てくるアブラハムメソポタミアバビロニア:現在のイラクの南部)で暮らしていたのだそうだ。
彼ら、イスラエル人の出目はシュメール人なのである。そして、創世記に描かれるノアの洪水はメソポタミアの洪水伝説なのである。そして旧約聖書の物語はシュメール人の物語なのである。