じじぃの「人の死にざま_637_柳・宗悦」

柳宗悦 - あのひと検索 SPYSEE
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柳宗悦 動画 YouTube
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柳宗悦「こぎんの性質」 動画 YouTube
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柳宗悦日本民藝館
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柳宗悦 フリー百科事典『ウィキペディアWikipedia)』 (一部抜粋しています)
柳宗悦は、民藝運動を起こした思想家、美学者、宗教哲学者。
【来歴・人物】
東京府(現:東京都)生まれ。海軍少将柳楢悦の三男。学習院を経て東京帝國大学卒業。専攻はウィリアム・ブレイクウォルト・ホイットマン等の英語圏宗教哲学であった。
嘉納治五郎は母勝子の弟であり招かれる様に、現在の千葉・我孫子(現:我孫子市)に住んだ。さらに志賀直哉らを呼び、我孫子文人らが集結し白樺派文学が進展するきっかけをつくった。
学習院高等科から東京帝國大学に進み、大学在学中に、同人雑誌グループ白樺派に参加。生活に即した民芸品に注目して「用の美」を唱え、民藝運動を起こした。1936年(昭和11年)、東京府東京市目黒区駒場(現:東京都目黒区)に日本民藝館を設立。1957年(昭和32年)、文化功労者
晩年はリウマチや心臓発作との闘病を余儀なくされたが、執筆活動を続けた。1961年(昭和36年)春に脳溢血により、日本民藝館で倒れ数日後逝去した。

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『人間臨終図巻 下巻』 山田風太郎著 徳間書店
柳宗悦(やなぎむねよし) (1889-1961) 72歳で死亡。 (一部抜粋しています)
「民芸」という言葉を作り、その芸術世界を発見した柳宗悦は、還暦を迎えたとき、3人の息子を呼んで、自分の家も所蔵の民芸品もぜんぶ民芸協会に寄付したから、お前たちに遺すものは何もないよ、といい渡した。
67歳のとき、脳溢血で倒れ、左半身不随となったが、長期治療の結果、回復した。
昭和36年4月29日、爽やかな五月(さつき)ばれの祝日、いつものように日本民芸館で仕事をし、昼食後係員と談笑していたが、ふと黙って、椅子の上で両手をくんだまま首を垂れているので、みなが驚いて駈け寄ると、すでに昏睡状態であった。
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5月3日午前4時2分に死んだ。

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柳宗悦 Google 検索
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