じじぃの「人の死にざま_621_B・ラッセル」

バートランド・ラッセル - あのひと検索 SPYSEE
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バートランド・ラッセル「神について」 動画 YouTube
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Bertrand Russell 1950 Nobel Prize 動画 YouTube
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ラッセル『幸福論』第1部「不幸の原因」:第6章「ねたみ」- バートランド・ラッセルのページ
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バートランド・ラッセル フリー百科事典『ウィキペディアWikipedia)』 (一部抜粋しています)
バートランド・アーサー・ウィリアム・ラッセル(1872年5月18日-1970年2月2日)はイギリス生まれの論理学者、数学者、哲学者。第3代ラッセル伯爵。イギリスの首相を2度務めたジョン・ラッセルは祖父である。名付け親は哲学者のジョン・スチュアート・ミル。ミルはラッセル誕生の翌年に死去したが、その著作はラッセルの生涯に大きな影響を与えた。生涯に4度結婚し、最後の結婚は80歳のときであった。
【生涯】
・1872年5月18日に生まれ、貴族によくみられるように正規の初等・中等教育を受けずに、1890年ケンブリッジのトリニティ・カレッジに入学。その後しばらくケンブリッジ大学で教鞭をとる。ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタインの才能を早くに見抜き、親交を結ぶとともに、良き理解者として『論理哲学論考』の出版などを支援した。
・1916年平和運動、婦人解放運動、反道徳運動に熱中したため、ケンブリッジ大学を解任される。
・1918年6か月の間投獄される。
・1938年三度目の夫人と共にアメリカ合衆国へ移住。
・1944年イギリスに帰国。
・1950年 - ノーベル文学賞を受賞。(『人道的理想や思想の自由を尊重する、彼の多様で顕著な著作群を表彰して』)
・1955年7月9日核廃絶に対する共通の想いから親交のあったアルベルト・アインシュタインと「ラッセル=アインシュタイン宣言」を発表した。この宣言がパグウォッシュ会議の開催へと発展した。
・1961年百人委員会を結成。人生二度目の投獄。
・1970年97歳で逝去。

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『危険な脳はこうして作られる』 吉成真由美/著 新潮選書 2005年発行
己の欲っするところに従って (一部抜粋しています)
幸福の征服
 年をとるというのは素晴らしいことだ。
 過剰な自意識から開放される。
 自分の好みがハッキリしてくる。
 物事を付瞰できるようになる。
 自己抑制(インヒビション)から解き放たれて行く。
 興味の対象が広がってくる。
 細部に気が回り、趣味(テイスト)が良くなる。
 周りの自然や人間をよく楽しめるようになる。
 何事も遥かに深く味わえ、感動できるようになる。
 静かな幸福というものが理解できるようになる。
あたかも、美玖隊の衰退と反比例して、脳の性能が上昇して行くが如しである。実際40代、50代、60代と、神経細胞の信号伝達能力は、高くなっていることが知られている。
バートランド・ラッセルの『幸福論』を読む。58歳にして、幸福を真摯に論じていて誠に爽快。
幼年期に両親と祖父を失い、祖母に厳しく育てられたラッセル少年は、彼女の清く正しい清教徒主義的養育が、窮屈で、何度も自死を考えるまでに惨めな少年期・青年期を過ごす。しかし58歳になった時、全く対照的に、
「私は人生を謳歌している。1年を追うごとに楽しみが加わって行くと言ってもいい」
と言い切れるようになる。
この境地に至ったのは、自分が本質的に何を求めているかを知り、少しずつその欲求を満たしていくのと同時に、全く不可能な欲望というものを、少しずつ捨てていったからでもあるが、一番効果があったのは、
「過剰な自意識を捨てた」
ことであると・・・・。
自己に拘泥せずに、興味の対象を外に向けると、幸福により近くなる。もちろん外に目を向ければ、傷つくこともあるし、痛みを覚えることもあるだろう。しかし、自己の内面を掘り下げて行って、自己憐憫の感傷に浸りながら絶望するより、遥かにその傷は浅いのだと――。
そして後に齢80歳にして、
「やっと人生の深い喜びと
 平穏とを得ることができた。
 ・・・・長年に渡る孤独の後、
 ようやく人生や愛が何であるかを良く知り得た。
 今永遠の眠りにつくとしても、
 至極満ち足りて眠る事ができる」
と宣うもでに充実した境地に達し、97歳で世を去るまで、人生を存分に楽しんで生きている。
「過度の刺激を避けて、ある程度の退屈を忍ぶ事は、幸福な人生にとって必須である。過剰な刺激は、単に健康を損なうばかりか、あらゆる喜びを半減させ、充実した深い満足のかわりに、浅薄な快感を、深い洞察力の代わりに、浅知恵をのみもたらすことになる」
という。
即ち、若い女の子達がする援助交際や性の切り売りは、自立にも犯行にも退屈しのぎにもならず、ましてや、親の愛情不足による心の空洞を埋めたりできる筈もなく、果たして後に、にじみ出るような深い幸せを味わうことのできる感性というものを、自らドブに投げ捨てているようなものだ、ということになる。
静かな生活の中にこそ、真の意味での内から湧き出るような喜びが存在しうると言い、人類の幸福の基本は、実にシンプルなものの積み重ねであるとも・・・・。
羨望・嫉妬の強い感情は、確実に人間を不幸にする。やっかいなのは、嫉妬の結果として、自分がより幸福な人間の喜びを減少させようとする方向にエネルギーが向いてしまうことだ。週刊誌がしばしば不当なパッシング記事を載せるのも、根はこの嫉妬の感情からきている。
しかし、このやり方では絶対に幸福を手に入れる事ができない。自分より不幸な人が無数にいるのと同様、自分より幸福な人も無数にいるのだから・・・・。
ラッセルが薦める、羨望・嫉妬を少なくする最も効果的な方法は、
「自らの本能を満足させるような生活」
を心がけることである。物を食べる、眠る、セックスをする、自然に触れる、人に触れる、できれば子供をもつ・・・・。要するに、チンパンジーがやっているような生活――つまり旧脳が支配する様々な感覚器官を満足させる生活をしていれば、とりあえず人間は強い羨望・嫉妬からは解放され、幸せに生きる事ができるという訳である。

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