じじぃの「なぜゴリラはあんなに大きい脳を持っているのか?動物行動学から見た人間」

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モビング
タカ類やフクロウ類、カラス類などが現れると、小鳥が群れを作ってつきまとい、それを追い払う行動をとることがあります。こうした行動をモビング(擬攻撃)と呼びます。この行動は実際の攻撃ではなく、嫌がらせをして追い払うのが目的です。
オナガコアジサシ・ケリなどは巣を作っている場所に犬や人などが現れると、親鳥が集まってきて、相手につっかかるように飛び回ります。これもモビングの一種です。
カラス類は小鳥のモビングを受けることもありますが、一方、ノスリオオタカなどのタカ類に対してモビングを行います。時には数十羽がタカの回りの飛び交うこともあり、観察者にタカの存在を教えてくれます。
http://www.hirahaku.jp/hakubutsukan_archive/seibutsu/00000059/106.html
100分 de 名著 名著46 種の起源 第4回 進化論の「今」と「未来」 (追加) 2015年8月26日 NHK Eテレ
【司会】伊集院光武内陶子 【ゲスト講師】長谷川眞理子総合研究大学院大学教授)
種の起源」の中でダーウィンは、一つの巨大な生命観を提示する。全ての生物は「生命の樹」といわれる一つの巨大な連鎖でつながっており、人間もその一部にすぎないと説く。人間には他の生物を意のままに操る権利などはなく、互いに尊重し共存していかなければならないというのがダーウィンのメッセージだった。そして「種の起源」以降、ダーウィンは、その研究の対象を人間へと広げていく。それは現代の人間観にも大きな影響を与えている。一方で、「進化論」は「人種差別」「強者の論理」などを肯定するイデオロギーだという誤解も絶えない。果たして「進化論」が生み出した人間観とは何だったのか?第4回は、「進化論」にまつわる数々の誤解を解くとともに、現代の人間観にとって「進化論」がどのような意味をもっているかを解き明かしていく。
類人猿(ゴリラ、チンパンジー)のマキャベリ知性仮説(集団社会生活を営む中で、同種他個体に対する戦略的欺きによって脳の進化が促されたとする)について紹介している。
http://www.nhk.or.jp/meicho/famousbook/46_kigen/index.html
『ヒトはなぜ拍手をするのか―動物行動学から見た人間』 小林朋道/著 新潮社 2010年発行
なぜ映画やテレビのドラマを見たがるのか? (一部抜粋しています)
動物行動学の視点から考えると、テレビにしろ映画にしろ、小説にしろ漫画にしろ、ドラマを見たいという欲求には以下の4つの要素が関係していると推測される。
1つ目は、「これは作りごとであり、現実のことではない」と理解できるだけの、脳の階層性の高さである。何種類かの鳥類や霊長類では、同種の動物の映像を見ると、それを本物だと思って攻撃したり怖がったりすることが知られている。
ヒトでも、脳の活動(特に、さまざまな情報を高次のレベルで統合する大脳皮質の活動)が不調になった精神疾患の患者の中には、風邪を引いたドラマの主人公に風邪薬を送りつけるような人がいるという。
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さて、2つ目の要素に関する私の仮説はこうである。
テレビや映画、小説、マンがのドラマの中で起こる様々な架空の事件に対しても、我々は"モビング"衝動を湧き立たせ、その現場を観察し、情報を得ようとしているのではないだろうか。
ドラマの中の事件を観察しながら、「あの場所は危険だからあまり近づかない方がよい」とか、「あの個体は他人に攻撃的だから気をつけたほうがよい」、あるいは、「あの個体はあの権力者にかわいがられているから、好意的に接した方がよい」といった情報を得て、"モビング"衝動を解消させているのではないだろうか。
実際、多くのドラマの筋には、死や精神的な激しい苦しみに結びつく、物理的な危険や対人的な危険が過激にちりばめられている。それは、情報の価値として高いものであり、視聴者や読者の"モビング"衝動をより刺激するためと解釈すればうまく説明できるのである。
ドラマを見たいという欲求に関係しる3つ目の要素は、「登場人物への感情移入」である。これについては、少し説明を要する。
アフリカの野生ゴリラの研究をしていたイギリスの動物行動学者ニコラス・ハンフリーは、ある時、「ゴリラはあんなに大きな脳を持っているのに、一体それを何に使っているのだろうか」という疑問にとらわれた。
というのも、野生ゴリラの毎日は単純である。
――群れで移動し、彩色場所で特定の草を食べ、陽だまりで休息し昼寝をしたり、遊んだり、そして、やがて木の枝や葉でベッドをつくり、夜そこで寝る。
ゴリラの脳は、体の大きさとの比率でいえばヒトとチンパンジーを除いて、陸上のいかなる動物よりも大きい。
一体、そんな脳が生活のどんな場面で必要なのか? というわけである。
この疑問を考え続けたハンフリーが到達した答え名次のようなものであった。
「ゴリラの脳は、他のゴリラの内面を読み取るように、高度に発達した」
このアイデアは動物行動学、進化生物学、心理学の研究者を大いに刺激し、やがて進化心理学という新しい学問の誕生に繋がっていく。
他個体の心を読むことは、相手が欲しいものを的確に把握したり、巧みに相手の裏をかいたりすることを可能にし、グループ内で自分が有利に振る舞うことを可能にする。このような能力によって、利益が合致する個体と連合することも可能になる。
「他個体の心を読み取る」能力は、はっきりした形で表に出ることは少ない。頭の中で密に進行し、次に行う行動に大きな影響を及ぼす。外見上は、さりげないコミュニケーション行動の中に表れるものである。
このような視点で、ゴリラやチンパンジーの行動を観察することによって"心理戦"とか、"政治"といった言葉がぴったりと当てはまるような行動が次々に明らかになっていった。
「心を読む」能力は、系統的に類人猿(ゴリラやチンパンジーなど)に近いホモ・サピエンスでも、高度に発達している。意識するかどうかは別にして、我々は日常生活の中で、この能力を盛んに使い、絶えず他個体の心理を読んだり、思い浮べたりしている。
精神症としての対人恐怖症などは、裏を返せば、「他人の心を読む」脳活動の存在の大きさを明示しているとも考えられる。また、そもそも、「心理学」という学問の存在自体、「他人の心を読む」精神活動の存在を物語っているのであろう。
私は、ヒトが他人の心を読むときに使う戦略の1つが「感情移入」だと思っている。つまり、相手の状況に自分を置いてみて、相手の心理を感じ取るのである。
これは、心理を読むための優れた方法だと思われる。そして、このような、「心の読み取り」につながる「感情移入」が、テレビや映画などのドラマを鑑賞するときも、鑑賞者の脳内で盛んに行われ、登場人物と同様の状況に自分を置いて、涙を流したり怒りを感じたりするというわけである。前述したように、近年、いくつかの種類の霊長類と人間の大脳皮質にミラーニューロンという、とても興味深い神経細胞が見つかっている。このニューロンが興味深い点は、他人の動作や表現を見た時、それらの筋肉の動きを引き起こす神経の興奮が、単に見ているだけの自分の脳内で再現されるというところである。「感情移入」の脳内での実態の解明に期待が高まっている。
さて、そういう目でドラマを見ると確かに、そのストーリー構成や登場人物の台詞や表情は、見る側が感情移入し易いように、感情を読み取り易いように、明確に誇張されている場合が多い。
これは制作者が、無意識の内に、視聴者の「心を読み取りたい」という心理的なニーズに応えているためではないだろうか。
最後の、4つ目の要素は、「遊び」活動と共通した心理である。
ヒトを含めて、土王物がなぜ遊ぶのか、についてはまだまだ解明されているとは言えない。しかし、遊びの機能の1つが、少なくともヒトでは、身体運動や言語、対人コミュニケーション、論理思考など、さまざまな能力の発達を促すことであることは間違いない。
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「このスリルや危険を求める衝動がドラマを見たいと思う要求にも関係している」というのが私の推察である。ドラマの中の主人公が、間一髪でビルからビルへ飛び移ったり、間一髪で追ってから逃れたり、間一髪で難問を解いたりするとき、主人公に感情移入している我々は、ギリギリのところで成功するスリルを味わうのである。
そのスリルは本来、自分の能力の限界を高めようとして行う遊びのスリルと同質のものなのである。

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どうでもいい、じじぃの日記。
小林朋道著『ヒトはなぜ拍手をするのか―動物行動学から見た人間』に「なぜ映画やテレビのドラマを見たがるのか?」があった。
「ゴリラはあんなに大きな脳を持っているのに、一体それを何に使っているのだろうか」
一般的に、心臓は体の血液を循環させるためのポンプの機能を持ち、肺は外の酸素を取り込む機能だ。人とゴリラとゾウの心臓、肺がそんなに変わっているとは思わない。
それだったら、脳だって、同じようなもんじゃないのか?
ゴリラなんかでも、きれいなお姉ちゃんが近寄ってくれば、にやけて、汚いやつがきたら、あっちへ行けとやるだろう。
人とゴリラで違うところは何だろう。
人が人らしいと感じるのに「思いやり」がある。ゴリラにも思いやりがあるのだろうか。
なんとなく、人も、ゴリラも、ゾウも、クジラも思いやりを持って行動しているように見える。
5/3、テレビ『スパモク !! 教科書にのせたい!』では「クジラの親子愛」をやっていた。赤ちゃんクジラがうまく空気が吸えないので、母親のクジラがそっと赤ちゃんクジラの下から空気が吸えるように持ち上げている姿だった。
思いやりも人間の専売特許じゃないんだ。
よく、わからん。