じじぃの「なぜ電話しているときに頭を下げるのか?動物行動学から見た人間」

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言語とはジェスチャーのシステムである 進化心理学が示すもの その1 ごきげんようチャンネル
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ブローカ野

ブローカ野 フリー百科事典『ウィキペディアWikipedia)』 (一部抜粋しています)
ブローカ野は、人の脳の領域の一部で、運動性言語中枢とも呼ばれ、言語処理、及び音声言語、手話の産出と理解に関わっている。ごく単純に言えば、ノド、唇、舌などを動かして言語を発する役目を負っている。ブローカ野という名前は、19世紀の外科医ポール・ブローカの名からつけられた。ブローカ野という概念は元々、音声言語の産出が聾者のコミュニケーションの習得において阻害されていることを説明するために生まれたが、現在では心理的な処理機構の解剖学的側面を記述するために用いられる。
【人の言語進化】
ブローカ野は人間の進化における、言語発達の指標となると考えられている。新人(ホモ・サピエンス)へと続く古生物学的な記録から、この部分の脳神経構造は、ホモ・サピエンスホモ・ハビリスの化石にも存在することが分かっている。一方これら人類の祖先であるとされているアウストラロピテクスではこの領域が存在しない。(この情報はブローカ野が同定されている部分の、頭蓋骨の分析に基づいている) 一方、ブローカ野はヒトでは特殊な言語に対する役割を持つが、他の動物でも発見され、人の言語におけるものと似た役割を担っている。 もちろん、化石記録では、ホモ・サピエンスへの進化の決定的な要素の一つになるような言語の誕生の確かな証拠を得ることはできない。しかし、ブローカ野と新人の言語との関係は進化の分析に有用であるだろう。
ミラーニューロン
ミラーニューロンは霊長類などの高等動物の脳内で、自ら行動するときと、他の個体が行動するのを見ている状態の、両方で活動電位を発生させる神経細胞である。他の個体の行動を見て、まるで自身が同じ行動をとっているかのように"鏡"のような反応をすることから名付けられた。他人がしている事を見て、我が事のように感じる共感(エンパシー)能力を司っていると考えられている。このようなニューロンは、マカクザルで直接観察され、ヒトやいくつかの鳥類においてその存在が信じられている。ヒトにおいては、前運動野と下頭頂葉においてミラーニューロンと一致した脳の活動が観測されている。
ミラーニューロンと言語】
ヒトにおいて、ミラーニューロンシステムはブローカ野(言語領域)に近い下前頭皮質で見つかっている。このことからヒトの言語は、ミラーニューロンによる身振りの実行/理解のシステムから生まれたと考えることもできる。ミラーニューロンは他者の行動の理解、模倣の習得、他者の行動のシミュレーションをもたらすといわれている。しかし、他の多くの言語進化の理論と同様に、その根拠となる直接の証拠はほとんど無い。

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『ヒトはなぜ拍手をするのか―動物行動学から見た人間』 小林朋道/著 新潮社 2010年発行
なぜ電話で謝るときにも頭を下げるのか? (一部抜粋しています)
ヒトは電話しているときでも(つまり相手が見ていないときでも)、たとえば大変恐縮して「すいません」と言うときに頭を下げたり、「そうそう、うんうん」と肯定するときには、うなずくように頭を振ったりする。まるで動作と言葉が"神経"でつながっているかのようである。
この理由を探るには、「そもそも、言語は、ホモ・サピエンスの祖先種から、どのような道筋をたどって進化に誕生したのか」までさかのばらなければならない。そして、言語の誕生において身振りが果たした役割について考える必要がある。
チャールズ・ダーウィンが、1859年に『種の起源』を、1871年に『人間の由来』を(ちなみに、前者は、地球上の生物が進化によって生じてきたことを、後者は、人間の体や行動がどのように進化によって誕生してきたかを論じている)出版して以来、哲学者や心理学者は、躍起になって、人間は他の動物とは違うことを示そうとしてきた。
そのなかで、人間以外の動物はもたないと考えられた"言語"は一貫して注目されるテーマになり続けてきた。
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実際、現代人が発する言語はどこの国のそれでも、歌のようなリズムや抑揚げるなどと切っても切り離せない関係にある。紙に書けば同じ文章でも、発話で語尾を上げるか下げるかによって肯定の意味になったり疑問の意味になったりする。
さて、これらの、言語の起源をめぐる「部分から全体か、全体から部分か」の議論とか別に、1800年代から、一部の哲学者、心理学者の中で、言語の起源について次のような主張をする人たちがいた。
「言語はもともと、手振りや身振りで相手に情報を伝えるという行動から発達したのではないか」
このアイデアは、人々が会話するときにさかんに手振り・身振りを使うという事実や、人間以外の動物の行動に関する観察事例を根拠にしていた。前述のダーウィンも著書『人間の由来』で、ジェスチャーが言語の起源の重要な一端を担っている可能性を述べている。
このような話を聞いた読者の多くは、次のように思われるかもしれない。
人間以外の動物にも(進化的に人間と近縁な霊長類にも)音声による情報交換は見られる。また、現在、どう考えても"発声"が主要な役割を果たしていると考えられる。にもかかわらず、どうして言語の起源を"手振りや身振り"に求めなければならないのか。
そう思われるのも当然だろう。「言語は身振りから進化した?」なぜそんな説が、有力視されているのか?
以下、その理由を順を追ってご説明しよう。
現在の言語のように、1つ1つが明確に区別出来る莫大な量の単語が発声できるためには、唇や舌や喉、声帯、横隔膜の構造、それらを制御する神経系など、解剖学的、生理学的にたくさんの条件が揃っていなければならない。たとえば、声帯で生じた振動音がよく共鳴し、スムーズに口まで達するように、咽頭は広く、また口腔と直線的につながっていなければならない(そのためには完全な直立歩行の姿勢ができていなければならない)。安定した発声を可能にするために、胸部の筋肉や骨格も発達していなければならない・・・・。
ところが、すくなくとも解剖学的にはそんな条件がとてもそろってはいない(それは化石からわかる)と考えられる祖先人類(ネアンデルタール人や初期のホモ・サピエンス)でも、個体同士はかなり複雑な情報交換をしていたことが推察されている。それは住居跡からも読み取れる。炉の周りの個体が集まって道具をつくったり、獲物の解体を行ったりしたと思われる跡や、洞窟の中に、踊りなどのために使われたと思われる広場が発見されているのである。また、祖先人類の頭骨の化石に石膏を流しこんでつくったレプリカからは、われわれが言語を話すとき活動させる脳のある領域も、かなり発達していたことが読み取れる。
では彼らは、どんな方法で情報交換を行っていたのだろうか? そこで登場するのが手振り、身振り、そして表情(顔の身振り)なのである。
現代でも、主に手振りによって、発声と同じ程度の情報伝達が可能なものとして"手話"がある。そして、その手話などの研究によって少しずつわかってきたことは、「祖先人類たちにとって(そして、人類以外の霊長類たちにとっても)容易であったと考えられる"手振り・身振り"は、さまざまな点で言語の伝達物として優れている」ということだった。
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さて、このストーリーについてもう少し肉付けする前に、"手振り・身振り"と言語が脳内においていかに深く結びついているかについてお話ししておきたい。
人間の大脳の左半球にはブローカ野(や)とよばれる領域がある。19世紀、フランスの外科医ポール・ブローカは、脳の怪我や手術により生じた多種の言語障害症状から、この領域が言語の生成に不可欠であることを発見した。
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前に述べた、マイケル・コーバリスによる著作『言葉は身振りから進化した』の中ではあまりふれられていないが、私は、「発声も一種の動作(唇や舌、喉、声帯、横隔膜を筋肉で動かす動作)」と考えれば、「"手振り・身振り"の言語が、どのようにして発声による言語へ置き換わっていったのか」も大変わかりやすく説明できるのではないかと考えている。
ブローカ野で、「小さいエネルギー消費で効率的に分かりやすい」動作や、「手を言語から解放するために手以外の場所で組み立てることができる」動作、「暗闇でも伝達することができ、そのためにも視覚以外の感覚によってもできる」動作を作り出そうとすると、それは、体の中のどこか最善を考えてみよう。
それに一番適した場所は口(唇や舌だけでなく、喉、声帯、横隔膜を含む)ではないだろうか。口に、動作の場所を集中させればよいのではないだろうか。
ところで、われわれ現生人類は、「大きい」とか「広い」といった情報を相手に、"手振り・身振り"で伝えようとすると、手や腕や体を広げりようにする。一方、「小さい」とか「狭い」といった情報を相手に、"手振り・身振り"で伝えようとすると、手や腕や体を、逆に広げないようにする。我々の脳にとって、そのほうが、各々の情報が伝わりやすいからである。
したがって、"口の動作"も、この特性から逃れることはできないとしたら、「大きい」とか「広い」といった情報を伝えるときは口は「広げるように」動かし、「小さい」とか「狭い」とかいった情報を伝える時には、逆に「広げないように」動かすようになる、と考えるのが自然だろう。そして、実際、そうなっているのである!
このようにして、"手振り・身振り"(手足や体の動作)による言語は、口の動作へと変わっていったのである。
そうはいっても、完全に"手振り・身振り"による言語が消え去ってしまったわけではない。それらは、口の動作へと変わっていった言語の"保護者"あるいは"後ろだて"のようにして控えており、口の動作へと変わっていった言語をいつもサポートしている。ブローカ野ではそうなっているのである。
「怒り」を伝えるときは、体も口も、大きく太く激しい動作にして見せるほうが相手の脳には伝わりやすい。「申し訳なさ」を伝えるときには、体も口も、小さく細く緊張した動作に見せるほうが相手の脳には伝わりやすい。
前者では実際、体は広げられていることが多いし、口は大きく激しく動くことが多い。
そして、後者、つまり「謝る」ときは、ブローカ野は体を小さくし(つまり、頭を下げ)、口の動きも小さくすることが多い。電話で相手が見ていないからといってもブローカ野の自然な神経の活動をそうそう簡単に止めることはできないのである。

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どうでもいい、じじぃの日記。
小林朋道著『ヒトはなぜ拍手をするのか―動物行動学から見た人間』に「なぜ電話で謝るときにも頭を下げるのか?」があった。
人の脳の中には「ブローカ野」という領域があって、ブローカ野の「ミラーニューロン」が、相手の気持ちを理解する上で重要な役目をしているのだそうだ。
たとえば、友人がワインのボトルを手に取ったとき、自分の頭の中で同じこと(ジェスチャー)が起こっていて、相手の頭の中で何が起こっているのかを瞬時に理解しているのだそうだ。
サルの脳にも他人のジェスチャーを真似るミラーニューロンが発見された。
単なる電話のやりとりで人が頭を下げたり、頭を振ったりする動作の理由がこんな奥深いものだとは知らなかった。
この他人のジェスチャーを真似るミラーニューロンが発見されたことは言語のジェスチャー起源説を裏づけるものになった。
確かに生存にとって重要であったろう狩猟行動では、声よりも手振り、身振りのほうが安全で効率がよいものだったろう。
そして、ジェスチャーに後からうなり声や叫び声のような音声が補強されていったというのが言語のジェスチャー起源説だ。
人は川辺に住み、水の浮力を利用することで直立二足歩行するようになった。直立二足歩行により咽喉に構造変化が起きた。頭を下げたり、頭を振ったり、手振り、身振りのジェスチャーに音声が加わっていた。しだいに音声多様化していくとジェスチャーは音声を補強するものへと変わっていった。そして、生殖年齢を過ぎた後のおばあさんが子どもをあやしながら"あ〜"とか"い〜"とか"う〜"とか言っていたのが言語へと発展していった。
なるほどなあ。(ホントかしら)