じじぃの「人の死にざま_590_J・ピアジェ」

ジャン・ピアジェ - あのひと検索 SPYSEE
Jean Piaget: How a Child Thinks 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=Jw33CBsEmR4
TEORIA PSICOGENETICA DE PIAGET 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=aei_AuHHRhI&feature=related
ジャン・ピアジェの思考発達理論と論理的思考を可能にする『保存概念』
http://digitalword.seesaa.net/article/88698451.html
ジャン・ピアジェ フリー百科事典『ウィキペディアWikipedia)』 (一部抜粋しています)
ジャン・ピアジェ(1896年8月9日-1980年9月16日)は、スイスの心理学者。20世紀において最も影響力の大きかった心理学者の一人。知の個体発生としての認知発達と、知の系統発生としての科学史を重ね合わせて考察するgenetic epistemologyを提唱。発達心理学者としては、「質問」と「診断」からの臨床的研究の手法を確立。子どもの言語、世界観、因果関係、数や量の概念などの研究を展開した。
【来歴】
スイスのフランス語圏、ヌーシャテルに生まれる。
19歳で、ヌーシャテル大学動物学科を卒業、「ヴァレの軟体動物学序説」(1921年刊行)で理学博士号を取得。その後、生物学と認識論を結びつける接点としての心理学に関心を移し、ローザンヌ大学チューリッヒ大学、パリ大学で心理学を学んだ。
ジャン・ジャック・ルソー研究所の心理学研究主任を皮切りに、ヌーシャテル大学、ジュネーヴ大学、ローザンヌ大学で教鞭をとり、パリ大学ではモーリス・メルロー=ポンティの後任として児童心理学講座の教授を務めた。
1955年、発生的認識論国際センターをジュネーヴに設立し、世界中のさまざまな分野の研究者たちとの共同研究を晩年まで精力的に行なった。共同研究者の中には科学哲学のマリオ・ブンゲ、トーマス・クーン、人工知能研究のシーモア・パパートらがいる。

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TIMEが選ぶ20世紀の100人〈上巻〉指導者・革命家・科学者・思想家・起業家 徳岡孝夫 訳 1999年発行
【科学者・思想家】ジャン・ピアジェ 【執筆者】シーモア・ペイバート (一部抜粋しています)
スイス人の先駆的哲学者にして心理学者のジャン・ピアジェは、その学者としての生涯を、子供の言うことを聞き、観察し、世界中の児童心理学者の報告を読みあさることに費やした。簡単に言うと、ピアジェは子供がおとなとは違った考え方をすることを発見したのだ。何千人という、かたことで話すのがやっとという子供たちと接したピアジェは、かわいいが支離滅裂にしか聞こえない子供たちの話の裏には、独特の秩序と論理を持つ思考プロセスがあるのではないかと考えるようになった。その発見をアインシュタインは、「あまりにも単純なので天才しか思いつかなかったのだ」と評した。
ピアジェのひらめきは、心の働きについての新しい知見をもたらした。広範囲にわたり、際立った成果を上げたその75年近くに及ぶ研究生活――彼は10歳で最初の論文を発表し、84歳で死ぬ時まで研究を続けていた――が終わるまでに、ピアジェは科学の新たな分野をいくつか開拓していた。発達心理学、認知理論、遺伝子認識論と呼ばれるようになった分野だ。教育の改革者ではなかったが、今日の教育改革運動の基礎となる、子供に関する新しい考え方を支持した、その視点の転換は現代人類学が「高貴な野蛮人」や「食人種」の話にとって代わったことにもなぞられる。ピアジェは子供の考え方を真剣に考えた初めての人物といえるかもしれない。
子供に敬意を表したほかの研究者――米国のジョン・デューイ、イタリアのマリア・モンテッソーリ、ブラジルのパウロフレイレ――は、学校教育を変えようと懸命に闘ったが、教育に対する影響は、ピアジェの方が深く、広く及んでいる。子供たちは知識を注がれるのを待っている容器(これが昔からの教育学の理論だった)ではなく、みずから積極的に知識を構築する者――周囲の世界について独特の理論を作り、実験を繰り返す小さな科学者なのだ――という彼の考えに感動した教師たちはピアジェを崇拝した。ピアジェは、ジークムント・フロイトはもちろん、B・F・スキナーほどにも有名ではないかもしれないが、心理学における功績は彼の方が長く残るかもしれない。コンピュータとインターネットが子供たちにこれまでになく広いデジタルの世界を探険する自由をあたえるようになって、彼の先駆的な学説はいよいよ重要度を増している。
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ピアジェは教育者ではなかったし、そういった状況にかかわる歳のルールについては明らかにしていない。しかし、彼の研究は、子供にやみくもに正しい知識を注入するのは間違いではないかとの思いを強く感じさせる。理論を組み立てる練習を重ねる方が、気象学的知識を得るよりも大切かもしれないのだ。せっかく子供が思いついた理論に対して、「惜しい、本当はこういう仕組みなんだ・・・・」といつも言われていたのでは、そのうちに子供は考えることをやめてしまうだろう。ピアジェが言うように、「子供は、自分で作り上げた理論によってだが、きちんと理解している。何かを性急に教えようとするたびに、自分で理論を作り直す機会を奪っていることになるのだ」
ピアジェの信奉者は、子供にとっての物理の基本原理に理解があるし、魅せられてもいる。子供にとって、物は見えなくなれば消えうせたということだし、月と太陽は自分について来るもので、大きなものは浮かび、小さなものは沈むのだ。アインシュタインは、速く進むとそれだけ多くの時間がかかると7歳児は言い張るというピアジェの発見に、とくに興味をそそられていた。ひょっとしたらそれはアインシュタイン相対性理論が、一般常識とはまったく逆のことを言っているからかもしれない。
教職課程にある学生は皆ピアジェによる幼児期の4つの発達段階を暗記するが、彼の研究の大部分はそれほど知られていない。おそらく教師にとっては「深過ぎる」と教育学部では考えているだろう。ピアジェが自分を児童心理学者と見なしたことは一度もなかった。彼の真の興味は認識論――知識に関する理論――にあった。認識論は、ピアジェが現れて科学にするまで、物理学がそうだったように、哲学の1分野と見なされていた。
ピアジェは認識論的相対主義の分野を探求した。そこでは、複数の認識方法が認められ、考察は偏った判断なしで、分析は研究者の厳密をもって行われる。ピアジェ以後、その分野には、女性の認識方法、アフリカ中心主義的な認識方法、コンピュータの認識方法、などを研究する人々が参入するようになった。実際のところ、人工知能や、脳の情報処理の研究者は、思っている以上にピアジェに負うところが大きい。
ピアジェの中心にあるのは、子供の知能の発達過程を注意深く研究することが、知能全般の性質を解明することにつながるという信念だ。それが実際に深い知見をもたらしたかどうかは、ピアジェに関する他のすべてと同じように、意見が分かれるところだ。過去10年間、認識力は脳に本来備わっている性質なのだという流行の学説にピアジェは何度も挑戦を受けてきた。優れた実験により、子供が構築すると彼が考えた知識のうちのいくつかは、新生児のうちにすでに備わっていることが立証された。しかし、わたしを含め、依然としてピアジェを認知理論の分野での巨人と考える者にとっては、赤ん坊が持って生まれてくる知識とおとなの持つ知識との差はあまりにも大きいので、この新しい発見ではその差が大きく縮むどころか、謎が増えるだけなのだ。

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