じじぃの「人の死にざま_521_草柳・大」

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草柳大蔵『花のある人 花になる人』
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草柳大蔵 フリー百科事典『ウィキペディアWikipedia)』 (一部抜粋しています)
草柳大蔵(くさやなぎだいぞう、大正13年1924年)7月18日-平成14年(2002年)7月22日)は日本の評論家、ノンフィクション作家、戦後を代表するジャーナリスト、神奈川県横浜市鶴見区出身。長女はテレビキャスターの草柳文恵
【経歴】
横浜二中、旧制府立高校を経て、昭和20年(1945年)、東京帝国大学に入り、在学中に学徒出陣し、特攻隊員(特別操縦見習士官)を志願する。
昭和37年(1962年)、『芸術生活』に「山河に芸術ありて」を連載し、初めて評論家として署名で仕事を始める、人物、芸術、世相などの評論活動を行う。昭和41年(1966年)、『文藝春秋』に連載した「現代王国論」で文藝春秋読者賞を受賞。一貫して、いまある日本はいかにして形づくられたのか、という問いを維持しつづけてきた。昭和59年(1984年)にNHK放送文化賞を獲得、内外調査会理事、NHK経営委員、静岡県人づくり百年の計委員会の会長等を歴任。
主な著作は『現代王国論』、『実録 満鉄調査部』上・下、『官僚王国論』、『ものを見る眼・仕事をする眼』、『内務省対占領軍』、『日本解体』、『昭和天皇と秋刀魚』、『池田大作論』ほか多数。
平成14年(2002年)7月22日、静岡県熱海市の自宅にて逝去、享年78。歿後、平成15年(2003年)3月に夫人草柳アキから蔵書の一部(7148冊)が静岡県立中央図書館に寄贈され、“草柳大蔵コーナー”と名付けられた。

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『絶筆 日本人への遺言』 草柳大蔵/著 海竜社 2003年発行 (一部抜粋しています)
糸川博士の「消しゴムなし」人生論
女満別(めまんべつ)発東京生きの最終便が濃霧無のため欠航となった。航空会社のカウンターには、忽(たちま)ち、長蛇の列ができた。その列のひとつがなかなか短くならない。見れば、先頭に青年が3人、カウンターの中の女性に北見から帯広、釧路にゆく列車の便を時刻表であたらせている。こんどは釧路駅から釧路空港までのバスの便まで調べさせ始めた。
さすがに、後ろに並んでいたオトナたちが注意をはじめた。
「時刻表を自分たちでひいて、列車やバスを探して、あんた方が利用できる航空便がわかったら、それをこのオネエさんたちにたのめばいいんだよ」
正論でもあり親切でもある。行列の早期解消にもなる。ところが、青年たちはブスッとして、呟くように言ったものだ。
「これ、時刻表というんですか。こんなもの、見たことねえもの。どうやって、列車やバス探すんか、わからねえもの」
「キミたち、大学生?」
「ええ、そうですけど、大学生だからって、時刻表がわかるとは限らんでしょう」
まわりの人は、一瞬、呆気にとられたが、そのうち笑い出してしまった。私もつり込まれて笑ったが、笑いながら糸川英夫氏の話を思い出した。
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医大を受験する医家の息子が私の友人に語ったことがある。
「魚屋の息子や農家の娘が医大を受けようとするから銃剣戦争が起こるんだ。医家の息子しか医大を受けさせなけりゃいいんだ」
私の友人は、この暴言に怒る気はしなかった。むしろ、家と塾の間の往復路しか知らず、塾の先生と家庭教師しかつきあわず、ごく限られた「現実」しか取り入れることのできない青春がかわいそうでならなかったという。
私も友人の心情はよくわかるが、10数年ほどまえに、糸川氏が話していた「消しゴム人生論」もどうしても忘れられない。糸川氏は、小学生に算数を教えていたことがあるが、できる子もできない子も、共通してたくさんの消しゴムを持っていることに驚いた。よく観察すると、彼らはすぐ消しゴムを使う。使いすぎるほでである。そのため、同じ間違いを繰りかえす。
そこで糸川氏は消しゴムを使うことを禁じ、間違ったり失敗した回答にはX印をつけて、やり直させるようにした。よく考えてみると、人生の失敗には消しゴムは通用しない。それなのに、子どものうちからすぐ消しゴムで自分の過ちを消す習慣を身につけてしまうと、人生の失敗も「あ、間違えました」でケロリとするような人間になりはすまいか。
これが糸川氏の10数年前の心配だったが、杞優どころか、まさに現実となりつつある。いまは消しゴムではなく、リセットというボタンを押せば、一切の考えも方程式も計算も、いっせいにパッと消えてしまうのである。
「日本は、この際」論
ずいぶん占ってもらってきた。人相、手相、姓名判断、四柱推命、血液型、星座。べつに「御幣(ごへい)かつぎ」の性分があるわけではなく、「見てあげよう」という人にめぐりあうのだから、これも身にそなわった「運気」なのかも知れない。当たったり外れたり、さまざまであるが、最大公約数は「のんきな性分ですね」である。これは本人が夙(つと)に自覚しているのだから世話はない。
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それだけに、きょうこの頃はおもしろくない気分である。「いよいよ日本も駄目ですな」という知識階級が多くなった。「21世紀の半ばまで保(も)ちますか」と深刻な顔をする御仁にもお目にかかる。しかしながら、「駄目になる」といったって、どの程度まで駄目になるのか、国はどうなって、国民の生活はどんなふうになるのか、どうもご託宣(たくせん)が聞こえてこないのである。
ただいま流行の「日本駄目論」は、その必然性よりも、それを聞いたり読んだりした人たちが意気阻喪(そそう)して、みんなで寄ってたかって「駄目な日本」を作ってしまう可能性の方が問題なのではないか。
人間なんて、結構、うまく生きてゆくもんだよ、と肚(はら)の底から言ってくれる人はいないものか。たとえば、関東大震災のときの芥川龍之介である。
友人だった小島政二郎が『眼中の人』というおもしろい本を書いているのだが、まだ残り火の見える東京で、芥川は落ち着いて、澄んだ空気を身のまわりに持っていた。
「これで僕たちが生まれてそこで育った明治の東京は完全に滅びるね」
それでは文壇はどうなるのだろう、と小島が心配して、「ジャーナリズムが復興するのには、どんなに早く見積もっても、半年は掛かるでしょう」と、なんとか前途に光明が見える話はないかと、問答をもちかける。
「半年? 冗談じゃないよ。彼らだって生きていかなければならない人たちだぜ。みんな生き馬の目を抜くような手合が揃っているんだぜ。ぼくは今月のうちに復興すると思うね」
「だって印刷する活字がないでしょう?」
「東京になくたって、名古屋や大阪に行けばあるさ」
小島が、汽車が不通じゃないかと言えば、「汽車なんか、大宮まで歩く覚悟なら、中央線も北陸線も通じているそうだよ」と芥川は反論し、しまいには見事な展望を口にするのである。
「日本は、この際、文化が中央集権的であり過ぎたことを反省すべきだと思うね。ドイツ連邦のように、それぞれの地方に、それぞれの地方特有の文化を建設するように、政府が率先して奨励するいい機会だと僕は思うな。日本も、江戸時代まではそうだったんだからね」
どうです、この器量。「日本駄目論」もご自由だが、ここいらで「日本は、この際」論も出してみようじゃありませんか」

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