じじぃの「ハイチのマザーテレサ・日本人女医の挑戦!ETV特集」

須藤昭子 - あのひと検索 SPYSEE
ハイチに旅立つ須藤昭子さん=19日午後、成田空港、福岡亜純撮影 大地震に見舞われたハイチで約30年間結核患者の治療に携わってきた医師でシスターの須藤昭子さん(82)が、19日夕、被災地視察のため成田空港を出発した。1月の地震発生時、3年に1度の一時帰国中で、現地に戻れなくなっていた。滞在先のめどもつき、約5ヵ月ぶりに、ハイチに戻る願いがかなう。 須藤さんは1970年代半ば、まだ結核患者が多かったハイチに渡り、今回の地震震源に近いレオガン近郊の国立結核療養所結核エイズの患者の治療にあたってきた。一昨年、第一線から退いたが、植林・営農支援や後輩の診察の手伝いなどをしながら、引き続きハイチを拠点に活動を続けてきた。 地震後、所属するクリスト・ロア宣教修道女会(本部・カナダ)からハイチへ戻る許可がおりなかったが、財団法人結核予防会の医師らが同行してくれることもあり、視察名目で2週間の滞在が可能となった。 ハイチは現在雨期で、衛生状態が悪い。須藤さんは荷物にたくさんの蚊取り線香を詰め込んだ。各地に散在する結核エイズの患者が、治療の中断によって、体の中で薬が効きにくい菌やウイルスが出る恐れがあると懸念する。須藤さん、「家の再建とか、食糧確保のための畑作りとか、他にもできることは手伝ってこようと思う」
http://spysee.jp/%E9%A0%88%E8%97%A4%E6%98%AD%E5%AD%90/1614784/
Images of Disaster: Haiti's Worst Day 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=dDLKYSCYP4k&feature=related
「ハイチのマザーテレサ」を支援 動画 デイリーモーション
http://www.dailymotion.com/video/xjyyjl_yyyyyyyyyy-yyy_news
シスター須藤昭子 ハイチの話
http://aosud.blog111.fc2.com/blog-entry-20.html
須藤昭子 Google 検索
http://www.google.co.jp/images?hl=ja&rlz=1T4GZAZ_jaJP276JP276&um=1&ie=UTF-8&source=univ&ei=LzA_Tc7jEJH5ccSu4L0C&sa=X&oi=image_result_group&ct=title&resnum=1&ved=0CCoQsAQwAA&q=%E9%A0%88%E8%97%A4%E6%98%AD%E5%AD%90%20%E7%94%BB%E5%83%8F&tbs=isch:1
クローズアップ現代 “ハイチのマザーテレサ 2010年5月24日放送 NHK
http://cgi4.nhk.or.jp/gendai/kiroku/detail.cgi?content_id=2893
ETV特集 「ハイチのマザーテレサ 〜83歳・日本人女医の挑戦」 2011年1月23日 NHK教育
医師・須藤昭子氏(83)に密着。「ハイチのマザー・テレサ」と慕われ、現地で34年間、医療活動を続けてきた。須藤氏の現在の最大ミッションは、総予算約2億円の国立結核療養所の再建。だが、ハイチ政府や世界保健機関の思惑などが絡み、須藤氏の思い描くものと違ってきている。病院再建に向け苦闘する須藤氏の姿を通して国際援助の難しさなどを考える。
http://kenyoshiki.cocolog-nifty.com/photos/uncategorized/2010/05/26/photo_2.jpg
1/23、NHK教育ETV特集』の「ハイチのマザーテレサ 〜83歳・日本人女医の挑戦」を観た。
大体、こんな内容だった。(手抜きしている)
警察がデモ隊に向かって催涙ガス弾を放っている映像が流れた。
地震から1年が経ったハイチの姿です。コレラの大流行に対し、有効な対策を打ち出さない政府への怒りが爆発しました。
地震、ハリケーンコレラ、これでもかといわんばかりの不幸がハイチをを襲いました。どん底だった人々の暮らしは、さらに底なしの状態です。
ハイチの仮設テントで住民を診てまわっている日本人女性の映像が流れる。
この国で貧しい人々の暮らしを救うことに半生を捧げてきた日本人の医師がいます。須藤昭子さん(83歳)。人々からハイチのマザー・テレサと呼ばれています。
フランス語で現地の人々と話している須藤さん。
須藤さん、(寝たきりの若い男性に対して)「病気になる前に何を食べたの?」
若い男性、「スープと魚を食べました」
地震によって須藤さんが築き上げた病院は壊滅的な被害を受けました。患者は仮設テントで苛酷な入院生活をしいられています。一刻の再建計画を立てて動いていますが、外国の援助機関やハイチ政府の利害が複雑にからんで須藤さんの願いはかなっていません。
多くの困難に立ち向かい、地震からの復興に挑む83歳。日本人女医の苦闘を追いました。
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仮設テントで暮らす被災者は地震直後の150万人から80万人に減ったものの、果てしなく続くテント生活で衛生状態は最悪です。
地震からの復興を目指していたのをハリケーンが襲ったのは去年の10月。多くの仮設テントが水に浸かりました。その直後ハイチでコレラが発生します。10月中旬に発生したコレラはまたたく間にハイチ全土に広がりました。これまで2ヵ月半の間に感染者18万人、死者3800人までに膨れ上がっています。
世界最貧国の1つのハイチ。人々がゴミあさりで食いつなぎます。デング熱マラリアエイズなどの感染症で命を亡くす人があとを断ちません。なかでも最も多く命を奪ってきたのが結核です。結核罹患率は欧米の200倍。貧困がまねく死の病(やまい)です。
ハイチで結核の治療に取り組んできたのが日本人医師須藤昭子です。
カトリックの教会に所属する修道女である須藤さんは30年以上にわたって結核の専門医として活動を続けてきました。首都ポルトープランスから車で1時間。レオガンにある国立結核診療所が須藤さんの医療活動の拠点です。
須藤さん、(道に横たわっている男性にさわって)「とても痩せていますね。具合はどう?」
この男性はぐったりしていて何も答えない。
入院中の結核患者は50人。地震で病院が倒壊したため、患者は中庭に設置された仮設テントに移されています。治療には半年間、十分な栄養と清潔な環境での療養が必要です。しかしテントの中は日中30度以上、体調を崩し病気を悪化させている患者が続出しています。
病院は国立ですがハイチ政府が財政難のため、須藤さんの修道女会が運営になっています。現場の第一線を退き、相談役になった須藤さんですが、人ではいくらあっても足りません。現場に飛び出しています。
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須藤さんは再び総合病院の再建計画の見直しに向けて動き出しました。何としても現実離れした総合病院建設をくい止めたい。この日、感染症研究所のパップ所長を再び訪れることにしました。保険大臣まで話をもっていくには政府や国際機関に強いコネを持つパップ氏の力がどうしても必要です。ようやくパップ氏と連絡が取れ、30分だけ面会できることになりました。
ハイチ感染症研究所のパップ所長と会って話をする須藤さん。
須藤さんはパップ氏に総合病院計画の無謀さを訴えました。
須藤さん、「呼吸器疾患の病院を作っても、お金の無駄だと思うんです。結核とそれ以外の患者と分けないと」
パップ氏、「私も同意見です。もうかるのは建設業者だけで、何のメリットもありません。計画を再検討するべきです」
結局、保険大臣との面会をパップ氏に頼むことはできませんでした。しかし、同志パップ氏が自分と全く同じ考えであることは須藤さんに何よりも励ましとなりました。
須藤さん、「同じ意見でうれしかった。彼は力がありますからね」
1週間後、須藤さんは保健省の担当者と会談し総合病院計画の見直しを求めました。まだ結論は出ていません。その後、日本大使館が話し合いに加わることが決まりました。
須藤さんはこれからも粘り強く、交渉を続けていくつもりです。
じじいの感想
83歳で元気に活躍している姿は感動的だった。
日本大使館も動いているようだし、少し安心した。